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多読しすぎで動けなくなった

読書のきっかけ

僕はもともと読書が苦手だった。
そんな僕が読書に積極的に取り組むようになったのは、大学1年生の頃に「大学生のうちにすべきこと」というブログ記事で読書が紹介されてたからだ。
あれからもうすぐ4年が経つ。
大学卒業も近づいてきた。
今では「1日1冊の読了」を目指して、毎日読書するようになった。(2020年当時)

読書しすぎの罠

しかし、悩みがある。
インプットしすぎると、頭の中で情報が渋滞する。
頭でっかちになる。
うまく脳内で情報が整理できなくなる。
やるべきことも手につかなくなる。
大学の勉強より自分の読みたい本を読み続けた結果、大学の成績は下がった。
毎日「なんの本を読むか」ばかり考え、防水の電子書籍端末を買い、湯船の中でも読書するようになった。
重症だ。
自分では賢くなったつもりでも、すぐには収入は増えない。
そして、生活に行き詰まる。
それでも読書という「すべき行為」をしている自分を正当化し、他の努力を怠った。

結局行動しなければ価値がない

どんなに賢くなったところで、それが生かされなければ価値がない。
悲しいがそれが現実だ。
どんなにいろんな調理法を本で学んだところで、実際に料理をしないと価値にはならない。
いろんな人に自分の料理を食べてもらわないと価値にはならない。
(ただし、価値にならないだけで意味はある。
他人が作った料理を食べているときに、どんな調理法で作られているか知っていると、深い味わいになる。)
頭がパンクして動けなくなる前に行動したい。
批評家にならず、批判される方になりたい。
(批評家は蚊帳の外からヤジを飛ばし、自分では創作をしない。
批評される側は少々否定されても自分の作りたいものを作る)

さいごに

この文章は2020年10月に僕が執筆し、iPhoneのメモ帳に保管していたものを放出したものである。
当時、僕は大学を休学し、福岡で一人暮らしを始めた直後であった。
現在は大学を復学し、長野県の標高1000mの村でワイン用ブドウ栽培をしながら、都内の大学に通う生活をしている。