見出し画像

【御朱印巡り】波除神社

波除神社(波除稲荷神社)は旧築地市場の隣にある神社です。
今年の5月に訪問。築地場外にあるため、たくさんの外国人観光客が参拝していました。

御祭神

倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

御朱印

画像1

※祭事・季節限定の御朱印も豊富です。詳しくは波除神社のHPをご覧ください。

御由緒

江戸時代の明暦の大火後、当時はまだ江戸湾が入り込んでいた築地の埋め立て工事が行われたが、荒波の影響で工事は難航した。
その最中のある晩、光を放ち海面を漂う御神体が見つかり、万治2年(1659年)、現在地に社殿を建て祀った。その後、波が収まり工事が順調に進んだことから、「波除稲荷」と尊称して厄除けなどに信仰を集めることとなった。
(Wikipedia - 波除稲荷神社より抜粋)

築地の歴史

どこの神社も、由緒に尾ひれが付いてよくわからないので、この地域の歴史を調べてみました。

当時の地形
国土地理院のデジタル標高地図を見ると、当時の地形の名残が今も残っているのが確認できます。

画像2

家康が江戸入りした頃の江戸は、江戸城に東南側(日比谷側)は入江になっていて、その向こうには江戸前島という半島(今の銀座あたり)が突き出ているような地形でした。築地はその向こう、江戸湊の方にあります。

幕府は日比谷入江の埋め立てからはじめ、その後、江戸前島の東側を埋め立てていくわけですが、外海に面していたり、隅田川(荒川)の流入があったりと、日比谷入江を埋めるより難工事になりそうなことは想像できます。

光を放ち海面を漂う御神体とは?
その最中のある晩に、都合よく光を放ち海面を漂う御神体が見つかるわけがないので、これはおそらく埋立工事中に事故で亡くなった方を祀った、もしくは、難工事を成し遂げるために人柱にしたということを示しているのではないかと思います。由緒に「工事で犠牲になった方を祀りました」を言うわけにもいかないですからね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?