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バカラックとの出会いと再会

バカラックとの出会い

思えば、一番古い記憶としてはっきりと記憶に残っている、好きになった『曲』は、ピンポンパンのきょうこおねえさんが歌う「レインドロップス」  https://youtu.be/JjpgqnAGWFU だった。まだ幼稚園にあがる前のことである。


バカラックとの再会へと至る道程(1)


ピンポンパン」や「お母さんといっしょ」の次に子供時代に誰しも通過するのがアニメ。ロッキーチャックの「緑のひだまりhttps://youtu.be/9I6FdqM-jLQ が初めて買ってもらったドーナツ盤(これも今思えばソフトロックみ強し)で、小学校にあがった頃初めて買ってもらたサントラが宇宙戦艦ヤマト。ただし、一番のお気に入りは勇壮なテーマ曲や和製エルヴィスがクルーナー調に歌う「真っ赤なスカーフ」でもなく、「無限に広がる大宇宙https://youtu.be/j3lJIiNpEZA の美しいスキャットだった。

さらに、緑ジャケット/ヤマタケ期のルパン三世 https://youtu.be/G59Z1zdwdYI は、スキャットもさることながら、歌詞は英語で何を言ってるかまっか全くわからないが、それゆえにこそその(マンフレッドマンとかスペンサーデイヴィスグループみたいな)グルーヴ感にアがりまくっていた。

丁度同じ頃、リボンの騎士の再放送を見ていたら主題歌 https://youtu.be/pLOe_xTnr1E がインスト楽曲で「歌が入ってない」(歌入バージョンもあったが)ことに驚き、それと同時に、元々歌詞の内容にはあまり興味を持ったことはなかったものの、この曲をきっかけに、自分が興味を引かれるのはメロディの音だけでなく、その後ろで鳴っている音(あとで思えばそれは「アレンジ」という)にも興味を引かれてることに気づく……


バカラックとの再会へと至る道程(2)


そうこうしているうち、大人向けのドラマ「白い巨塔」( https://youtu.be/Ie5DAwIxT14 )やバラエティ番組「霊感ヤマカン第六感」( https://youtu.be/-nlqXSPnB3k )、映画「悪魔が来たりて笛を吹く」( https://youtu.be/lrvUFAoXnN0 )なども、あのテーマ曲が聴きたいとか、あのBGMが聴きたい、という理由で(特にドラマなんか内容はよく理解できていないけど)見たりするようになっていく。

一方で、当時はザ・ベストテンの全盛期でもあり、筒美京平https://youtu.be/LKeTi3hGWwM )が歌謡曲の世界を席巻していた頃で、当然これにも熱狂していた……(テレビの前でラジカセの録音ボタンを押して静かに黙ってる、というみんなやってたあれも当然やっていた)


バカラックとの再会へと至る道程(3)


この頃、兄妹がピアノとエレクトーンをお稽古に通いはじめ、その間ヒマだという理由で自分もレッスンを受け始めた。練習をちっともしなかったこともあり、腕前の方は全く上達しなかったが、色々あって、ある日から我が家に先生がやってくることになり、しかも他の生徒のレッスンもウチで行うことになった。ウチが突然音楽教室になったのである。自分では弾けないが、その場にいればその頃エレクトーンのレパートリーとして人気の高かったサントラジャズラテンの名曲を、いやというほど聞くことになる。ヘンリー・マンシーニhttps://youtu.be/ZI8jjbhm4OE )、フランシス・レイ ( https://youtu.be/OKYZLPqLWgg )、ニーノ・ロータミッシェル・ルグラン、etc.

この頃、ようやくピンポンパンのあの曲がバート・バカラックの「雨に濡れても」だったことを知る。この先生は、私が練習嫌いだが音楽は好きだということは見抜いてたようで、買ってきたレコードを聴くだけの日があったり、ジミー・スミスhttps://youtu.be/vn3RQivRrmA )やワルター・ワンダレイhttps://youtu.be/QJoWh-0E6wQ )、キース・ジャレットEL&Pのレコードをくれたりと、結構な年になるまでこのレッスン(?)を受け続けることとなる……


バカラックとの再会へと至る道程(4)


 そしてもうひとつ、子供時代に曲を知り、好きになるきっかけのひとつだったのがテレビCMクラシックhttps://youtu.be/jKJKR6CFrrM?t=100 )からオールディーズhttps://youtu.be/I0h4c56hoRA?t=285 )やシティポップhttps://youtu.be/ctg3Joud8eA?t=84 )まで、様々なジャンルの音楽に(小学生であっても)無意識のうちに触れることができた。

そうした小三の冬のある日、テレビから聞こえてきたのがフジカセットのCM。( https://youtu.be/dmOTiaFuepI )それはザ・ベストテンに出てくるアイドルやロックバンドとかとは全く違うもののようにも思えると同時に、ブロック崩しスペースインベーダーのゲームそのものだけでなく、そのサウンドにも惹かれていたこともあり、前からこういうのが聴きたかった、とでも言うようなしっくりくる感じも持ち合わせていた。当時の大人たちはライディーンに熱狂する小学生を見て、何事か、といぶかしがっていたが、スーパー戦隊や仮面ライダーから卒業したばかりの我々にとっては、彼らは未来の楽器を操って未来の音楽を聞かせる特撮ヒーローのような存在で、それは当然の成り行きだったわけである。そしてここから数年の間はYMOとその関連で知っていく音楽ばかりを追いかけはじめ、テレビや街の有線放送から流れてくる音楽に興味を持つという受動的な音楽の聴き方からは距離を取るようになりはじめる……


バカラックとの再会へと至る道程(5)


YMOばかり聴いていたこの頃になると「THE APRIL FOOLS」( https://youtu.be/lxENcfpPqBo )もユキヒロ節の名バラードといった風にしか思っておらず、バカラックのことは意識していなかった。

やがて、やっと中学になり、今まさにこれから中二病をこじらせる気まんまんというその時に、あえなくYMO散開の知らせ。テクノポップにしか興味ないのに、これから何聞きゃいいんだと狼狽していた(いやまあ、実際にはメンバーのソロや、ムーンライダースプラスティックスの面々、それぞれのレーベルやプロデュース作品、引き続きCMで知ったPYS・STPO1クラフフトワークDEVOXTCなど海外のテクノ/ニューウェーブなどをこれまで以上に聴き始めるので、見事にその散開戦術にはまっていくわけだが)、そんなところに降って沸いたのが、オールナイトニッポンのラジオCMから聞こえてきたフレンチウィスパーボイステクノポップのMIKADOhttps://youtu.be/2CLh_jTWxfk?si=zaT1lpVlae-EEFZo)。

おしゃれ!カッコイイ!これも、キレッキレのテクノデリックhttps://youtu.be/__2IJ1UsCDY )でYMOが解散していたらそうは思わなかったかもしれないが、そこからサーヴィスに至るYMOの脱力化( https://youtu.be/4cZhoiDAxwY )がこの答えを導き出したのかもしれない……


バカラックとの再会へと至る道程(6)


MIKADOを筆頭にANTENAhttps://youtu.be/ZEmnX4swCB4 )などのクレプスキュールの脱力ニューウェーブにはまり、新星堂で12インチEPを買う日々を送っていたその最中、細野さんが立ち上げたノンスタンダードレーベルから、まさに日本のMIKADOとでも言うべきウィスパーボイステクノポップとモノクロームのおしゃれジャケットをひっさげてピチカート・ファイブがデビューした。2枚目の12インチでは打ち込みモータウンのようなA面曲に面食らいつつも、B面は期待通りの脱力テクノポップ( https://youtu.be/XXLkZwP-7bc )。

よし。このまま文字通りテクノでポップなピチカートに青春を捧げん!しかもアルバムはソニーに移籍してメジャー化するだと!やはりオレの目に狂いはない!と、中二病を引きづったまま高二の夏を迎えた高校生の目の前に現れたのは、確かに脱力おしゃれポップではあるものの、これはどう聞いてもテクノではないアルバム( https://open.spotify.com/album/0dm7ENbsbPVX5fpYkoXgH5?si=tZAZdk5wQyizQh8oC9d0vQ )。

待望の。が、一聴して覚えたのは、YMOBGMに初めて針を落とした時のような、狼狽感。思ってたんと違う。がっ。だがしかし。この感じ。なんか好きだった気がする。サザエさんのBGM( https://youtu.be/XV337ytij4A?t=3415 )感覚?

ちょっと違うか?この時点ではソフトロックとはどんなものか?ロジャニコジョン・セバスチャンニール・ヘフティと言われましても何それ美味しいの?状態。A&Mはかろうじてわかる。あ。そうだ。バカラック!というわけで、A&M CLASSICSシリーズのベスト盤( https://youtu.be/tkw3qAod7xM )をブロックバスタービデオのワゴンセールの中から見つけてきて、ああ。これぞサザエさん(のBGM)感覚の原点!と聴き倒すことになる……


バカラックとの再会(最終回)


テクノ魂!テクノ平成大学。ってな具合で、あこがれのMacを買って打ち込みのバイトにかまけて留年を繰り返しながらも、セカンド・サマー・オブ・ラブDJカルチャーの洗礼も受け、60〜70年代のソフトロックサントラかっこいい!などとサバービアスイート片手にレコード屋を巡るといった渋谷系にどっぷりな時代を経て、バカラックと名のつくアルバム、コンピであれば、手当たり次第に手にとって、何曲かぶりがあっても一曲知らない曲が入っていればそれで満足。といった調子の日々。

それから数年。音楽制作からは離れていた日々だったが、WEBサイト(当時はホームページといった)開設を機に、昔作った曲を、まだmp3以前の超低音質の圧縮フォーマットで公開し、そのサイトをMac好き方々や(tktrさん/現・日本海のノーキ・エドワーズとかではでは党党首とか青梅街道派の人たちとか)、昔読んでた雑誌の記事を書いてた方(ZEP高橋さんとか)とかにみつけてもらって、その中の一人にサエキさんがいて。そうした出会いがきっかけで、数年ぶりに制作活動を再会することとなる。

さらにウエハラさんまみこさんトモコさんリエさんとの出会いがあり、ELEKTELとして海外リリース(コンピだけど)や英国ライブ(自分は行ってないけど)があり、YMOピチカートみたいに世界の人に聞いてもらいたい、という夢を早々に果たし(インターネット時代のおかげ!その先駆け!)、その頃の曲をまとめてELEKTEL1stアルバムhttps://youtu.be/CD2laMAbRG0 )としてリリース。

その後スケッチショウと同じアルバム(コンピだけど)に曲( https://nico.ms/nm9063791 )が収録されるという夢のような経験をし。

さらにレーベル移籍をし、高見さんダリヤカオリさんマグナロイドさん塚田くんといった方々とイチから作った2ndアルバムhttps://youtu.be/bz6O7cjZqds )がリリースされたのでした。

そしてあの老舗音楽雑誌(古くはあの日本語ロック論争の、そして広告バーター記事を一切書かない歯に衣着せぬ忖度なしの批評で時にミュージシャンと大揉めになったりすることでも有名な)ミュージックマガジン誌のレコード評で高評価をいただけたという、それだけでももちろん大変光栄なことではありましたが、その内容がまた……いくらなんでも言い過ぎだとは思います。恐れ多い。でも嬉しい!と、そんなこと思うに決まってるじゃないですか。こういう風に育ってきて、こういう風に書かれたら。

直接会えたわけじゃないし、本人もまったく預かり知らぬことではありましょうが、見ず知らずの人(失礼)からこういう言葉をもらえて、なんだかあの子供の頃の自分に再会できたような気がしました(あ。バカラックと再会したわけではないか。看板に偽りありで申し訳ない)。

(後日談)


2ndアルバムのリリースから1年後。(ジョブズのキーノートスピーチの中継はどんな大物ミュージシャンのライブの中継より興奮してみていたあのAppleの)渋谷アップルストアでレコ発イベントを開催するという夢のような経験ができ、さらにその翌年は、同じアップルストアでの2回目のELEKTELのライブで、(元ピチカートで「ボーイミーツガール」の作曲者の)鴨宮さんにゲストで出演していただくことができ、ここでもまたひとつ夢がかないました(その頃、まだCTO結成前だったが、なぜか岡田さんと2人で鴨宮さんのお宅に遊びに伺ったりもした。そっからさらにCTO LAB.へつながっていく…)

バカラックの来日公演を見たのは2度。バカラックと話ができたとかそういうんじゃないけど、生身のバカラックを見れたのは今にして思えば本当によかった。そして、自分が見に行った2度目の公演、そしてバカラックの最後の来日公演へ、一緒に見にいこうと声をかけてくれたのは、音楽の世界に導き入れてくれた恩人・サエキさんでありました。今思えばこの二人で見に行けたのは本当によかった。お誘いいただいて本当にありがとうございました。そしてMr.Bacharach、音楽を好きにしてくださって、本当にありがとうございました。これからももちろん聴き続けます。(了


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