昔の日本人の価値観が詰まったお正月文化。豊かな和文化の話
明けましておめでとうございます。エラマプロジェクトの和文化担当、橘茉里です。
皆さんは、お正月という言葉から、どんなことを思い浮かべますか?
初詣、おせち料理、お年玉、年賀状、鏡餅、初日の出、書初め……。
具体的に思い浮かべる事柄は人によって多少差があるかもしれませんが、「新しい年の始まり」「めでたい」という感覚は、誰しも共通して持っているのではないでしょうか。
ただ、現代ではデパートの初売り、テレビの正月特番、お正月の家族旅行など、エンターテインメント性が強調され、元々お正月がどんな行事であったのか、意識する機会が減っているように思います。
というわけで、今回はお正月の意味合いをご紹介していきます。
お正月ってどんな行事!?
現在は、1月1日から1月7日くらいまでの、門松を飾っておく「松の内」の期間のことを特にお正月と言い、それ以降は普通に1月と呼んでいる感じですね。
しかし、正月は1年のはじめの月のことを指すので、1月=正月なのですね。ちなみに、元日は1月1日のこと、元旦は1月1日の朝のことです。
そしてお正月は何のための行事かというと、もちろん新年を迎えるという意味もあるのですが、実は神様や先祖の霊をおまつりするということが、本来持っていた意味合いなのです。
先祖の霊をおまつりする行事。それってお盆じゃないの!?
そう思った方、鋭いですね。
1年を二つに区切る行事がお盆と正月で、ちょうど対のような関係性になっています。
極めて忙しいことや嬉しいことが重なることを「盆と正月が一緒に来たよう」と言うことからも、昔の人が盆と正月を同等に見ていたことが分かりますね。
正月と先祖の霊の関連がピンと来ない方、「歳神(としがみ)さま」という言葉なら聞いたことがありませんか?
歳神さまとは、その家の幸福や豊作を司る守り神のことで、お正月には歳神さまを家にお迎えします。
そして、この歳神さまは先祖の霊のことだとも考えられているのです。
お正月には初詣をして、神社にいらっしゃる神様にご挨拶に行く印象が強いですが、お盆も正月も、実は神霊を家にお招きしているのです。
正月の前に大掃除をして家を綺麗に整えておこうという意識も、1年間の汚れを落とすという現実的な意味だけでなく、お招きする神霊のためにという気持ちが込められているのですね。
また、お正月は、大晦日の夜から始まるとされていたようです。
古典の『徒然草』にも先祖の霊が訪れるのは大晦日の夜だという描写があったり、大晦日の夜におせち料理を食べる地域があったりします。
昔は、日が沈むと1日が終わると考えられていたため、大晦日の夜はすでに元日になっているというわけです。
もう一つ大事なことをお伝えし忘れていました。江戸時代までは旧暦ですので、昔の元日は、現在の1月1日ではありません。現在の旧正月が、かつての正月にあたります。
旧暦と今の暦では大体1ヶ月から1ヶ月半くらいズレがあるので、旧暦の元日は立春(2/4頃)より後に来ることも多かったのです。
現代人からすると、正月が立春の後に来るって不思議な感じですよね。
今の正月は、これから大寒(1年で最も寒い時期で、1/20頃のこと)に突入する冬真っただ中にありますが、昔の正月は今よりもっと春の気配や新しい始まり感に満ちていたことと思います。
そう考えると、昔の正月は新年度を迎える4月の感覚に近かったのかもしれません。
あの正月料理には神様が宿っている!
お正月には、様々な食べ物を用意しますね。
その代表格と言えば、おせち料理。
おせちの「せち」は「節」と書きますが、そもそもは正月だけでなく、節目の日に食べる特別な料理のことをおせちと呼びました。
そしてご存知の通り、おせちには鯛=めでたい、昆布=よろこぶ、海老=長寿、田づくり=五穀豊穣など、それぞれに意味や願いが込められていますね。
私は、昆布や田づくりなどのあの甘い味付けが少々苦手で、子どもの頃は「なんでおせちに入っているんだろう。もっと美味しいものを詰めれば良いのに」と思っていました。
でも、昔はきっと昆布やイワシの幼魚(田づくりの材料)を入手することが困難な地域もあったことでしょう。
そんな人たちにとって、お正月に食べる昆布や田づくりは、御馳走だったはずです。
あの甘い味付けは、今でも積極的に食べたいとは思わないのですが、おせちは美味しいものを食べるための料理ではなく、和の心が詰まっているのだと考えて、大切にいただくようにしています。
さて、私たちは正月料理の中で、おせちをとりわけ特別なものとして考えがちですが、ある意味でおせちよりも重要な食べ物があります。
一体何だと思いますか?
それはお餅です。
お餅は神様への捧げ物のなかでも上位の食べ物とされ、神様が宿る依り代でもあるのです。
お正月の鏡餅が丸いのは神様が宿るためです。
丸は神様が宿る入れ物の形なのですね。
日本の神様は木や岩など様々なところに宿ると考えられていますが、丸には神様が宿りやすいのかもしれません。
神社の社殿にまつられているご神鏡も丸いですものね。
神様に捧げた鏡餅は、松の内の期間が過ぎると他の供物と一緒に煮て雑煮にします。
これは、神と同じものを食べることによって、神との結びつきを強くし、加護を得ることができると考えられているからです。
文化を知ることで生き方が豊かに
こう見ていくと、お正月は自分たちが楽しむためのものではなく、神様や先祖の霊のための行事であったことがよく分かりますね。
だからと言って、自分たちが楽しんではいけないということではありません。新しい年を大いに祝って、楽しんで良いと思います。
大切なのは、「自己中心的にならない」ということでしょう。
例えば、海外の方が神社で大声で雑談していたり、自撮りに熱中したりしているのを見て、ちょっと嫌だなぁと感じる感覚。
皆さんも覚えがありませんか?
これって、単に「マナーが悪いなぁ」と感じているのではなく、無意識のうちに「私たちの大切な文化をないがしろにしてけしからん」「神様の前で失礼だ」と思っているような気がします。
楽しむのはいいけれど、礼を失してはいけない。
お正月の楽しみ方も同じような気がします。
「自分が楽しければいい」ではなく、これまで日本という地で培われてきた大いなるものに対して敬意を忘れてはいけないと思うのです。
これは神様を信仰しなさいということではありません。
私はよく日本の神様の話をするので、信心深いように見えるかもしれません。しかし、実際は信仰心が篤いというよりも、昔の日本人が何を大切にしてきたのかを知ろうとすると、神様の話に行きつくし、それが楽しいから話題にしているのです。
そして私は、昔の日本人の価値観を知り、その上で思考・行動した方が人生が豊かになると考えています。
私自身、和文化に親しみ、日本人の心を学ぶことによって、それぞれの年中行事をより大切に過ごせるようになり、より深い満足につながっていった経験があります。
お正月に関して言えば、おせちの意味を分かった上で食べた方がしみじみと味を感じることが出来るでしょうし、鏡餅が神様の依り代と知っていれば、「雑には扱えないな」「どこに飾ろうかな」「じゃあちょっと棚を掃除しようかな」と気持ちや暮らしが前向きに進んでいくように思います。
この話に共感していただけるようでしたら、ぜひ元来持っていた行事の意味を大切にした上で、その行事を楽しんでみてください。
私も今回のような行事の話を、今後も発信していきたいと思いますが、行事の意味はインターネットでも簡単に調べられます。
難しい文献を読む必要はありません。隙間時間の5分でちゃちゃっと調べる。こんな軽い付き合い方から始めれば良いのです。
そのくらいの感覚で、日常に和文化を取り入れてみてください。きっと新たな気づきや心の在り様に出会えるはずです。
Text by 橘茉里(和えらま共同代表/和の文化を五感で楽しむ講座主宰/国語教師/香司)
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