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★プロフィール★

Elena solea Fonsolum 
   (エレナ ソレア フォンソラム)
スターネームを思い出す(2023.4台湾にて)

宇宙の状況を学び、
世の中の本質を見極めつつ、
魂が求める道を歩み始めている。
2024.2 アカシックレコードリーディングセラピーをはじめる。



- 資格 -
 🌠(一社)日本ヒーリングサポート協会
   認定アカシックレコードリーダ―  
           HP   https://www.jahhs.com/blank-42
   🌠レイ・ヒーリング6種 取得
     (COBRAによるイニシエーション レベル2ヒーラー)
   🌠レイ・ヒーリング3種 取得
       (COBRAによるイニシエーション レベル1ヒーラー)


ここからはものすごく長~~い経歴です。
お時間と興味がある方はどうぞ❤

★幼児~小学校の頃
・幼少の頃から、いわゆる自覚のある
「落ち着きのない不思議な子」。
・家には居場所がなかった。
なんでここにいるのかが分からない。
・自分がいなくなったらどういう反応
をするかの実験をしたくらい。
(親はかわいがった、と言うし。
お世話してくれたと思っている。)
・周囲からは元気で奇抜な子と
みられていた。でも
 集団行動が大嫌い、
学校の授業が空虚。
・小学校の頃から「具合が悪い」
を連発。とにかく、頭が痛くて
気持ちが悪くて、つらかった。

なぜ皆と同じ行動をしなければ
いけないか分からないものの、
適応しないとこの世で生きて
いけないので、子どもなりの
哲学をする日々。
でも家で過ごすより、
ずっとマシだったから
学校は好きだった。

★今でも思い出すと幸せ感いっぱい
になる思い出(幼児~小学校の編)

・小学1年 学校の屋上での理科の授業。
雲の観察、晴れた日にカラーフィルム
をもって地面に写し観察。
・ドラえもん ひみつ道具
「宇宙探検すごろく」。
・主に管楽器の歴史を図鑑で
調べること。
・適当に描いた文字が、
英語の筆記体で you だった
のを親が見つけてほめて 
くれたこと。
・小5でブラスバンド部に
入ることを勧められ、
「私も人様が経験するような、
脚光をあびるようなことをして
いいのか」と思いつつも、
入ったらメキメキ上達、
帰宅は遅くなるので極上の日々。 
楽器を吹いて図形を描く、至福の時間。

小学校でのくらし編
・全校集会で気を付けするのが
苦痛だった。
・子どもは勉強するものだ、
とのことだったので不自由さを
感じつつも処世術として取り組んだ。
・音楽と体育と絵画以外の図工は
好きだった。自由だったから。
・国語は好きではなかったが、
漢字は図形の記憶みたいで
苦手意識がなく
ほぼ満点だった。(基本的なものは)
・算数が大嫌いで、九九の掛け算とか
面倒だった。
・宿題をやるのが苦痛だったが、
親に勉強しろと言われたことは
人生で2回位しかない。
(だから家で勉強する
習慣はほぼなかった。)

★中学校でのくらし編
中1の生活は小学校時代以上の
苦行そのものだった。
・やる気がなく劣等感の塊、
学校は不良の巣窟。
大嫌いな部活に義務で
参加、学校から家まで遠く
帰宅はずっと上り坂状態、
苦行に彩を添える。
・目的も見失い、
もうだめかと思っていたら、
中1の社会(地理分野)の授業中、
猛烈な眠気とともに
漫画でよくある 
ズドーーーーンと稲妻が自分に
降りてきたような感覚が
「そうか!勉強して自分を
切り開いていいのか!
劣等意識は、皆を追い越せ
ば取り除ける!親がだめとか
家がだめとか貧乏だというのは
関係ない。
自分で自分を切り開けば
いいんだ!!」
と救いの気づきがあり、
とりあえず結果となりやすい
勉強をし始めた。
・中2は無気力な日々だったが、
頑張ろうとは思わなかった
バスケ部で上達し中3で
レギュラーになったり、
なぜか独学で弾いていた
ピアノで合唱の伴奏を
務めていたため、
いつの間にか
自分は活躍して良いのだ、
価値を信じてよいのだと感じた。
・晴れてバスケ部を卒業した後、
中3の友人2人が吹奏楽部に
秋の文化祭迄特別に入部した、
との情報が!
・(バスケ部で培った?)
速攻で吹奏楽部の門をたたき、
ずっと吹きたかったSAX
(バリトン)に出会う。
最高の日々。
おまけに文化祭でバリサク
デビュー。
・地獄から天国に変わり、
晴れて卒業。

★高校でのくらし編
・高校は近くの工業高校でいいか、
と思っていたが、
成績を見て兄に公立女子高を
勧められた。
・自分なりの後付け理由としては、
なぜか男子が隣にいるのが苦手だった
ので、女子高でよかった!と感謝した。
・そこで念願の吹奏楽部に入れば
よかったのに・・・なぜか
「同じ部活の方がいいんじゃないか」
という父のアドバイスを受け入れて
しまい、地獄のバスケ部に入った。
・試合は自由なのでまあよかったが、
練習はただの苦行だった。
(インターハイ行くまで
アイスクリーム禁止、
とかいう願掛けもあって、
意味不明だった。)
・すぐにやめればよかったのに
辞める勇気すらなかった。
相談できる人もいなかった。
過呼吸や捻挫になれば公然と
休めることに気づいてしまい、
自分を犠牲にしてそれらを
繰り返していた。
・高1最初のレギュラー争い、
みんなが争っている姿をみて、
「皆さんどうぞどうぞ、
お譲りします。
ユニホームがほしいなら、
皆さまどうぞ」と擦れて?しまい、
当然の結果でレギュラーを逃す。
(いつも自己否定していた)
・高2になって、
中学同様にふつふつと
「これじゃだめだ!いいのかあたし!
活躍していいんだぞ!」と思い出し、
高3ではレギュラーになった。

・高1のとき、将来は小学校の先生に
なりたいなと思い、大学に進学した。
・先生になりたい理由は、
音楽も体育も図工もできるし、
歌ってもいいし、 
外にも行きたいし、
事務的なこともしたいし、
何より私の子ども時代のような
子に手を差し伸べたいと思ったから。
(その夢は果たし、
夢と現実の違いと
いろんな理由で
10年後に辞めました。)

★大学でのくらし編
・共学だったので、
周囲に男子がいて違和感が
あったが、あきらめた。
・念願の吹奏楽部に入り、
先輩にも恵まれ、極上の日々。
授業は要領よく単位をとり、
夕方はサークル、
夜は飲み会、
昼に起きて授業、、、みたいな
日々。
・アルトSAXを購入し、
えりなちゃんと名付ける。(笑)
・超まじめなコンクールバンド
だったので、いつも一生懸命だった。
・秋の学園祭でジャズバンドを
やるのが恒例だったのだが、
ボーカルに選ばれ、
猛烈に練習して、
歌えと言われた慣れないスタンダード
や自分で選んだボサノバを
歌わせてもらう。
・悩みもあったけれども、
仲間と夜中まで一緒に過ごし
音楽の話をしたり、
仲間の家で映画やドラマをみたりと、
楽しくかけがえのない時間を味わった。

★就職してからのくらし編
・一見、、晴れて
自分の意志で小学校の先生になったが、
楽しいことよりもきまりごとに
対する抵抗感や組織的な苦しみの
方が多かった。
・敏感な私は子どもや先生たちの
集団意識につかれていた。
・人の世話をするも、
エネルギーは枯渇。
自分の感情や時間のコントロール
が大変だった。
(授業を計画的に、とかいうのが
ストレス以外の何物でもなかった)
・吹奏楽と、とある事情でやること
になったバレエが救いだった。
・10年くらいで退職、
その後やりたいことができ、
かっこよく言えば・・・
導かれ東京へ。
※長くなるので一旦これにて。

★いわゆる不思議な体験(UFO編)
・生まれた町で、
小学1年生頃に
UFOらしきものに遭遇。

・30代にとある市で
たくさんのUFOが飛んでいるのを
2日くらい連続で目撃、
当時の先生仲間と教え子と共有。
・その話をしても、
嘘だ!飛蚊症だ!とか、
自分も見たかった><
とか反応は様々。
(みたのは本当なので)

★スピリチュアルとの出会い
・最初のきっかけは
「オーラの泉」です。
・毎週楽しみで仕方なかった。
特に、オーラの色と守護霊を
伝えるところは 
エキサイティング。
・オーラを視てくれる人
が巷にいるらしい、
と聞いてすぐに電話、
いわゆる鑑定を受けてみた。
・鑑定士Nさんは東京にいたが、
電話鑑定では足りず東京まで
いって何度か視てもらった。
”あなたもそのうち肉とか
食べれなくなるさ”という意味が
わからなかった。
・しばらく鑑定をしてもらったが、
結局毎日苦しい日々を過ごしていた。
「あなたにはやることがたくさん
あるから、それを片付けスッキリ
してからまた会いましょう」
と言われた。
(今になってみれば意味が
わかるし、今はそれを乗り越え
幸せになった。)
・「オーラの泉」に出演されていた
江原啓之さんの本やDVDを購入し、
サイン会にも行った。
コンサートで歌も聴いた。
講座も何度か行った。
・とあるやりたいことがあり、
一念発起して東京に暮らすこと
になった。 
・私は「里の行」から早く
逃れたかった。
仏門にでも入れば自分が幸せにな 
るのでは、と考えた。
何をすれば本当の自分で
いられるのかがわからなか 
った。
(地球上で生き抜くための修行
は必要だったのだと思います。
というか、
それを味わいに来たはずです。)
・「オーラの泉」に出演されていた
美輪明宏さんのコンサートにも行った。
歌やお話に圧倒された。
世間でNGと言われていること
の中に「実は正しいことがある」
という思想もあることを
初めて知った。
最後に、会場に来たたくさんの霊を
歌で天界に送ってくださる時間があり、
兄の死後間もなかった私には
本当にありがたかった。
兄の死後、どの段階にあったか
わからなかったが、
ひたすら成仏を願った。
・自分が霊能者になれば
幸せなのか?という気にもなった。
以前鑑定していただいたNさんの
講座にも参加したが
オーラも視えないし、霊と交信した
いわけではなかった。
(でも、見えない世界と
繋がっていることには
憧れがあった。)

というのが、
私のスピリチュアル的なことへ
の入り口です。

ここ数年でいろいろなことが
連続し、
自分の魂が求める道に沿って
生き始めています❤️

ここまでお読みくださり
ありがとうございました❤️

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