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マルグリット・デュラスの小説が頭をよぎり娘にピアノを買った

愛娘の誕生日がまもなくだ。
プレゼントは何がいいかなあと、色々と楽しく考えていた。

本人に聞くと、メルちゃんのなんだか仲良しハウスがいいと言う。ネネちゃんやアオくんもほしいらしい。でももうメルちゃんも持ってるし、家の中がかさばると嫌だなあと、大人心にいじわるな考えが及ぶ。

「ピアノどうかな?」と聞いてみた。
「ピアノいらない」「メルちゃん」と娘。

でも私は、娘とピアノを弾きたい、と密かな願望を持っている。
先日、娘を連れて行ったジャズライブで、娘はピアノやバイオリンに興味を示し、「ピアノやってみたいなあ」と話していたし、音楽に合わせて踊るのも好きだし、歌もよく口ずさんでいるし、好きなはずなのだ。

子育ては、どうしても親の願望がやはり見え隠れする。

そんなとき、突如と、私が敬愛する仏の作家・マルグリット・デュラスの小説が頭をよぎった。(ちなみに、私は大学で仏文学や映画をやり、卒論も彼女で書き、今でも影響を受け続け、機会がある度に彼女の墓参りに行きたいと思っている。来世があるとするならば、彼女とぜひ話したい、きっと友達になると思う)

日本では、「愛人」に次ぎ、彼女の著作の中では有名であろう「モデラート・カンタービレ」。その小説を私は思い出していた。

冒頭のシーンは、幼い息子のピアノレッスンで始まる。「モデラート・カンタービレ(適度に歌うように)」という教師の指示が分からない息子。その直後に主人公はある事件を目撃し、自らの内面と対峙していくことになるのだが…。

ストーリーは割愛するが、私は、娘には、彼女が小説家・映画監督として生涯をかけて取り組んだ「世界と自らの距離感を客観的に捉える洞察と思考」、そしてそんな知を巡るエネルギーを持ち合わせてほしいと思っている。要は「モデラート・カンタービレ」の意味を分からなくても、実践できなくても全然いいのだ。

しかし、ここでピアノに戻るのだが、ピアノをやってみないと、その「適度なテンポで歌うように」弾くことが、自分ではできるのか、できないのかすら分からない。そうすると、その小説の温度感を少々、そぐことになる。ぜひ、娘がもう少し成長したときに、私が好きな作家の本も少し読んでほしい。これも親の勝手な願望だ…。

ちなみに私も、幼いころピアノを習わされ、先生がとても厳しくて挫折した。(とにもかくにもバイエルやブルグミュラーの練習曲がきつい、つまらない…)
だけど、ピアノの音楽は大好きだった。とにかく、ピアノを買おう。
デュラスの世界を、娘にも体感させるために。と半ばこじつけた。

娘に色は何がいい?と聞いたら、「うーん、白」というので、
白の電子ピアノだ。楽器屋で少し試しに弾いてみたが、
最近の電子ピアノは、経済的で音もいいと、店員さん。そもそも電子音だから、アップライトやグランドピアノとは全般的に音は違う気がしたが、そもそも私たちの耳は電子音に慣れきっているので、違和感なし。

弾きごたえもそもそも全般的に違う気がするが、正直、弾き応えも、音の違いもプロでも音大生でも演奏家でもないので、
全く分からない。

そもそもピアノは高いのに、よく高度経済成長期の日本の家庭はよく買っていたものだと感心する。中流も中流の我が家にもあった。ピアノの先生の家は、ピカピカのグランドピアノだった。当時でいくらくらいしたのだろう。普通の友達の家にもグランドピアノがあった。
心も豊かな時代だったのかもしれない。

とても安くて音がいいな、となんとなく思ったアメリカのメーカーの電子ピアノを購入した。これでピアノ生活が手に入るなんて、いい時代。

これで、娘に久石譲さんの曲や童謡やアンパンマンの歌を弾いてあげたい。優しい音色と旋律の曲。一緒に歌ったり、踊ったりもできるといいと思う。





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