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#6 Video Hosting Service(6章全文掲載)

 今日の目覚めの一杯は、ブラジルのニブラだ。

 酸味と苦みのバランスが程よく、まだ眠気のある身体には心地よく沁みる。

 時計に目をやると、6時15分だった。早朝からミルを使って挽くのは気が引ける。萩中と中岡はまだ寝ているだろう。今朝は粉でのドリップになりそうだな、そう思いながら、金丸はキッチンに続くドアを開けた。

 「おはよう」リビングの奥から声が聞こえる。中岡の声だ。
 「驚いたな。寝てないのか?」
 「いや、仮眠は取ったよ。深夜の間に応募が来るんじゃないかって思ってさ。今後に向けての資料をまとめたりしながら過ごしてたよ」
 「メッセージはあったのか?」
 「残念ながらね。今日中に最低でも11人揃えばいいけどね」
 「そうだな。焦らず待つだけだな。コーヒー飲むか?」

 金丸は中岡が頷いたことを確認し、ドリップパックに2人分の粉をセットした。普段はあまりTOKIWAに宿泊することはない。クラブ代表が頻繁に顔を出して、居住者がリラックスできないようにはしたくないと考えていた。今はまだ萩中と中岡の2人だけだが、入居者が増えてくればなおさら宿泊の回数は減るだろう。だが、今日に限っては別だ。プロジェクトの命運がかかっている。

 金丸は、ハンドドリップでコーヒーを淹れながら、キッチン越しに中岡の姿を見た。少し前かがみになり、デスクに肘をついて掌に顎を乗せる姿は大学院生の時のままだ。あの時の中岡は、今よりもはるかに口数の多い男だった。自分の考えや思いに対してストレートで、言葉に説得力があった。そして、何よりも、好奇心が旺盛で、教授たちが驚くほど幅広い学問知識があった。決して人にひけらかすようなことはしないが、ゼミや授業のプレゼンテーション発表では群を抜いていた。

 しかし、再会した時の中岡は、以前の様子とは少し違っていた。テクノロジーの利便さや可能性を説いていた彼は、ニュースマートホテルの環境に戸惑いを見せた。それだけでも、彼が5年間の間、どれだけ外界との接点を遮断し、家族と向き合ってきたのかが痛いぐらいわかる。本当に彼に声をかけて良いのか。自問自答することもあった。

 だが、彼はここへ来た。最後は自らの意思で、TOKIWAに住むことも決めたのだ。自分は中岡の指導者としての可能性を信じている。彼の心の奥に眠る言葉を引き出すことができれば、きっと人々は魅了されるはずだ。そして何よりも、様々なものを掛け合わせて、新しいものを創りだす力を彼は持っている。それは、自分にはない、素晴らしい能力なのだ。

 「コーヒーが入ったよ。トーストでも焼こうか?」金丸が中岡に問いかける。
 「ありがとう。いただくよ。ちょうど資料作成もひと段落ついた」

 中岡は椅子から立ち上がり、カーテンを開けた。外はまだ薄暗い。

 これから始まる大きなうねりを予感させるような、とても静かな暗さだった。



 アプリで注文した出前が到着した。自転車で配送に来た青年は、オンラインフードデリバリーサービスでは珍しいほど愛想がよく、明るい笑顔で商品を萩中に手渡した。

 商品を受け取り、「ありがとうございました」と元気に発しながら去っていく青年の姿を目で追った。
 悪くないな、萩中は、ぼそっと呟いた。

 商品をダイニングテーブルのうえで開け、それぞれが注文したものを持っていった。普段は近くの定食屋や自炊で済ませるが、今はパソコンから離れられる状況ではない。金丸も今日の夕方まではリモートワークだ。
 11時半と、昼食には少し早めだが、3人はパソコンの画面に向かいながら、少し厚めのハンバーガーを口へと放り込んだ。

 「今現在で合計何人だ?」ソファに座っている金丸が、身体を横に向けて中岡に訊ねた。
 「12人だな。なんとか11人以上は確保できたよ。22人までいけば紅白戦ができるけど、難しいかもな」
 「金丸さんが言ってた通りですね。実際に行動に移す人数は少ない」萩中は金丸言葉を回想しながら伝えた。
 「ああ。本当は予想を裏切ってほしかったけどな。こればっかりは仕方がない。でも、だからこそこうしたプロジェクトを行う意義があるんだ。自分で決められる人間が、世に出て活躍する必要がある。ただ、極端に偏った考え方は危険だ。自分の言葉を自分で妄信してしまう恐れがあるからな。自分に疑いがない人間というのも厄介だ。そのあたりも俺たちが伝えていくべきことだ」金丸はパソコンを打つ手を止めて萩中に言った。

 「バランス感覚ですね。僕にはまだ難しいな・・・」
 「大丈夫。経験がバランス感覚を養ってくれる。ただ、必要以上にバランスを意識しすぎると、今度は個性が無くなってしまう。自然体なままに他の価値観を受け入れながらも、柔らかい芯を持っておく必要があると思う」

 中岡は二人の会話を聞いて、心が躍った。今全国から集まってきている選手たちに、こうした話を聞かせてやれると思うとワクワクする。

 考え方が変わらないと、サッカーも変化してはいかない。中岡は常にそう思っているからだ。どんな業界でも、ベテランの経験は優遇される。経験を重ねることで精神的にも落ち着き、仕事の精度が上がり、周囲を見る余裕が生まれる。
 若い頃からベテランのようなマインドを持つことは可能じゃないのか。中岡はいつもそう考える。物理的な経験は時間を必要とするが、考え方のフレームワークや精神的な熟達は、競技を経験する以外でも形成することができる。それがやがては競技力の向上にも繋がると信じているのだ。
 どうすればそれが選手に身につくのか。大学院当時に指導していた子どもたちの中に、答えを見出すことはできなかった。だからこそ、今はその続きを模索したい。


 締め切りの30分前になった。15人目の選手の志望動機は、少し変わったものだった。

 中岡は2人に内容を伝えた。親の都合で2年間スペインにて過ごし、現地のチームにも所属していた、と。日本の新年度に合わせて親が駐在を終えるため、今月に帰国したらしい。JPリーグチームのセレクションも終わっており、チームを探していたところ、Cyber FCに興味を持ったとのことだ。

 「名前は青坂慶。今は北海道に住んでいます、か。身長も前島空翔に次いで大きい。180cmだってさ」
 「北海道か。これぞリモートコントロールの為せる業だな。スペインでの経験もあるのか。それは楽しみだな」
 「18歳未満の子どもは海外でプレーできないんじゃなかったでしたっけ?」萩中が金丸に訊いた。

 「いや、サッカー以外の理由で家族とともに引っ越した時は可能なんだ。それ以外でも、公式戦は出られないが、チームに所属しているケースはたくさんある。俺の友人の子どもも、現地でトレーニングと練習試合だけでプレーして、18歳の誕生日を迎えた時にベルギーのクラブに移籍していったよ」
 「そうなんですね。色々なケースがあるんだ」
 
 萩中は以前から金丸の話を聞いては、スペインへの興味が増している。15年前のワールドカップ優勝以来、主要な国際大会での上位進出はない。しかし、きめ細かく整理されたサッカーに関する考え方は、まるで学問のようだ。金丸は、それがすべてではない、と、よく口にするが、萩中の興味は尽きることがない。

 青坂慶の応募を悦びつつも、嫉妬に似た感情を抱きそうになる自分を、萩中は必死で抑え込んでいた。



 パソコンのアラームが鳴った。

 時計はついに13時を指した。締め切りの時間だ。最終的な応募者は16人にのぼった。紅白戦はできないけど、上出来だ。金丸は笑い、二人に掌を向けた。中岡と萩中は雄叫びをあげながら、勢いよく掌を重ねた。

 「まずは最初の1歩目を踏み出せた。ありがとう。2人には隠していたけど、正直言ってクレームの電話やメールがなかったわけじゃない。中には脅しのようなものや品性を疑うようなものもあったよ。みんなに納得してもらえたかはわからない。今でも訝しい眼で見られているという自覚はある。ただ、こうして集まってくれた子どもたちがいる。彼らには何の責任もない。会見でも言ったけど、責任はすべて俺にあるんだ。だから2人は、子どもたちの未来のことだけを考えて、安心してついてきてほしい」
 「もちろんだよ。実は俺も隠していたけど、平沼教授から電話をもらっていたんだ。金丸くんの挑戦は応援したいですが、あまりに突拍子もないアイデアで驚きました、ってね。でも、俺がその意義を説明したら、理解してくれた。最後は、金丸くんらしいですね、って言ってくれたよ」
 「そうだったのか。気遣ってくれてありがとう。俺からも改めて平沼教授には連絡しておくよ。よし、さっそくMETUBE動画を撮影して、選手たちに配信しようか」


 ネクタイを締めた金丸の表情は、緊張感を保ちつつも、どこか晴れやかに見えた。恐らく、安堵感からだろう。いくら修羅場をくぐってきた名手とはいえ、プレッシャーの種類が違う。人を抱える責任は重いのだ。証明の明るさを調整し、金丸はカメラに向かって話し始めた。

 「こんにちは。金丸健二です。個別に返信させていただきましたが、改めまして、11Gに参加して下さり、誠にありがとうございます。この度、全国から合計16名の選手が集まってくれました。どんなメンバーが集まっているか気になるところでしょうが、来週末までのお楽しみにしておいて下さい。ただ、一つだけ言えることは、とても愉快な仲間が集まったということです。みんなは自分の意思の下にここに集結してくれた、そう信じています。意思の強い集団は奇跡を起こせると、皆さんで証明して下さい。私たちはその手助けしかできませんが、皆さんが実力を伸ばすために全力でサポートすることを約束します。皆さんがもし一流になりたいと思っているのであれば、約束を守ることを大切にして下さい。人との約束を守ることはもちろんですが、自分との約束を守ること。これがなかなかできません。だからこそ、自分の意思でここに来た時の気持ちを忘れず、自分との約束を守り続けて下さい。お互いに約束を守り、信頼感を高め、一流を目指しましょう」金丸は短めの挨拶を終え、一呼吸置いた。

 「今後は、murmurarでもお伝えした通り、リモートでの学習がベースになります。こちらから毎日動画を配信するので、必ずチェックするようにして下さい。動画は最大で30分、内容はサッカーだけに限らず、幅広くお伝えしようと思っています。限定公開のものに関しては、他の人の目に触れることがないよう、扱いには十分に注意して下さい。では、チームの監督であり、動画における講師を務める者を紹介します。中岡武です」


 ネクタイは金丸と同じターコイズブルーに統一した。現在発注している、ユニフォームのカラーと同じ色だ。知性、創造、柔軟性、自由といった意味を持つことが、Cyber FCのコンセプトにマッチした。中岡は、画面に入る前に少しだけネクタイの結び目を触り、姿勢を正した。

 「初めまして。ご紹介に与りました、中岡武です。私から皆さんに伝えたいのは一言だけです。『変わらないために、変わり続ける』ということです。恐らく意味がわかりにくい言葉だと思います。それでも大丈夫です。我々とこの1年間を共にした時に、きっとその意味の奥底にあるものを掴んでもらえると信じています。私は元日本代表でもなければ、プロの指導者の経験を持つ身でもありません。だからこそ、皆さんとの掛け合いによって、新しいものを産み出していく。そのために全身全霊を込めて、準備をすることを約束します。みんなで新しいサッカーを創りましょう」

 短い時間の中に、中岡の心で想っていることが凝縮された、スマートな挨拶だった。萩中が右手を挙げる。カメラのスイッチがオフになった。金丸は中岡の方を見て言った。

 「改めて、お前をここに呼んだ意味を、俺自身が理解できたよ」
 「ありがとう。少しずつ言葉になってきたよ」と、中岡は照れ臭そうに笑った。


#7 Cloud Library   https://note.com/eleven_g_2020/n/n3d8e96aecfaf


【著者プロフィール】

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映画監督を志す小説家。日本が初出場を果たした1998年のフランスワールドカップをきっかけにサッカー強豪国の仲間入りを果たすためのアイデアを考え続けている。サッカーとテクノロジーが融合した物語、 11G【イレブンジー】は著者の処女作である。

Twiiter: https://twitter.com/eleven_g_11

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