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過去が成仏しゼロになる身体が受信するワクワク感は今までのそれとは全く別物。

東京暮らしサラリーマン後期。
わたしは、いろんな要因で、生活も精神衛生もむちゃくちゃだったせいで、
心身共にぶっ壊れて一時起動不能になったのだけれど

ここでも口では、綺麗事を宣って「自分の働き方のせいで・・・。」と言いながら、その裏にあるのは、だいたい自分じゃないひと・環境・もの、のせいにしていたので自分のスキルをどうにかするという思いつきや努力や計画という頭よりも私の目的は「いかにして働かずに暮らしていけるか」
というところにスイッチした。

当時、3.11以降の第二次移住ブーム。
ブログを書いて生計を立てている先輩移住者などに傾倒したのが、いろいろのはじまりだった。

どうやってお金に依存せずに生きられるか。たしかこの頃はモーリーとかのブログを読み漁っていたと思う。
電力に依存しないくらし。オフグリットな暮らしをどう実現するか。

サラリーマン=悪・汚れ。お金=悪・穢れ。というレッテルを勝手に貼っていた。
はい。矛先がだいぶ間違っています。

「や、もうちょっとこうしてたら、幸せに暮らせていたはず」
という今までの暮らしや周りの人を否定せず調和する方向の考察を選ぶことをぶんなげて、
全てのサラリーマンが私の敵のような形にして東京を後にした。
まあ、無意識で、なんですけど。いい人ぶってますからね。笑

そもそもこの時点で「冷静」ではなくて「逃げる」方向に意識が向いていたということが今になってわかる。まず不自然だよね。置かれた環境で爽やかに問題解決できてない。もうネガティブなエネルギーでしか、動いていないんだよ。そこまでの自分の生き方の問題点にたいして全く見ようとしてない。怖くて苦しくて体をこわばらせて、問題に蓋をした状態で爆進してるだけ。それも、身体が動かない中で目一杯、息ができる場所をもとめて縋っていた姿だったと思う。0か100かで舵を切ることの危険性も全くみれてなかった。

というわけで今。

そんな私を見かねたメンバーが、森にアサインさせ
「マリオカートで道から落ちた車が引き上げる」みたいな形で
私をここに降り立たせてくれた。

「恨みつらみで爆進して、世の中に迷惑かけてんじゃないよ。
自分のスキルつかってちゃんと生きやがれ。」

と、ひとみーるから愛の鞭をうたれまくり、ここにいる。

自分が持っているクリエイティブな能力をしっかり世の中に還元しなさい。
ちゃんとお金をかせいで自分の力で生きなさい。

それをこの1年で教えてもらっている。
お金=悪
クリエイティブ=自分はぜんぜんできてない。
自分が撮る写真も世の中にとってぜんぜん必要ない。

って楽しい努力もせずに無意識のどこかでおもっていたからね。

いろんな思考の歪みをこの1年かけて本当に矯正してもらった。
まだ、道の途中。

道の途中だけれど

ひとみちゃんをはじめ、みんなのちからを借りて、
矯正が進んだ今は、
だんだんと、
自分の中の「過去」が成仏して
こころにかかった黒いモヤは晴れて
朝、深い呼吸で起きられるようになった。
そうして身体がぐんぐんん軽くなっていく。
どんどん気持ちよく走れるようになっていく。

さあ、これから、どんな人生を生きよう。と
ドキドキとニヤニヤが止まらない。



過去と今と未来
人の人生に関わらせて
いただいていて
思うのは
人は自分の未来
=可能性を観ない
生き物なんだな
ということです。
というのも
私がみなさんに
「こうしてみたら?」
と新たな道を
提案するときには必ず
その人の
『伸びしろ』を観て
そこを伸ばした時に
どこに到達できるか?
を考えて
そのうえでの
提案になっています。

しかし提案された
多くの人が
「なぜ私にそれを?」
とまず疑問を抱き

=未来と可能性
自分の伸びしろが
観えていない

「できませんよ。
だって…」

と過去のトラウマや
今の状態を
できない理由として
説明してきます。

ここで起きているのは
双方の言い分は
間違っていないが
観えている範囲が
異なるという点です。

また私が観ている
伸びしろの欠片は極力

他の普通の人が観ても
観えるくらい
すでにしっかり姿を
表し始めている
ものから伸ばそうと
提案を始めます。

その方が確実なので。

つまり
私にしか見えないレベルの
可能性ではなく
誰が観ても
「あれ、いけそうじゃね」
という可能性で
あるにもかかわらず

本人だけには
絶対に観えない
状態になっている
ということです。

またその状態を
さらに詳しく触っていくと
「観えない」のではなく
『観たくない』のだ
ということがわかってきます。

そんなこと言わないでくれ
考えないようにしていたのに

そんな声がいつも
どの方からも
聴こえてきます。

だから観えないのではなく
ご自身の意思で
観えないようにして
あったというのが
事実なのでしょう。

このように
自分の可能性を観ず
過去と今だけを観て
生きていきたがるのが
人という生き物です。

これをエネルギー的には

過去をベースとした
未来に置いていかれる
もう1つの渦に
巻き取られる動きと
表現することが多いです。

未来の可能性を伸ばす渦と
過去をベースに
収束してくような渦
これらは別方向に
移動する渦なので

やがて双方が重なり合う
ことはなくなる
運命にあります。

人は「未来を創る」
と言いながら
その大半が過去に引き戻る
渦を好んで生きる
生き物なのです。

貴方は未来の可能性に
挑戦していますか?

過去をベースに判断し
挑戦を断っていませんか?

まだ見ぬ未来を
創っていくためには
自分が過去に囚われて
判断している場合では
ありません。

金子ひとみの言葉より



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