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コラム11:コーヒーカップの赤ワインで献杯

皆さんは、同じ都市に10回以上行かれたことがあるだろうか。仕事や、近親者が住んでいるなどの理由抜きの話である。
香港が、私にとってのそんな都市だ。
誤解を恐れずに言えば、香港は植民地として理想的な姿に見えた。昔ながらの広東の文化と、イギリスがもたらした西洋の文化が、上手い具合いに混じり合い、調和して活気が生まれていた。過去形の文章になるのは残念だが。

香港島のセントラル地区にあるユンキーレストランの存在は、香港訪問のリピーターになった理由の一つである。ここはガチョウの北京ダック風、言わば広東グースが有名な店で、それを目当てに世界からも人が集まってくる。

そんなユンキーレストランの一段下(ここら辺は斜面に建物が密集している)の路地に飲茶の老舗「陸羽茶室」がある。私が最後に行った20年余り前には、印刷されたメニューに鉛筆で印を付け店員に渡す、昔ながらの注文の仕方が未だ残っていた。

返還されてそんなに時間が経っていなかったと思われるので、98年頃か。 5〜6人の友人たちとの香港ツアーの二日目だったと思う。
その中の友人の関係で、その頃香港在住だった羽仁未央さん(エッセイスト、メディアプロデューサー)と私たちで、夜の陸羽茶室で会食をすることになった。未央さんは特殊な生い立ち(小4から学校へ行かず、自宅で教育を受けていた)だったので、どんな人なのか興味があった。素顔の未央さんは、私が思い描いていたとおりの、自由奔放で好奇心旺盛な活気に溢れた女性であった。

先程「夜の陸羽茶室」と書いたが、この店は昼の飲茶が有名で、私も夜は訪れたことはなかったのだ。多分未央さんのレコメンドがあったと思われるが、私たちは他の店には無いような伝統的な広東料理を堪能した。

もう少し飲もうという事で、タクシーで香港島の奥の方に連れていかれた。 未央さんの行きつけらしい店に落ち着き、赤ワインを頼んだのだが、出てきた物を見て驚いた。  
白いコーヒーカップに赤い液体が入っている。ワインとは思えない。
聞けばこの地区では、アルコールの提供が禁じられていて、苦肉の策としてコーヒーカップを使っているとのことだ。                 そのうち、未央さんと知り合いらしい若者が、フェリーでマカオに遊びに行こうと盛り上がった。私たちは明日の予定もあるので、切りの良いところで退散した。
あの後未央さんはマカオへ行ったのだろうか。

10数年経った頃、新聞に彼女の訃報を見つけた。            その後の彼女の活動も知らないし、特別な思い入れも無いが、あの夜、ひと時を楽しく過ごした仲間として、悼む想いはある。

今度ワインを飲む時に献杯するとしよう。
未央さんと良き時代の香港に。
コーヒーカップで。

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