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山口県長門に移住する(34):幸子さんのこと

初めて、幸子さんとお話しした日は、
小雨が降っていた。

私は、傘が嫌いで、
少々の雨なら、傘を差さない。

イギリスなら、ごく普通のコトだが、
一滴でも雨が降ったら、
即、傘を差す日本では、
「異端」らしい(^0^;)

その小雨の日に、
郵便局の前で幸子さんに会った。

私は、すぐ「あの方だ!」と分かった。

以前から、聞いていたのだ。

90才をとうに過ぎているのに、
自宅から離れたまちの湯に
歩いて通うご婦人がいる。
とっても品が良くて、
美味しいパンを焼かれらしい、と。

その日、幸子さんは、
小包を乗せた小さなトレーラーを引き、
もう一方の手で、傘を差してらした。

私と目が合うと、
「傘、ないの?」
と、子どものような瞳で
小首をかしげて尋ねられた。

あんまり可愛らしいので、
私は、ドギマギして、言葉につまり、
ただ笑って誤魔化した。

その時は、それだけ。

数日後に、又、偶然会って、
お茶に誘って頂き、
それから、お付き合いが始まった。

お話ししてみると、
私達には、いくつかの共通項があった。

幸子さんがスイスを旅したことがあること、
私が暮らしていたヌシャテルの隣町
フリブールに、お嬢様の親友がいらっしゃること。

私がずっと受けたいと思っていた
野口整体の操法を、もう何十年も
受けられていると聞いたときは、
とても驚いた。

しかも、幸子さんは、
あの伝説の野口晴哉先生から、
直々に愉気(ゆき)を習われた。

95才にして、スマホをお持ちで、
ラインもフェイスブックもなさる。
好奇心旺盛で、新しいことは、
何でも見たいし、試してみたい。

私の帽子をちゃっかり被り、ポーズする幸子さん

あんな風に自然に、しなやかに、
歳を重ねられたら素敵だな、と思う。

巡り会えたご縁に日々感謝している。

その幸子さんが、ご自分のことを私の
「湯本の母」と仰って下さる。

この上なく、嬉しい。

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