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「自分の中心」という静かな場所で「世界のために」生きていく

「自分の中心」という静かな場所で「世界のために」生きていく

失敗するから怖い

怒られるからやりたくない

やってもどうせ結果がでない

こわいこわいこわいこわいこわい

といって、縮こまってる時間の長いことよ。

1日の中で。

それをそろそろ卒業しましょう私。

・・・

自分がチャレンジして、やったこと。

全力でやった結果が失敗だったとしても

そこにある信念が

「自分を信頼していて」

「絶対にこれを成し遂げる」

というものだったら

その結果に対して

・・・

「うわ否定された死にたい」=事実を薄目で見るだけで直視できない

「また失敗しただからどうせ私何してもダメなんだ」=卑屈街道まっしぐら

「もう何もいわれたくない」=コミュニケーションを諦める

・・・

という悪玉菌なんて、

からりと秋の空のようにお掃除して

「へでもねえっちゃ!」と言って次に進めるんだと思う。

なんならその失敗さえ

次のチャレンジの肥料になり

良い発酵を促進し

芳醇な深みになる

【絶対成し遂げる】

わたしはこういう人間になる、こう言うことをやり遂げる

だからそこに向かって時間を費やしたい

そう決めたなら

なりふりかまわず進むだけだ

パニックになっている暇もないし

アホなことに時間を費やしている場合じゃない

自分がやるべきことだけに、集中するだけ

・・・

自分自身の経験則と、ひとみちゃんから言われていることを

合わせて咀嚼すると「なるほど」と思うことがあって。

自分が「お 腐 れ 様」になった時のための備忘録としてもここに記しておこうとおもう。


みんなに認められたいから、きらわれたくないから、と

いう欲求が素地になって行動する時

あきらかに、わたしは「鼻息が荒くなる」。

やるっす!!!わたし、地球のためになりたいっす!!!

みたいな怪しい営業会社の人・および・体育会の誰なの?というあやしい人・および・売れないオンナ地下芸人みたいになる。

そこに「冷静な判断」と「メタ認知」(=行動している自分を客観視し、分析する認知。幽体離脱して上から魂が自分を眺めてる、みたいなイメージ。)

は、不在。なので、選択と判断のハンドルを常に

正気じゃない状態で行っている。酔っ払った人に運転を任せている感覚。

おそらく、私ではない人で、魂からそういう資質の人

(怪しい営業会社の人・および・体育会の誰なの?というあやしい人・および・売れないオンナ地下芸人系)がいるならば

そこに違和感はないのだろう。そこで完全調和が生まれていくのかもしれない(イメージつかないけど)

しかし、私の資質、本質はおそらくそういう

「やるっす。うす。はあ、はあ・・・(息切れ)」みたいな人ではなく

もっと冷静で計算して想い馳せ、計画し、実行する人なんだと思う。

だからこれまでの生き方では無理があるし、その自分で生きると破綻する。

いままで、世界からわたしへ、そのような(女芸人としての)需要があって

「おちゃらけて」

「鼻息荒くして」

「誰よりも先に多くの仕事を取りに行き」

「誰しもの笑顔を作りに行くひと」

というキャラクターを演じなくてはならないと

勝手にキャラ設定を自分でしていたので、

正直、冷静で計算がしっかりできてほほえんでいられるような人間であると

全く思っていなかった。

でも明らかに

くらしや身の回りを

清潔にして

静かに佇んで

いい香りをかいで

姿勢正しく座って

にっこり笑っていた方が

わたしは

健康でいられて

ハートの部分が柔らかく、あたたかく、甘く、

お腹の部分が、強く、しなやかに、深く

幸せにいられる

そんなふうに感じる

この「ニュートラル」で、世界のために

どうやって生きたら。が、できたら、きっと疲れ知らずでにっこり柔らかく微笑んで

いいちからの加減で働いたりできるんじゃないかと思っている。


苦しみというものは
自分で抜けるものです。

よく勘違いをされる
のですが

苦しみや悲しみ
憤りなど
人々の中に巣食う
こういったものたちは

全て自分の手で
祓い取らないといけません。

あまりにも
自分の力で抜け出す
ことができず

周りの方への
影響が大きすぎる
(酷いことをする)
場合にのみ

外部より
その苦しみを祓える
サポーターが
現れるだけで

その支えによって
一時的に
まともな意識を
取り戻せたのであれば

すぐにサポーターは
その場を立ち去り

そこからはまた
自分で自分の
暗闇を分解する
時間が始まります。

『自分を苦しめる
本当の原因は
自分の中にある。』

この本質があるからこそ
人は己に向き合い
自分を苦しめる
自分のマインドに気づき

それを祓い取る
努力をしないと
いけません。

苦しみを外の誰かの
せいにしてはいけない。

誰かに助けてもらおうと
してはいけない。

私がそう教えるのは
それがダメと言いたい
のではなく

それは最終的に
本当の意味で

自分の内から苦しみを
全て祓い取れる
ゴールにつながらない
道になってしまう
からです。

ではその自分の苦しみを
分解する道は
いつ終わりを
告げるでしょう?

暗闇を抜けるサインは
『外側から指す
光の存在が目に入る
ようになってきた。』
です。

人は自分が苦しい時ほど
外側の人々の気遣いや
地球の美しさが
目に入らなくなります。

自分の心の内や
自分の周りにある
ネガティブなものばかりに
目が行ってしまい

それによって
さらに自分の暗闇を
自分で増幅させて
しまいます。

しかし苦しみを生み出す
自分のマインドに向き合い
それらの分解が進むと

その目は自然に
外側に在った
美しい存在の
光を検知するように
なっていきます。

例えば

自分が苦しい時
その自分にアレコレ言う
両親の姿が
うるさい存在にしか
感じられなかった。

一番苦しい時期を
超えてふと

そのアレコレが
彼らが一生懸命
自分を苦しみから
脱出させようと
努力してくれていただけで

それをやるのは大変なのに
それでも
抵抗する自分に対して
一生懸命
努力して向けてくれた
愛がそこに確かにあった

ということに気が付く
という感じです。

その事実がストンと
受け入れられる状態こそが
自分の暗闇に
向き合うことが
終わりに近づいたサインです。

そこで初めて人は
本当の浄化を体験します。

この世に本当の
愛があったことに
気づく人もいます。

―――――――――

人のもつ苦しみとは
己が生み出すもの
であり

その己に対して
降り注ぐ愛は外側に
あるのにも関わらず

自分で作った
苦しみの殻の中
にいる間は
その存在に気が付かず

その外側のものを
拒絶したくなる

眩しくて目を
向けられなくなる。

自分に向き合い続け
自分で自分を
苦しめていたのだという
事実に気づき

その1つ1つを
見直していくことで

やがてその外に在る
自分のことを
思いやり続けてくれた
光の存在に
目が向くようになる。

その先の物語が
光さす本当の物語。

人は自らが生み出す
苦しみによって
外側の愛が観えなくなる
生き物である

という物語です。

多くの人が
この暗闇を抜け出せる
ことを願っています。

外側のサポーターより
愛をこめて。

金子ひとみの文章より




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