分譲マンションの営業からインテリアコーディネーターになった人の話
こんにちは、さいたま市でインテリアコーディネーターをしているMOEです。
私がインテリアコーディネーターを生業としてから丸8年が経過しました。
そういえばちゃんとした自己紹介をしていなかったので、どのような経緯でこの仕事に就いたのかをお話ししてみたいと思います。
需要があるか分かりませんが、もし興味がある方がいらっしゃったらお読みください
幼少期〜学生時代
生まれは東京都世田谷区で幼少期もここで過ごしました。
小学校2年生で埼玉県さいたま市(当時は岩槻市)に引っ越してきました。
中学受験をし、都内の中高一貫の女子校に進学したので学生時代はほとんどさいたま市で過ごした実感がありません。
中高時代はロックにハマり、バンド活動が楽しくてライブステージの照明スタッフをやってみたいな〜なんてぼんやり思っている位で、将来のことなんて真剣に考えていませんでした。
もちろん、大して勉強もしませんでした。
そのまま付属の女子大に進学し、大学時代は友達の大切さを学びました。
つまり、大して勉強はしませんでした。
はじめてやりたいことを考えた就活
そうは言っても人生の長い夏休みは終わり、就活の時期がやってきます。
ここで初めて自分は何になりたいんだろうと真剣に考えます。
自己分析の結果、どうやら営業職が向いていそうだということが分かりました。
どうせ売るなら一番高いモノを売りたいと思いました。
空間を演出することが好きでした。
部屋がお気に入りの空間になるとテンションが上がりました。
自分の興味と適性から住宅営業を目指すことにしました。
ちなみに私が就職活動をしていたのは2009年です。
この時期に世界で起きていたことは「リーマンショック」です。
社会情勢も顧みずひたむきにやりたいことを貫く!
なんて素晴らしいものではなく、「なんとかなるっしょ」の無知と無謀。
建築知識もなく、むしろ何も勉強していないのに「お客様が喜ぶ家をつくりたい!」と注文住宅の営業を目指していました。
この「無知と無謀が原動力」の熱意に押され、とあるマンションデベロッパーに拾っていただきなんとか住宅業界に潜り込むことができました。
このデベロッパーは当時注文住宅を始めたばかりで、いつかはそこの部署に行きたいなーなんて夢を見ながら青田売り分譲マンションの部署に配属されます。
社会人!マンション営業デビュー
晴れて社会人!よーし頑張るぞ!と鼻息荒く入社
同期入社の女子が私を含め5名でしたが、4:1で私だけ別の部署に配属される。笑
リーマンショック後の絞られた人数で私達に求められたのは「即戦力」、「数を売ること」でした。
リーマンショックの打撃をモロに受けた業界で相当厳しい環境ではありましたが、だからこそ短期集中で一気に叩き上げていただきました。
鬼のような上司だったり、冷酷な上司だったり、めちゃめちゃ売って親身に教えてくれる先輩を渡り歩きました。
厳しくはありましたがたくさんのことを教えて下さり、今となっては感謝しかありません。
死ぬ程働いたので1年で3年分くらいの経験はしたと自負しています。笑
そしてここで気づきます。
高額商品をたくさん売るスキルは身についたけど、これ以上の発展はないと。
「お客様が喜ぶ家をつくりたい!」と思っているのにそれを実現するスキルが自分にはないと。
(気づくのが遅すぎる)
マンション営業からインテリアコーディネーターへ
そこで新卒入社のデベロッパーをたった1年で退職し、インテリアコーディネーターの専門学校へ通うことにしました。
必要なたくさんの知識を学びましたが、一番心に残って今も実践していることは「Look Look!Look!」です。
百聞は一見に如かず。良いものにたくさん触れることを大切にしています。
卒業後は工務店に8年勤務。
幅広い事業を行っている会社でしたので、新築住宅・リフォーム・アパート・店舗・民泊など多岐にわたる案件に携わらせていただきました。
インテリアSNS・RoomClipのコンテストでコーディネートした物件が三冠を達成するという貴重な経験もさせていただきました。
また、今までの勉強不足を猛省し、
◇二級建築士
◇宅地建物取引士
◇インテリアコーディネーター
の資格を取得。
そんな中で、やはり「お客様が喜ぶ家をつくりたい!」という思いが強くなり、リフォーム・リノベーション会社のインテリアデザイナーへ。
お客様のご要望に耳を傾け、想像を超える「感動」の住まいづくりをご提供できるよう日々邁進していきます!
というわけで年齢がバレる記事になってしまいましたが逆算はご容赦くださいませ!
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