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ワインコラム36:山本先生と田口さん

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Ryoko☆Sakata

1月17日、日本のワイン文化の発展などに功績のあった、山本博先生が亡くなられた。 
先生は弁護士のかたわら、ワインの知識や上質なワインを広める努力をされてきた方だった。試飲会やパーティーなどでお会いする度に、「とても気さくな方」という印象を持った。

先生のことを思うといつも一つの情景が蘇ってくる。
ワイングラス片手に談笑している姿だ。先生の太めの眉毛は少し下がり気味で、それがより楽しそうに見せている。たいていの場合、話のお相手は女性の方だった。先生の楽しいお話は女性に人気があったのだろう。先生も女性との会話を楽しんでおられたようだ。

ある会で話がはずんで、先生をワイン会に招待したところ、快く承諾して頂いた。  
1997年暮れ、先生を囲んで店のお客さん数人と、小さなワイン会を開いた。
当日は、グラン・クリュ2本を含む5本のワインを用意した。最初から最後まで先生は楽しそうに飲んでおられた。いつものようにワイングラス片手に、選りすぐられた話で皆を楽しませていた。

先生が帰られてから気づいたことだが、先生は一言もワインについて批評めいたことは口になさらなかった。  
仕事の中ではワインの批評はしても、「ワインを飲む時は面白い話をして皆でその場を楽しむ」といった先生の哲学が感じられた夜であった。

1970年代の日本におけるブルゴーニュワインと云えば、殆どが会社組織が造るいわゆるネゴシアンものが主流であったらしい。
そこで、良質で個性的なドメーヌワインを日本に紹介していたのが、「ミツミ」というインポーターと山本先生であると聞いている。

ミツミに田口朝一さんという方が居た。
山本先生と同じくらいの年回りで、この人が筋金入りのブルゴーニュラヴァーなのだ。仕事でボルドーに行った時に、「私の心は此処には無い!」と言い放ったような人だ。  

ミツミはトーメンとなり、数年して田口さんはリタイアされた。
その後資格を取り、田口さんは個人でインポーターを始めた。輸入するワインはシャンパーニュとブルゴーニュのみという、いかにも田口さんらしい会社だった。リーズナブルで美味しいブルゴーニュを、たくさん紹介して頂いた。ブルゴーニュの近況や造り手のことを聞くと、いつも楽しそうに話をされていたことを思い出す。

田口さんとは、彼がインポーターを辞めるまで20年ほどお付き合い頂いた。  
私も、彼の影響を受けた一人になるのだろう。田口さんには及ばないまでも、そこそこのブルゴーニュラヴァーになったのだから。

私が開店した翌年、私のワイン観を変えるワイン会があった。
デュジャック(傑出したブルゴーニュの造り手)のクロ・サンドニ(ブルゴーニュの特級ワイン)に出会ったのだ。人生を変えたワインとの出会いと言っても過言ではない。このワインに出会わなければ、今頃違った仕事に就いていても不思議は無いのだから。

山本先生の縁者の方がオーナーのワインバーで開催されたワイン会だったので、山本先生も出席されていた。
そして主催者側には田口さんがいらしたのだった。私がブルゴーニュに目覚めた会にお二人とも同席されていたのだ。何かの縁を感じずにはいられない。

お二人とも亡くなられてしまったが、お二人にブルゴーニュへの道を示され、背中を押されたような気がする。
愛情込めて熱心に造り手の説明をする田口さんや、ワイングラス片手に楽しい話をしてくださる山本先生が、もうこの世にいないことを心から寂しく思う。


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