糸島と埼玉の2拠点生活シリーズ2
初めまして。
私は12歳の娘を持つ3人家族のママです。
糸島に2023年から住み始めて、もうすぐ2年になります。
埼玉では家族と暮らし、糸島では一人で住み、10日くらいを
毎月自由気ままに過ごすという日々です。
そんな生活を住み始める前から振り返ってみようと思い、記事を書いています。
シリーズ1の続き
まだ、糸島に住み始める前のことですが、私の人生に転機がありました。
夫の仕事の関係で、中国の広州に滞在して、一年3ヶ月くらい経ったところで
コロナが始まったのですが、その時、私たちは春節でバリ島に旅に出ていました。
台湾経由で広州に戻るつもりが、その頃、広州はスーパーからものがなくなるような事態で戻れそうになく、2週間ほど、台湾に滞在することに。
何が起きているのか最初はわからず、でも最初はマスクが普通に買えていたのに、滞在期間中に一枚1000円くらいになったり、不穏な空気が続いていました。
結局、妻子は戻れないということになり、夏服の浮かれた服装をスーツケースに入れたまま、娘と二人、真冬の日本に戻ることに。
数ヶ月で戻る予定が、結局このまま2年別居することになります。
ラッキーなことに、親と同じマンションの下の階を祖母用に購入していたものの、
祖母のボケが進んでしまったため、老人ホームに入居したので、そこに
私たち親子はそのまま住めることに。
最初は中国の情報と、日本の危機感のなさの状況が結構幅があって、戸惑い。
一人で、我が子を見ていかないといけないプレッシャーと、ランドセルなど
全て中国に荷物は置いてきていたので、学校も新しくなるし、娘は馴染めるか
親としてとても不安でした。
そして、親の下の階に住めることになったものの、親との関係は良くなかったので、これまた中々精神的にはハードさがあり。。。
私は20代でうつ病になり、29歳で出産した後に、育児ノイローゼにもなっていて。
その原因が、「自分の親子関係にある」と知ってから、10年ほど、色々な心理的なものは受けれるだけ受けて、自分の中に溜め込んだ
親子関係の見直しはしていたのですが、まだまだ全然解決しておらず。
ここから3年かけて、そこを見直していかないといけなくなります。
大人になっても生きててなんかしんどいとか、人間関係がストレスになりやすいと
いう場合、大体が育ってきた家庭環境に問題があるケースだと思います。
それが、子育てという追い込まれるような状況になった時に表面化してきて、
私は自分の内側を見直さないといけなくなりました。
暴力を振るわれるとか、そういうわかりやすいことだけでなく、
話しかけても無視されるとか、親が常に不機嫌、物に当たる、
やりたくもない習い事や勉強を
強要されるとか、その子の個性は無視して、親の思うようにされてきた場合、
我慢が習慣化していたりして、人生がハードモードになります。
そして、そういう親もまた、祖父母に理不尽なことをされてきているので、
その連鎖が世代に引き継がれていくという不幸な現象。。。
そういう色々を自分の中から抜いていく必要性を感じて、そこを徹底的に
やった結果、自分の感覚が段々戻ってきたのですが、この過程は結構
ハードでした。
つづく