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191 義足のように機能が最低限できていれば他のことを努力しない授業や学級経営はなんか嫌だな。

落合さんのこの言葉が、今日の僕はグッときた。
二宮)アイディアの生まれてくる瞬間やアイディアをつくるやり方とかってそれはどこを対象につくるの?
落合)最初対象の人はエクストリームユーザーって僕重要だと思っていて、どういう意味かというと世界に1人か2人、もしくは10人くらいしかいないけど、彼が必要なものが社会にとってやがて必要になるものである人という人はいるんですよ。たとえばそれが耳が聞こえない人かもしれないし、腕がない人かもしれないし、脚がない人かもしれないのですよ。一番いい例はパラリンピックで走っている人って義足かっこいいじゃないですか、カミソリみたいで。競技人口はそんなに多くはないし。彼が走るところで使われた義足は圧倒的に社会にインパクトがあるし、すごい難しい条件を解いている。100Mをすごい速く走るとか。そういったようなユーザー層を考えていると、普段、100万人が使うアプリケーションをつくろうとすると、ぶっ飛んだあいデェイア出てこないじゃないですか。つまり1人のユーザーとか10人のユーザーとか100人のユーザーが楽しいって言う条件の方がはるかにおもしろい。そういうところを最近よく見ている。昔はそういうエリアは見た目もそんなにカッコよくする必要はなかったし、機能が最低限できていれば他のことを努力しなかったじゃないですか。そこをカッコよくすることがカッコ良いのである、と僕は思っていて。そこに力を注ぐのと普段ではあり得ないような条件がでてくる。耳が聞こえない人が楽しめる音楽会ができたら、それはカッコ良いなって思う。耳が聞こえる人と耳が聞こえる人が一緒に観て楽しくする条件ってなんだろうって探してみたり、その方が耳が聞こえる人だけが集まっているよりも明らかにエキサイティングですから。
(文字起こしは、筆者)

授業づくりも、学級経営も落合さんのようでありたい。1人のユーザーとか10人のユーザーとか100人のユーザーが楽しいって言う条件の方がはるかにおもしろいという授業や学級経営に関心が向いて欲しい。義足のように機能が最低限できていれば他のことを努力しない授業や学級経営はなんか嫌だな。でも、世の中のそんな雰囲気を感じている。
授業に向き合ってくれないあの子たちの笑顔をつくりたい。ただ、それだけだ。