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小学生たちと焚き火や森遊びをした

2月終盤の土曜日のある日。

原村の森で子どもたちと焚き火をしたり、外遊びをした。

焚き火を囲んでお弁当

大人になって始めて小学生たちと遊んだ。
本当にいろんな学びがあった。

焚き火を囲みながら、みんなでお弁当を食べたり。
10-15時の5時間のプログラムだったけど、とても長くて充実してたな。
森の中で走り幅跳びしたり、隠された動物たちのカードを探したり。

都会だと警戒しちゃう

自然は、世代を超えるツールとして有用だ。
もし都会だったら小学生やおじいさんたちと出会っても緊張するし警戒をする。

例えば、ちょっと大袈裟だけど「新宿駅前集合で」って見知らぬ人と会う時、小学生だったら「誘拐」とか、お爺さんとだったら「詐欺」とか少し物騒なワードが脳内に浮かぶ。
お互いを騙そうとしているんじゃないかと勘ぐってしまう。

だけど、なぜか自然ならそんな人に対する怖さがあんまりない気がする。

こどもたちは賢い

森で焚き火用の大きな枝を拾った

小学生たちはかわいい。
だけど、自分より知能で劣ってるとか思えなかった。
算数とか歴史も得意で、暇な時に問題を出してくる。
「秀吉って羽柴秀吉だったんだよ」とか「日本で1番古い湖はな〜んだ?(答えは琵琶湖)」とかそんな大人も知らないようなことを言ってくる。
これは親御さんがかなり教育を頑張っているんだなとかも思うし、テレビのクイズ番組を浴びるほど見ているのかもしれないとか思ったり。

こういう場に連れてきてくれるだけで、子どもたちはすごくいい経験になっているよな。

愛犬との遊びが活きた

愛犬(チワワとダックスのミックス)

みんなで巨大なネットの遊具に飛びついて遊んだり、大きなブランコ乗った子たちの背中を押して揺らしてあげたりした。

かなり僕は懐かれた。

「おにいちゃん」とかそんなふうに呼ばれて、「一緒に〇〇しよ」とか積極的に誘われた。
どうして、子どもと関わる機会がなかった僕がこどもたちにも人気になれたのか考えたけど、一つ思いついたことがあった。

昔、愛犬とたくさん遊んだからだと思う。
気まぐれの愛犬はぬいぐるみ遊びが好きで、僕が小学生のころに買ってもらったポケモンのぬいぐるみと「バトル」をしていた。
当然、ポケモンを操る人間が必要で、僕がぬいぐるみの黒子をしてあげていた。
そこで”幼き者”との付き合い方を身についけたのかもしれない。

僕が小学生と関わる理由

地方のいいところは、「人の縁が永く続く」ところだと思う。
ここで僕が小学生の子どたちと関わっていれば、十数年後に彼らが大人になったときに僕と仕事で関わることがあるかもしれない。
また将来僕が所帯を持って子どもがうまれたときに、良きお兄さん・良きお姉さんとして息子・娘と関わってくれるかもしれない。
僕は埼玉に長く住んでいたけど、「埼玉を盛り上げたい」とかそういった気持ちは芽吹かなかった。
埼玉では孤独を感じていた。地域の人は僕がどんなに中学校に行けなくても苦しんでいても知らんぷりだった。
そういった思いを子どもたちにしてもらわないように、原村がいい村だと思ってくれれば、村の未来も明るくなっていくのではないか。

田舎で子どもたちと接すると、こんな長い縁が生まれると思う。
これが都会だと、進学就職してしまって全然違う道に行くと、連絡先さえなくなってしまうと2度と会うことが難しくなる。
田舎もある程度そういう部分はある。
だけど、僕が原村に居続ける限り、ブドウ畑で農業している限りは繋がりは完全に断たれない気がする。
幼少期の朧気な記憶のなかに、田舎の優しい青年のことが原体験として残れば上出来だ。

何より僕が楽しい

人と接すると「オキシトシン」が、自然の中で過ごすと「セロトニン」が脳内で分泌され幸せを感じる。
この森での活動は、この2つの脳内幸福物質がとってもよく出る。

焚き火を囲む時間が好きだ。
今までは一人でじっくり焚き火をすることも多かったけど、これからはみんなで焚き火をする良さを覚えた。