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生死の境を目の前にして 〜西穂高岳 年末年始登山〜

進行方向には遺体が横たわっていた


2020年、元旦。

AM5:00 山荘を出た時はまだ陽は射しておらず、星空と高山市の街の光が遠く見える他はヘッドライトしか明かりは無かった。

気温はマイナス10℃

山荘の周りでは風は弱く、それでもアイゼン(靴爪)を装着する為に手袋を外した数分のうちに手が動かなくなってくる。

西穂高岳にはずっと登りたいと思っていた。これまでに奥穂高岳、北穂高岳、前穂高岳には登っていて西穂高岳が未登頂だった。

西穂山荘は通年営業だ。年末年始をここ数年山の中で迎える慣習にしていた私にはチャンスに思えた。

しかし登頂した時期は全て夏。冬の穂高は初めてだった。

高山へのアプローチ直前はいつも高揚感と恐怖感が同じくらいの割合で湧きたってくる。

身震いする。涙が出る。

一人きり、アイゼンが雪を踏むキシキシとした音を聞き暗闇の中を進みながらひどく緊張していた。

天気予報は最悪だった。前日、大晦日からロープウェイからみる景色は完全なホワイトアウトで元旦夜までは嵐の様相を呈していた。

しかし、元旦の朝9時までは絶好のコンディションだという。

4時間以内なら独標まで行って戻ってこれそうだ。御来光も拝めるだろう。

そう思っていた

山荘から30分程登った先の稜線上は穏やかな山荘周りとは別世界だった

強風がフードを被った耳を叩く

他には何も聞こえない

防寒用の目出し帽を装着していたが、ゴーグルは持ってきておらず睫毛が凍りかけていて瞬きがしづらくなってきた

今年は異様に雪が少なく、岩肌が露出した場所が多く薄く張り付いた雪を踏んでも岩がアイゼンの爪を弾いてくる。ピッケルの音も岩肌にすぐ当たる為ガリガリと不快な音が続いた。

怖い。

なんだろう、暗闇のせいだろうか?

ヘッドライトが照らしているはずの進行方向に何も感じない。

恐怖感以外に。

すっぽりと目の前に大穴が口をあけて待っているような

足が止まった。

止まった瞬間

これまでになかった突風が吹いた

フードごと帽子とヘッドライトが吹き飛ばされた

たまらず膝をついた

目の前は文字通り真っ暗になった。数m先に落ちているヘッドライトの光以外は何も見えない。拾わないと動けない。

ヘッドライトが落ちている場所が雪庇上だったらお手上げだ。天然の落とし穴の雪庇は人間の重みには耐えられない。踏んだら最期100mは落ちるだろう。

暗闇の中、四つん這いになりピッケルで雪上を叩く。

不快だったはずの、岩肌に当たるピッケルの感触が手に伝わり安堵する。まだここは踏んでも死なない。

そう、この時明確に死を意識した。

一気に恐怖感が全身を支配した。

痛みにも近いほど全身に力が入り身体が硬直していく

歩いている時は感じなかった冷気が、全身を蝕んでくる

死んでたまるものか

這いつくばりながら、腹の下に岩肌をぶつけながらヘッドライトの光に手を伸ばした。

ピッケルを右手で地面に突き刺しながら、左手でヘッドライトを掴んだ。

そのまま立ち上がらず、同じ姿勢のまま後退する。

帽子は見当たらなかった。恐らくはもう谷底に落ちたか空を舞っているのだろう。どのみち暗闇の中で探すのは無理だ。

もう先に進む気力は残っていなかった。

うずくまったまま、目出し帽の上からヘッドライトを付け直し、その上にフードを被って締めた。これなら簡単に飛ばされないだろう。

撤退する。

生死の境目が見える。

この先は行ってはならない。

これまでの登山歴で撤退はした事がなかった。

それでも悔しさも何も起こらないほど、とにかく戻りたいとしか思わなかった。

生きて帰るんだ。

山荘まで戻る道中、ほとんど何も考えなかった。

日の出も見えたが写真も撮っていない。

山荘に戻り、弁当を食べて帰路を行く中でずっとヘリの音が付いてきた。

見上げると、3時間ほど前に自分が居た辺りをヘリが滞空している。

すれ違う登山客が口々に言う

「落ちた」

結果的にこの推測は間違いだったが、山頂付近で疲労凍死した男性が見つかった。

自分の進路上、あの暗闇の先に力尽きた人がいた。

自分が同じ立場にいたかもしれないことに背筋が凍る思いでいる。

進むか、退くか?

登山に限らず、この先も生きていけば幾度も判断を迫られるだろう。

頭でわかっていても、撤退の大切さを身をもって知ったこの登山は大きな経験になった。


最後に、冬山登山はよく批判されるが彼らはみな命を軽視してはいない。

むしろ生きている実感をより強く感じ、日々を大切に過ごしている。

そして多くの人は覚悟を胸にまた登るのだ。

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