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「あたしはプロのあたしになりたい」

こんにちは!いけかよです。
わたしの「酒を飲みながら仕事がしたい」という願望だけで生まれた企画「哲学バー」にて、先日「キャリアとは」というテーマで哲学した回がありました。
開催回数20回を超えるこのイベント、これまでで一番と言っていいほどに答えが出ず、一瞬紛糾しかけたほどに、アツイ回でした。(そのときのレポートはこちらをぜひ)

とはいえ、今回はそのアツさについて語りたいわけではなくって、当然ながらさまざま交わされる議論のなかで、ひっそりとわたしのなかに生まれた思いを、こちらでお話したいと思います。

「キャリア」は過去現在未来すべてを包括する

「キャリア」という言葉はほんとうに広義で、その奥深さと難解さをまのあたりにしました。
その場で出た「キャリア」の意味は、「過去」「現在」「未来」すべてを包括していたのです。

①自分が積み重ねてきたスキルや経験や経歴:過去
②現在のスキル・学歴を表す。官僚などに使われる「キャリア」⇔「ノンキャリ」がそれ:現在
③これから自分が築きたい経歴。「キャリアプラン」的なニュアンス:未来

これ、相手が①を指すか②を指すか③を指すか、ちゃんと認識合わせしてないとえらいことになります。ていうかえらいことになったのが先日の哲学バーでした。(しつこいですが当日の模様はこちらをぜひ)

とはいえ新たな発見と示唆に富む場でした。

いけかよ的にめちゃめちゃ腑に落ちたのは「キャリアとは生きてきた経験そのもの」という価値観。①+αといったところでしょうか。
つまり、職歴だけじゃなく、プライベートも包括した人生=キャリアという考え方です。
いじめられたことも、部活がんばったことも、受験がんばったことも、恋愛も結婚も、出産も育児も介護もなにもかも、自分の血肉になった経験はすべて「キャリア」なのです。

自分が自分を生きれていなかったとき

ここで少しわたしの話をさせてください。

いけかよは、大学を卒業してから2018年に個人事業主になるまでの約14年間、転職を30回ほどしています。新卒当時は2003年、当然「副業」なんて禁止なのがデフォルトでしたから、就業規則を破ってバイトをしていました。
でもそれは経済的理由から。あまりにも手取りが少なかったため、「やってられっか」がスタートでした。

その後も、そのかけもち状態はずっと続き、それぞれを転職を繰り返すわけなので、安定していたものもあれば、1日でやめるものもあり。結果的にパラレルで転職を繰り返したので、30回ほどになりました。

ただ、30代になってから、やっと少しだけ生活に困るレベルを脱した時、転職はお金のためだけじゃなくていわゆる「自分探し」にもなりました。
もっと向上したい、もっとできることを広げたい、とにかく場数をふやしたい、「これ!」と思える仕事を見つけたい、そしてどうせなら人間的にもレベルアップしたい、と。

いつもいつももがいていました。いっしょうけんめい頑張っているのだけど、でも2年くらいすると仕事がつまらなくなる。
仲間には恵まれているのに、上司には嫌われる。
お客さんには愛されているのに、社長には要注意人物と思われる。
結果、鬱になる。

このとき、わたしはわたしの人生を生ききれていなかったと感じています。
会社員でいるということは、他人がつくったルールの中で稼ぐということ。でもそれは、大事なことです。きちんと秩序をまもり、協調し、結果を残し、社会の役に立つ。会社員として務められていて、そこに違和感や不調和が起きてなければ、ほんとうに素晴らしいと思います。

しかしそれができない自分は、社会不適合者だと思っていました。不要な人間なのかもしれないと思っていました。そして、どうやって生きていけばいいんだろうと思っていました。

自分を生きるきっかけは「あきらめ」からだった

そんな紆余曲折を経て、35歳を過ぎ、会社員には向いていないのでは…とうすうす気づきながらも、会社員をつづけていたわたし。
そもそも、今で言う「パラレルワーカー」歴は長かったですから、生活を支える仕事以外にもジョブホッピングは続いていたし、イベントスタッフをボランティアでやったり、セミナーや勉強会で知り合いがたくさんできたり、好奇心とフットワークだけが強みだったと言えます。

でも、圧倒的に自分に自信がなかった。

企業に属さないで生きていくイメージが持てなかった。
スキルはあるけど「わたしは●●屋さんです」と言える看板がなかった。
「やりたいこと」なんてわからなかった。
「自分の強み」なんてどれだけ考えても言語化できなかった。

このときも、わたしは「わたし」を生きれていなかったと思います。
理由はシンプルで、すごく息苦しかったから。

社会や会社というものは、自分を押し殺さねばならない場所だと思っていました。なるべく目立たないようにして、他人に興味を持たれないようにして、そうやってサバイブするのが当時のわたしが見ていた「社会」でした。
そら苦しいですよね。

でも、人生で3度目くらいの「クビ」宣告を受けたことで会社員でいることに限界を感じ、ようやくわたしは会社員でいることを諦めたのです。
なので、フリーランスになったのは「消去法」でした。
ほんらい自分が生きる(活きる)フィールドではないことを恐る恐る認めたのです。
でもそれが、結果として自分自身を生きる一歩となったのです。

みんな「プロ自分」を秘めている

キャリアの話をききながら、①+αの概念を知ったとき、

「じゃあ、あたしは『あたし歴41年』ってことか……!」

1980年に生まれてきて、自分の年齢だけ生きています。そのなかで、スキルを磨いたり学歴を積み上げたり人間的成長を遂げたりして、「キャリア(①+α)」を構築します。

そこで思い浮かんだのは

「あたしはプロの『あたし』になりたい」

でした。

今の自分は、これまでの人生でいちばん受け入れることができる自分です。わりと好き、と言えるかもしれません。
なぜそう思うかと言うと、自分に自信があるとかないとか、正しいとか間違ってるとか、なんのために自分は生まれてきたんだろうとか、そういうことを考えなくなったからです。

20代の頃の、承認欲求まみれで肥大化した自意識を持て余していた自分は、自分が好きかどうかとか自信があるかないかとか、そんなことばかりを考えていたし、前述のようにとにかく自分を殺さなければ生きていけない、と思っていたのです。

でも、人間を含むすべての生命には生まれ持った「ミッション」があるはずなのです。

わたしは「人生には意味はない」と思っています。ただ、これは「自分には持って生まれたミッションがある」とは矛盾しません。

人生における「意味」は、自分自身のミッションに気づくことによって、ことさら色濃くなるからなのです。
「人生」は白紙のキャンバスです。だからそれ自体は無意味です。そこにいろんな自分の色を塗っていく。ここでいう色は「経験」とも言い換えられます。
そこで、長いこといろんな色を塗っていれば自分の色がきっと調和していくと思うんです。最初は赤、黄色、青、緑、といろいろだったけど、だんだんそれらが融合して、結果「全体的にオレンジ」みたいな。

この、きれいなオレンジ色を塗れるようになったとき、「自分はプロの自分になった」という感覚です。

さまざまな経験を経て自分の生まれ持ったミッションに気づけて、それをなんの抵抗もなく思いっきり発信できて、そして世の中を幸せにできていて、もちろん自分も幸せでいられる状態。

つまりは「自分はこのために生まれてきたんだ」とか「これは天職だ」とか「ギフト(gift:才能、授かりもの)」とか思えるような状態。

このとき「自分はプロの自分になった」と言えるのかもしれない、って思ったのです。

「天命を生きている」とも言えるかもしれません。
天命を生きられるようになった自分を、わたしは「プロ自分」と呼びたい。

そして、自分も「プロのあたしになりたい」と思ったのです。

プロ自分を思い出すプロセスが人生なのかも

ほんらい人は、生まれ持ったミッションを生まれてからすぐに生きるはずなのだけど、いろんな抵抗によりそれを忘れてしまうことが往々にしてあります。

幼少期からの教育や、社会的な刷り込みとか、「そんなことできるわけない」みたいな言葉とか、常識みたいなのをおしつけられたりとか、自信をうばわれたり挫折したり、尊厳を奪われることだってあります。

生きるというのは、これらの呪縛から開放されて「プロ自分」を取り戻すプロセスだとも言い換えられます。本来の自分を、自分のミッションを思い出すんです。

もちろん、そうでない人もいます。自分自身を疑うことなく、生まれてから大人になるまで存分に「プロ自分」で生きている人。自分を信じる力が揺るがない人。どんな抵抗にも折れることがない人。はたまた若くして大成し、多くの人を感動させ、「それ以外の将来が想像できない」ような人も(本人の胸中は知る由もありませんが、イメージとしては宇多田ヒカルとか)。

でも、体感として98%の人は成長過程でいったん「プロ自分」を殺されている。
その後の人生を、「プロ自分」を取り戻すことに費やすのです。

でも、それってすばらしい人生です。いちど失ってから取り戻すというプロセスは、まるで骨折した箇所のほうがのちに強くなるがごとく、確固たる拠り所のようなものを自身のなかに構築するからです。旅行もデートも、寄り道が多いほうが楽しいし歩数が増えりゃ筋力もアップする。そんな感じです。

今の自分は、けっこう好きです。
でも、まだまだこれからできることがある気がする。まだまだ学ばなきゃいけないことがある気がする。
もうちょっと、「プロ自分」まで道のりがある気がします。

でも、イチローもカズも大谷くんもB'zの稲葉も、一流の人ほど努力を惜しみません。きっとわたしも「プロのいけかよ」になっても、いやむしろなったからこそ、惜しまず努力を重ねているのかもしれない。

まあ、「努力」とか「苦労」は嫌いなんですけど、プロ自分になった証って、それを苦労だーとか努力だ―とか、そういう感覚をも通り越して身体が勝手に動くみたいな、そんな境地なのかもしれません。

そんな日が来ることを心待ちにしつつ、今日も今日とて、課せられたミッションをこつこつこなしていくのです。

では、また!

Text by いけかよ(よむエラマ編集長/エラマプロジェクトCPO)

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