2023/09/10 日記 夢みたいな話じゃ終われないや/note


おつかれさまです。海苑の時間です。

・悲しいことを思い出すたびに吐きそうになって、もうここで死のうという気になる。

・眠れなくて文章を書いた。たくさん、たくさん書いた。

 わたしの居場所には大の字で眠れるようなスペースがない。自室にも、精神にもない。狭いからではなく、ものが多いからだ。それだから今のところ、ニトリのベッドの上だけが世界で唯一、わたしが横になれる場所である。寝具の買い替えを長く検討し続けている。枕もマットレスも薄くて硬くて、眠りに就くときのわたしはいつもどうにも寂しい気持ちだ。

 散らかった部屋を眺めていて、わたしの人生のようだと突然に思った。自室は多分、部屋の主の生き方を象徴する。みんながきっとずっと前から気がついていることを昨夜、ふと、漸く悟り、その瞬間にわたしの脳内をいつか頓挫した『進撃の巨人』のアニメの有名な台詞が反芻した。そうはいえどもうろ覚えなのだが、アルミン・アルレルトの言った「何かを得たいのなら何かを捨てましょう」という趣旨の言葉。それに背中を押されるようにして、わたしは人生で初めて、ものを捨てなければならないと強く思った。半分、破壊衝動だった。

 手始めにTwitterのアカウントを消してみた。いくつも消した。二桁にも上る数だった。年末にだって思い切った断捨離ができないわたしの頼りない手のひらに、世界が壊れる音の振動が伝う。少しだけ快感だった。

 断捨離を見据えた視線で改めて見渡した自室はゴミだらけだった。中学生の頃に愛用していたジーンズのショートパンツ。ディズニーシーのお土産に貰ったダッフィーの顔のかたちの缶。キッザニアのキャッシュカード。叔父に連れられて行った水族館で手作りしたティッシュケース。子ども会のドッジボール大会で優勝したときの金メダル。自室が象徴するのが人生なのだから、つまりきっとわたしの人生はゴミだらけなのだと思った。抱えたそれらをゴミ袋の中に叩き付けたら、やっぱり少し気持ちがよかった。

 同時に、ふと、これからを生きていく理由に何も心当たりがないような気分にもなった。非実用的なものは手放すべきだなんて事実さえ悲しいほどに、わたしは子どもなのだと、そのとき思った。
 全部思い出だった。思い出せなくとも確かにわたしを守る殻だった。

 記憶力に自信がない。だからこうして言葉を書いている。
 今までわたしをささやかに守ってくれた思い出たちが、今後も記憶の海の底で泳ぎ続けてくれたならいいと思った。本当に、祈ること以外に何一つできない。ひどく非力なこの腕が、魂が、未だに少し憎い。

・夜、パルムを齧りながら散歩をした。財布さえ置いて歩いた。

おやすみなさい。

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