誰かの我慢の上に本当のしあわせは成り立たない
時々思い出す。
これは私が結婚生活で学んだことの一つ。
離婚してからの生活がしあわせであふれているのもこのおかげ。
結婚している時は
「私が我慢すれば、、、」
「私が我慢しないと、、、」
「私がやらないと、、、」
とずっと思っていた。
家族全員をしあわせにしたかった。
私以外の人たちが我慢しているのを見たくなかった。
誰かが我慢している状態でのしあわせは「本当のしあわせ」じゃないから。
その人が我慢できなくなった時、そのしあわせは崩れてしまうから。
生活していると、毎回必ず全員一致して進む方向が決められるとは限らない。
誰かの意見が通れば、他の誰かが納得いかない、なんてことも。
穏やかに話し合い、できるだけ全員が納得できる「落とし所」を見つけたかった。
毎回そう願って試みたが、できないことがほとんどだった。
そこには「お互いが」「歩み寄る」ことが必要なんだ、と何年かして気づいた。
毎回私が「歩み寄って」しまっていた。
険悪な空気に耐えられなかったし、相手の気持ちを思いすぎていた。
きっと会社でプレッシャーが多いんだろうな、、、
毎日満員電車に乗って、夜遅くまで仕事してくるんだし、、、
と。
それが積み重なっていくうちに、
相手は「それ」が「当たり前」と思うようになっていった。
「私が」「歩み寄る」のが当たり前だ、と。
私は私で、歩み寄っていく姿勢を見せ続ければ、相手もそれをわかって同じようにしてくれるだろう。と思っていたので悪循環。
今思えば「自分のこと」をないがしろにしてしまっていたと思う。
当時の私は、三人の幼い子どもたちを「ワンオペ育児」真っ只中。
1週間の平均睡眠時間が2時間、なんて時もしばしば。
誰にも助けを求められずに孤軍奮闘していた。
ここを乗り越えれば。
子どもたちがもうちょっと大きくなればお互い気持ちに余裕が持てるはず。
そう思って、自分一人が「我慢」して「頑張れば」と自分に鞭打っていた。
相手はどんどんモンスターのように我儘になっていった。
私は背負う荷物がどんどん増えて重くなっていった。
ついには「言葉が通じてないのでは?」と言うくらい意思の疎通が難しくなった。
うまくいくはずないですね。
どんな関係も、お互いの力関係が平等でないと健全な関係にならないですよね。
今ではこの経験にも深く感謝しています。
私はここからたくさんのことを学び、大きく成長できたから。
・「みんなのしあわせ」のためには「自分のしあわせ」も必要!
(誰かをしあわせにしたい時、まず自分自身がしあわせじゃないと難しい!)
・他の人にするように「自分のことも愛して」まずは自分で自分を大切に!
(誰かに大切にされたいと願うなら、まずは自分が自分を愛して!)
そして、子どもたちにもその大切なことを教え導けるようにもなれた。
あの経験がなかったら、今のしあわせにも、今の自分にもなれなかった。
起こる全てのことに意味があると思う。
全てが必然なんだと思います。
物事には原因があって結果がある。
そして目の前で起きるそれには必ず自分が関わっている。
目の前で起こるそれが「良いこと」なら自分をたっぷり褒めて。
「そうでない」なら、、、自分を振り返り学ぶチャンス!
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