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海外ツアー始めます。

7インチレコードが完成して、商品が自宅に送られてきました。最初の枚数は100だったか200枚だったか、、

これをレコード屋さんの店頭に並べるには、流通会社に商品を登録してお店に「こんな商品ありますが、あなたのお店でうります?」的な情報を流してもらい、お店側から、「じゃあうちは3枚(1店舗で1000枚とかも昔はありました)ください」
という注文をもらいます。その数字を取りまとめて、流通会社さんから合計60枚置いてもらえるようになったので、サンプル盤もあわせて80枚倉庫に送ってくださいな。てきなやりとりを完了してお店にレコードが並びます。(これが俗にいうイニシャルという発注数、それから売れた実売の数字が消化数、なのでイニシャルが1万枚でも返品が8000枚なんてこともありえます。ご注意を。)そのやりとりをして、例えば下北沢のディスクユニオンに自分のレコードが並んだ時の感動はいまも忘れられません。

このときクッキーシーンやインディーズマガジン、という本当にインディな商品を取り上げてくれる雑誌にこのレコードのレビューが載ったのも覚えています。まだインターネットはちょっとしか普及していなくて紙の雑誌に自分のレコードが紹介されることは本当に感慨深いものでしたね。これも今思えば時代とかもあったのかもですが、すくなくとも今現在紙の情報がほとんどなくなっては来ているし、必要ともされていないようになっているように感じます。まあこれはまた別のお話かな。

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そんなこんなでELEKIBASSとしてすこし活動が始まった感がでたころ、名古屋にインディレーベル「abcdefg Record」というのがあり、そこが面白いD.I.Yな活動をしているらしい、という情報を耳にします。
早速カセットテープのデモを送ってみたところ、CD出しません?とお返事をいただくことに。

正直、ここら辺のやりとり記憶が曖昧で、多少の勘違いもあるかもですが、レーベルの人と確か下北沢で実際にあって話してみたとところ、自分と同い年のレーベルオーナー野村さん、と女性の橋本さんの2名で活動してて、まったくの手探りで、ほぼ、WaikikiRecordとなにも変わらず、契約とか、セールスプロモーションがどうだ、ミュージックビデオがどうした、とか全くない、ただただ気持ちだけのレーベルだったのですよ。(その後、同い年というのもありこの野村さん、橋本さんとお付き合いは現在も続いております。貴重な出会いでしたねー。)

当然、自分もただただ気持ちだけでの活動始めたバンドに、さらにはふわっとはじめたWaikikiRecordなので、迷うことなく、「abcdefg Record」でCD出しましょう!と答えます。

やり方はよくわかってないし、「abcdefg Record」もやり方もなにも決まっていないような状態だったので、とりあえず、CDにするぐらいのクオリティの録音と曲数、それを用意しなければ、、、
ということで周りのバンドたちに話を聞いて(確かテルスターの増沢さんじゃなかったかな、、)、西荻のリンキーディンクスタジオで録音することにしました。

くどいようですが、自分たちは何も録音の方法や自分たちの音楽をCDにする準備はわかっておりません。だけど、なぜだかいける気がしてたんですよね。あの時。迷いがなかった。

よくある街のリハーサルスタジオの「6hレコーディングパック 2万円」的なやつで確か3日間ぐらい。西荻に朝10時に行き、結局延長して夜10時まで、とかでヘロヘロになってたのを覚えています。(当時のエンジニアさんが今思えば、めちゃくちゃいい人で、なんとかギリギリ事故なく進んだんだと今になって理解できます笑。なにもわかっていない自分たちの無茶振りをよくもまあ、怒らずに付き合ってくれたなー、といま思えば若いってただただ無礼だったな、、、と思います。しかしまあまあ良くある話でもありますね。)

そこでなんとなくレコーディングってこういうものなんだと学んでいくのですが、とりあえずいわゆるきちんとしたレコーディングされた録音データが完成します。あとはジャケットのデザインを作って「abcdefg Record」に送れば商品の完成です。
当時全部のデザインをお願いしていた関さん(現:onnacodomo)にただただ甘えて作ってもらいなんとか入稿、おおお、CDだ、自分たちのCD ができるのだ。と感動したものです。

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*abcdefg recordから届いた製品盤、そりゃあ感動しましたよ。

さてそんなCDが完成して流通にものるぞ、というタイミングに、自分がよくいくレコード屋(ZESTやマキシマムジョイ、ラフトレードもまだ閉店してなかったはず、、)で、これまたよくチェックしていた、アメリカのインディシーン「エレファント6」のバンド「of montreal」が来日するぞ、という情報を耳にします。
おいおい、ほんとですか?と狂喜乱舞ですよ。「of montreal」の来日だけでなく、一緒に「ELF POWER」や「Calvin’ Don’t Jump!」も一緒に来日とのこと、さらに東京ではZEPPでライナスオブハリウッドや、BIKE RIDEや、さらにはDRESSY BESSYともライブをやると!!??

自分の好きなバンドが集結するイベントが発表されて、まずはそれを仕込んでいるレーベルを調べます。どうやら「エレファント6」ナイト勢のツアーを仕切っているのは、コンタクトレコーズの沢井さん、東京のイベントはフィルターレコードの伊澤さんということがうっすら判明します。早速コンタクトレコードの問い合わせのメール連絡先に、

「当方、東京で活動してて、「エレファント6」が大好きなバンドの者です。彼らのツアーのサポートをやらせてもらえないか?」

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*空港に迎えにいったときの写真、このたれ幕?をもって入国審査出口で待ってました。

という連絡を入れまして、ちょうど沢井さんから、「いいよー!、ついでに東京から大阪への飛行機の乗り換え案内してあげてもらえたら助かるー」との返事をもらい、バンド一行で空港に出迎えに。自分で言うのもなんですが、ただただ好きですと言う気持ちと、来日を仕切るレーベルの気持ちと、来日するバンドの気持ちが、ちょうどよくバランスが取れたのだと思います。今になって思えば、その方法が正解かはわかりませんし、なにかが一つ違えば、すんなり進む話ではなかったと思うので、タイミングや運も本当に良かったのだと思います。

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*ELF POWERのBPとアンドリュー

そして、of montrealのメンバーの人柄の良さもあって、京都、大阪のライブに同行した僕らは、一気にメンバーと仲良くなります(京都はメトロ、大阪はクラブダウンでしたね、京都のイベントがオールナイトで目の前の鴨川でメンバーが寝てたり、した風景が懐かしいです。なんだろうね、オールナイトイベントには不思議な魔法があって、始発待ちのマジックアワーってあるなー)。もちろん彼らの音楽やルーツに影響を受けてもいたので、僕らの音楽を本当に楽しんでくれて、この来日をきっかけに、「次は君たちがアメリカに来ることがあったら、僕らとツアーを回ろう」と、ボーカルのケビンが言ってくれたのです。

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*写真は初来日の鍵盤ドッティとドラムのジェイミー

当然ここまで、あまり損得を考えずに行動してきている自分のバンドが、立ち止まるわけありません。

「来年のいついつ、2〜3週間アメリカに行くことにしたよ、一緒にツアーを回ろう!」

と連絡を入れます。そうして決まった、初めてのツアー、しかもアメリカ2〜3週間、日本だってたいしてまわったことないのに!?、機材どうする?、移動どうする?ってかお金は?そもそも言葉つうじなくない?

そんなこんなで、行けばなんとかなるさwと言うことで、初めてのアメリカツアー決定です。なんならメンバーほぼほぼ海外すら初めてです。いやー、我ながらなにも考えずに行動しているなとは思いますが、人生、好きな人や好きなことがあるならばそこに飛び込むのに迷いはいらない。と、今でも思っています。打算や計算が全くのゼロかと言われればそれだけでは難しいこともあるかもしれませんが、いまでも何を目的に?と言われれば、ただただ、「楽しそうだから」、行くか?行かないか?と言われれば、行くでしょ?

ということで自分の人生の価値観を多いに広げる機会となる、アメリカツアーへむかいます。しかも、完全自主!!!!!!、いま考えてもなかなかの後先のことを考えていない行動で嫌いじゃない笑

そんなわけで、勢いだけで決めた、アメリカツアー、始めます!

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