サボテンの花が咲いた
インスタにも書いたのだけれど、前職の職場からもらってきたサボテンが今年も花を咲かせた。
前職には1年と少しいたのだけれど、配属されたその日にだれも世話をしていないであろうカラカラに干からびたサボテンを見つけ、
そこから月に1度水をやって、少しずつ少しずつ回復させてきたサボテンだ。
退職日に、「きっともう誰も世話をしなくなるだろうなぁ」と思い、それまで職場では主張なんてしたことなかったのだけれど、
思い切って上司に「餞別だと思ってこのサボテンください!」と訴えたら、あっけなく「いいよ」と言われ、
(退職するにあたっての他の荷物もあったので)夏休み前の終業式の日の小学生みたいに両手に大荷物を抱え、えっちらおっちら家まで運んだ。重かったなぁ。
サボテンの花を見ていて、思い出したことがある。
その「サボテンください!」とお願いした上司以外の同僚の2人が示し合わせて私の最終出勤日に有休をとって、挨拶させてもらえなかったのだ。
「あ!私、いじめられていたんだな」と1年越しで気づいた。
思えばずっと居心地が悪かった。
マニュアルも大してないのにきちんと仕事を教えてもらえなかったし、彼女たち2人だけで見ている業務日報があるのも私は知っていた。
朝はなかなか起きられなかったし、ときには泣きながら出勤したこともあった。
働いていた当時は「仕事に慣れていないせい」「自分が至らないせい」だと自分をなだめていたのだけれど、サボテンの花を見たら全部いじめられていたせいだったんだって一瞬で腹落ちした。
たぶん彼女たち2人で連帯するために無意識に私を標的にしていたのだと思う。
だから、今さらその2人を責めても仕方のないことだし、責めたところで「いじめていた」意識なんてないから何の意味もないと思う。
腹落ちしたと同時に今の今まで「いじめられていたこと」に気づかなかった自分の鈍感さや、あんなに働きづらかったのに仕事はミスなくこなしていたことに自信を持った。
私は案外すごいのかもしれない。ちょっとびっくりしちゃった。
いじめられているということに思い至らなかったのは、自分がいじめられる対象になるなんて露も思わなかったからだ。
私は自己肯定感が乏しいと思っていたけれど、案外自分のことを認めているんだなとすごく心強く感じた。
これはすごい発見だった。
私は他人からいじめられたり悪口を言われるような人間だと自分のことを思っていなかったということだ。
自分のことを自分で呪った経験は何度もあるけれど、それは自分のことを許せなくて呪っていただけであって、
私は自分のことを他人から許容される人間だと思っていたということだ。
その認識はこれからも持っていたいと強く祈った。すごく独りよがりだけど。でも独りよがりでもいいと思う。
先日、前職の近くを通る機会があった。
眺めながら今までは向いていないからもう2度と同じ業種には就かないでおこうと思っていたけれど、実は環境が違いさえすれば、もう1度頑張れるのかもしれないと思った。
退職の日、サボテンを重い思い(ダジャレじゃないよ!)をして持って帰ってよかった。
これからも大切にしよう。
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