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山口県長門に移住する(120): 普通って何?

Radwimpsの「最後の晩餐」に

今日もどこかでしゃがれ声は言う
「近頃の若者は、、、」
きっといつの世も老いぼれはそう、
かれこれ何世紀前から

という歌詞がある。

自分たちの価値観だけで、
若者を批判する大人を
逆批判してるわけだ。

歌はこう続く:

普通って何なの?
どこにあるの?

私は老いぼれに近いが、
この詩を書いた
ずっと若い野田洋次郎に共感する。

「あなたたちが、偉そうに振りかざす、
「普通」の根拠と価値を
教えて欲しい」
と、思うことがしょっちゅうあるから。

何故、
そう感じるかというと、
学びや経験を通して、
育んできた私の智慧や価値観と
彼らの「普通」が
かけ離れているから。

野田洋次郎も同じことを
言っている。

60億個の当たり前の中で、
365個の出逢いの中で、
僕は作ってる、
大事にあっためてる
吹き飛ばされそうな
その一個を
今も育ててる

その私が、
「近頃の若者は、
訳が分からない」
と、思うことが増えた。

それは、彼らが、
普通でないわけでも、
常識外れなことをするから、
でもない。

彼らの一個が見えないから。
私に見える「芯」がない、のだ。

かすかに見えてきた
彼らのロジックは、
「奪った者が勝ち。
奪われる方が悪い」、
「勝つためには、
誰かが不幸になっても仕方がない」

優しそうな顔をして、
微笑んで、
そんなことをする。

得体が知れない。

でも、
考えてみれば、
日本という国が、
同類の人間に牛耳られているから、
彼らが「普通」
なのかもしれない。

私には理解できない
普通人。

老いぼれは、
静かに去ろう。

吹き飛ばされそうな、
その一個を
最後の日まで
育てながら、
守りながら。

でも、
マケルモンカ。

(タイトル写真:お誕生日に頂いたお花と、来年には高齢者の元気な老いぼれ(^◇^;)

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