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うつの素質。4

土砂降りの中、バスに揺られて帰宅途中、まだバスの中でヒソヒソとこちらを見ながらさっきの出来事について話している者たちがいた。
鬱陶しい。初めて感じた気分だった。
雨は好きだ。雨の音も、強く降り頻る雨も、濡れるのも大好きだ。未だに。
だから極力気にしないようにして、窓の外を眺めて雨が流れていく様子に気を集中していた。

えるくんってどっかおかしいよね。
みんなとちがうよね。
なんかさ、こわいよね。

そんな話をしていた。
おかしいこと、違うことが恐怖を与える事になってしまう。
じゃあ個性ってなんだ。人は一人一人違うもので当たり前。だからこそ相互理解は出来ないもの。
しかし知ることは出来る。知ろうとすることは出来る。
相手に興味を持って、譲歩して、考えに寄り添う事によって人は人を超えられる。
シッダールタも孔子もニーチェも、言っていた。
だが分からないことだらけだ。
本のみの世界だけでは知り得ないこと、体験出来ないことが世の中にはまだまだ詰まっている。
だからこそ、と言うべきか、俺はもうこの頃から段々と生身のニンゲンという者に恐怖を覚え始めていた。

俺の家は幼稚園からかなり遠く、帰りのバスのルートでは最後に降ろされる事になっている。
それまでの間、ずっとひそひそ話は続いていた。
何故直接言わないんだろう、とそれを聞きながら考えていた。
直接言わないんじゃなく、言えないのだろう。
だって怖いから。そして人は、その恐怖を誰かと共有する事によって和らげたいと思う種であるから、よく群れて話す。
実に人間らしい、陰湿で、臆病な生き物だ。

バスが家に着く頃には、雨は止みそうなくらいな小雨になっていた。
残念。土砂降りの雨に打たれたかったのに。
バスが家の近くの公園に降ろしてくれる。
親の姿はない。
先生が家まで送ると言ってきたが、必要ないと断った。公園で一人で雨に濡れながら散歩したかったからだ。
先生は渋々といった表情でバスに乗り込み、そのまま幼稚園へと帰っていった。恐らく今の時代では園児を一人で帰らせるなど考えられないだろう。
もしくは俺が怖くて、俺のことなどどうでもよかったのかもしれない。

夕方の16時過ぎくらいだったろうか、一人で傘も無しに公園をうろつく。
遊具も何もない、ただ広いだけの公園だ。
一応運動場的な所はあり、少人数でサッカーくらいはできる大きさがある。
草木が多く生えていて、その多くは桜。故に近隣住民からは愛称として桜公園と呼ばれていた。本来の名称を知らない人の方が多い。
ぼーっと上を向きながら、今日の出来事を思い返す。

ころすぞ!
いないほうがいい!
おかしい。
ようちえんにくるな。

で、嘘の記憶を埋め込んで口止めの約束をさせる先生。
なんて醜悪なのだろう。
自然はこんなにも綺麗なのに。
その落差の激しさに、急に吐き気を催し、その場でゲーゲーと嘔吐した。
これがストレスか、と初めて実感した。
気持ち悪さが収まらず、その場に座り込み、喘息の発作がくることに怯えながら咳をしていた。

ンナー。

後ろから声が聞こえた。猫の鳴き声。
俺は急いで振り向いた。
体の表が黒で、腹部は白、足も黒だが足元だけは靴下を履いているように白い、少し大きめの猫がすぐ近くに座っていた。
小雨で毛がしっとりとしているように見える。

だれ? はじめまして。

そのオセロ色した猫に話しかけると、何も返事をせず、すくっと立ち上がりこちらまで来てくれた。
頭を撫でる。見た目通り、しっとりしていた。
毛並みはとても滑らかで良い。育ちが良い猫なのだろう。飼い猫かと思ったが、首輪なども見受けられない。野良の綺麗好きか、捨てられたか。

俺の体に身を預けて、ゴロンと寝転び、撫でていいよと言わんばかりに目を瞑った。
人懐っこい。あったかい。
ずっとゆっくり撫でながら、今日あった出来事をつらつらと話していた。
猫は何も言わず、ただ黙って聞いてくれていた。

あめまだやんでないけど、ぬれててへいき?
おうちあるの?

ンナー。

にゃーではない。独特な鳴き声で返事をしてくれる。不思議な猫だ。
黒色が多いから、名前はクロジと呼ばせてもらおう。

ありがとねクロジ。

ンナー。

へんなねこだね。でも、へんだけど、こわくないよ。
ぼくはへんだから、こわいんだってさ。
まだまだわかんないことだらけだよ。

ンナー。

気付けば17時を知らせるチャイムが鳴っていた。
ああ、帰らないと親に怒られる。
俺は立ち上がり、伸びをした。
クロジも真似をしたのかぐーんと伸びをする。
面白い猫だな本当に。ムハンマドやダヴィンチや偉人たちがメロメロになってしまうのも分かる。

クロジは家までついてきてくれた。
じゃあね、ここまできてくれてありがとう。
と言いながら撫でて、踵を返し玄関を開けようとした。が、引き戸が開かない。鍵がかかっている。
親は家の中にいるはずだからチャイムを鳴らした。

しばらく待っても出てこない。
もう一度鳴らす。

ガラッと勢いよく戸が開いた。
そこには母親が立っていた。
いきなりビンタされた。

こっちは寝てたんだよ!
二度もチャイム鳴らして起こすなんてどういう神経してんの?
うわっ、頭も服もびしょびしょ。何で?
靴もびしょびしょだし、洗濯物増やさないでよ。
風邪でも引いて、こっちにうつさないでね?
ほんっとにバカで迷惑だね。

親。家族。大切にした方がいいもの。
大体の本には、そんなことが書いてあった。
親には無償の愛がある。
優しさがあって、包み込まれている。
思いやりがあって、常に守られている。
気付かぬうちに。
愛って何だろう?
言葉に含まれているものなのかな。
行動で示されるものなのかな。
優しさはビンタなのかな。
思いやりって罵声なのかな。
家にいても、外にいても、人と関わっていても、分からないことだらけだ。
不思議だなぁ、クロジを撫でながら話を聞いてもらっていた時は、愛も優しさも思いやりも享受していたような気分だったのだけど、あれは違う感情だったんだろうか。
家の中で着替えて、タオルで頭を拭きながら、そんなことを考えていた。

ヒトは醜い。ヒトは怖い。

この日を境にどんどんと、その思いは増長していく。

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