見出し画像

最適な家族なんて存在しない【第3話】 笑えない女

フリーライター・早島チサ43才、独身。政府主催の親子マッチングプロジェクトに不正があると疑い、参加することで真偽を確かめようとした。「親」としての役割が振り分けられ、17才の少年との共同生活がはじまる……はずだったが、そうはならなかった。

なぜなら「息子」として指定され、「家」で待つ保取コウジは、もうすぐ還暦を迎える男だから。

出会ってしまったよ、その一。

 長い長い商店街を通り抜け、チサは指定された「家」にたどり着いた。

 古びたレトロマンションの一室。

 マニュアル一式と一緒に送られてきた鍵でドアを開いた。玄関で半乾きの傘を折り畳んでいると、奥から先客がひょこっと顔を出してきた。

「あ。こんにちは。時間ぴったりですね」

 抑揚の抑えた淡々と、しかし心地良く、柔らかく爽やかな声。

「はじめまして」ではないけど、初めての挨拶。

 これから3ヶ月間、チサの「息子」として共同生活を過ごす男の子——のはずだが。

 どう見てもおっさんだ。

 美声のおっさんだ。

 挨拶も表情も何も、マスクをはずすのも躊躇した。

 この人がどうしてこんなところに——と。チサはまず自分の目を疑った。

 清潔感のある身なりに、いかにも若々しくシュッとした体型。丸い目は大きい。パーツバランスだけ見ると、間違いなく童顔に振り分けられるタイプ。

 残念ながら、ほうれい線の自己主張があまりにも強すぎる——くっきり出るほうれい線を注目しなければ、これがまた不自然なほどシワの見当たらない顔。

 おまけに肌質は白くてきれい。

 日々スキンケアに励んだ成果であろうか。

 しかし、広い襟ぐりから見える首元や、黒い七分袖から伸びている両腕まで、やはり歳月の刻んだ痕跡が隠しきれない。

 おっさんだ。

「老けた男の子みたい」なども言おうと思えば言えなくはないけれど、基本おっさん。

 おっさんでしかない。

 疑う余地なんてカケラもない。

 若作りのおっさん以外——性転換した若作りのおばさんぐらいしか可能性がない。

 ありえない。

 笑えない。

 ◇

 机に置いてある器具一式を巧みに使い、おっさんは慣れた手つきでコーヒーを淹れてチサに差し出す。

「どうぞ」

 こちらの砂糖やミルクはお好みで入れてくださいねと言い、続いて自分の分を淹れはじめた。

 角砂糖。今どきめずらしい。

 室内を見通せない玄関から、中に入って少し左奥にある長机へと案内され、入り口を背にして座ることになった。普通にはダイニングとして使うスペース。

 右手にシステムキッチンが見える。壁付けで収納棚も多く、見た目使いやすそうなデザインだが、真っ赤なタイルが覆うキッチンパネルが目を引く。調味料の瓶や調理道具の類はざっと見で一切見当たらないが、作業台からシンク周りは大量なお酒のボトルが置いてある。

 お互い今日からここに入居予定なのに?

 すでに誰かの住処——でも生活感のなさから、どちらかというと事務所か、あるいは仕事部屋のようだ。

 さっきから座らせていたのも明らかに会議用イスで、ミーティングテーブルの向こうの壁に何も書いていないホワイトボード、上にプロジェクター用のスクリーンが見える。

 おかしすぎる——怪訝そうな視線で部屋を見回すチサを、おっさんは終始うすら笑顔で眺めていた。

 まるで仕掛けが首尾良く運んだのを楽しんでいる、悪戯っ子のように。

同情するなら金をくr……あ。いいえ、なんでもないです。ごめんなさいご随意にどうぞ。ありがとうございます。