【アークナイツ考察】「ファントムと緋き貴石」に散らばっている情報と秘密(大陸考察の和訳)
【翻訳転載の許可エビデンス】
◆リンク
https://www.bilibili.com/video/BV1Lq4y1y7wM?share_source=copy_web
◆作者様ID
克劳斯麦特
◆STAFF
制作:@炎圣人但丁、ArkRemake
美術:@艾尔居民 @RockyRoo
協力:@活尸化 @RuinDeity
◆公開日:
2022-01-09 16:09:57(大陸版ローグライク実装4日目)
【ネタバレ注意書き】
スクリーンショットを多く使用するため、ピックアップ箇所を下記にてご確認ください。
・ローグライク情報サイトのフレーバーテキスト
・ローグライクエンド1~エンド3
・ローグライクおたからフレーバーテキスト
・灯火序曲カーネリアン編
・ニアーライト
・メインストーリー9章
・ケルシーイベント
大陸版先行情報のネタバレはありません。
また、Yostarは「ファントムと緋き貴石」の公式サイトを公開してくれましたが、「古城の掲示板」に関してYostarの翻訳がまだ終わってないからか、出されていない内容もあるため、見当たらない部分は自分が翻訳したバージョンを使用します。
【訳者の前書き】
中国語からの翻訳のため、いくつかの注意事項を書かせていただきます:
-原作者の注釈と訳した私の注釈を区別するために、私からの注釈は「*」マークを使用します。
-できるだけ避けたいと思いますが、日本版のイベントストーリーが実装される前に翻訳作業をしていたため、正式版の訳と異なることがあります。
-原作者の方の観点をなるべく忠実に再現したいと思いますが、術語の使用や表現は間違っている可能性があります。表現の違いについてご指摘いただければ修正します。
‐今回はビデオからの翻訳で、文章化して読みやすくするために軽く編集させていただいた箇所もあります。
‐また他に何かあればマシュマロまで→https://marshmallow-qa.com/el_prv
また、今回使用するプロファイル資料と一部は白wikiを参考しています。有志の方々に感謝いたします。
おたから資料は黒Wikiのデータを使用しています。ありがとうございます。
https://wiki3.jp/arknightsjp/page/938
ヨースターはローグライク公式ページを公開しましたが、「古城の掲示板」についてまだ出されてない部分もありますので、自分で翻訳しました。古城の掲示板のすべての内容を一度確認したい方は下記をご参照ください。
https://note.com/el_prv/n/n5e44db46f3a5
エタニティとパラノイア(ETERNAL STAGE)
前回のアークナイツ統合戦略からもう16か月が経ち、2期である「ファントムと緋き貴石」はついに実装されました。ファントムと関わり深い「オペラ座の怪人」風の仕上げは味わい深く、前回の「ケオベの茸狩迷界」と比べて、全体の美術の表現力は間違いなく一段階向上したと思います。どこまで進んでも、セライブラソン古城の雰囲気は相変わらず夢のようで、何度繰り返されても、心に直撃する「クリムゾン劇団」の力はいつも影のように寄り添って離れない、というのは豊かな美術表現力のおかげではありますが、その上で更に存在する明確なストーリーも大きな原因ではないでしょうか。
前回の統合戦略はプレイヤーの反応を伺うβ版だからでしょうか、「ケオベの茸狩迷界」のストーリーはほとんど意識の流れに身を任せる「感じる」系のもので、全体の世界観とのつながりは少々弱いと思います。一方で、今回の「ファントムと緋き貴石」のメイン舞台は終始、背景のガリアと関わっています。
プレイヤーたちが実際に経験する「ファントム救出作戦」以外、「ファントムと緋き貴石」は多くのイベントとおたからを通じて、支離滅裂ながらも毛骨悚然な裏ストーリーをゆっくりと語ってくれています。すべての背後には一体何が隠されているでしょうか。いよいよ開幕の時、「クリムゾン劇団」の演劇をお楽しみください。
美酒と激情(PERFECT NECTAR)
クリムゾン劇団の劇団長は「長命者」です。彼は、芸術と呼ばれるあらゆるものにかなり精通していたようです。
こんな彼が一番愛したのは、すべての要素を包括した演劇で、この狂ったような歪な愛から生まれたのは「クリムゾン劇団」でした。
劇団が誕生した後に、彼らはあちこち旅を続け、究極の芸術を広めていました。彼らの演劇はどれも人の心を揺さぶり、多くの観客を魅了してきました。
しかし、演劇のクライマックスに伴って消えていくのはいつも片方の役者の命、あるいは舞台以外の誰かの命でした。過去の物語について詳しく知る由もありませんが、彼らの演劇はまだ暫く続いてました。
いつの話か、双子の女帝が支配するリターニアには、アーレンツという高塔の貴族がいました。彼はかつて、禁断の呪文に関する研究に携わった経験がありました。
「灯火序曲」にも触れたように、今のリターニアで悪い巧みを捨てない貴族たちは未だに巫王の遺産を借りて王位を奪おうとしています。彼らにとって巫王の研究を再現できる人材がもっと必要です。
だから当然、アーレンツは貴族たちから声をかけられ、計画に参加することになりました。しかしある日、アーレンツが劇団の演劇を観てから、すべてが変わりました。
アーレンツは、目に映るクリムゾン劇団の鮮血の赤から抜け出せないほど夢中になりました。彼はパーティーを開き、参加者全員を皆殺しにしました。彼は何もかも向う見ずに、自分1人のための劇を楽しみました。この事例からも、クリムゾン劇団の比類なき魅力の一角を推し量れるでしょう。
襲い来る芸術の波は多くの人に切ない思いを抱かせるほど魅力的でした。このタイミングで、劇団長の芸術への探求をさらに一歩推し進めた人物が現れました。
オペレーター・ファントム、本名ルシアン。孤児だった彼は劇団長に引き取られ、劇団長の全力な育成のおかげで色々な技術を授けられ、後に「クリムゾンソリティア」になりました。
劇団長がルシアンにしたことのように、シャドウも、ズルカマラも、ブレイドダンスも、元々今のような人間ではなかったはずです。
劇団は彼らを「漂白」し、「キャラクター」になりきるための必要なものを代わりに与えてやりました。芸術に必要とされるのは彼ら自身の存在ではなく、「演劇の中にいる彼らの姿」の故、コードネームが得られたその瞬間から、彼らは自分という存在を完全に無くすしか他の道がありませんでした。
「謎の情報屋」イベントで、ズルカマラは裏表のある女と評されました。よく考えてみると、この「見目麗しき容貌」の裏にもう何も残されておらず、これこそが「ズルカマラ」のあるべき姿でしょう。
劇団の闇を知ったルシアンは、この芸術の皮を被った悪を放任することができなくなりました。
あの夜、歌声の中、彼は劇団長を含む自分の先生たちを自らの手で殺しました。
ファントムは、クリムゾン劇団が完全に消滅し、未完成の自分も半分しか緋色の狂気に染まっていない「緋滲む貴石」になったと思い込みました。しかし、長命者の布石はこうも簡単に逃れられるわけがありません。ルシアンは間違いなく、既に劇団長の最上にして最も完璧な作品になりました。
劇団長が望んでいる壮大な演劇は既に始まり、クリムゾン劇団の壊滅さえもその一幕に過ぎませんでした。
物語のように、そして彼の言葉のように、彼は劇団長の視線から逃れることは一度もありませんでした。では、劇団長が求めている芸術は一体何なのでしょうか。
真実を突き止めるために、まずは劇団長の酒神との関連性を理解しなければなりません。
ここの酒神は、古代ギリシアのワインと植物の神であるディオニュソスのことで、その存在には常に狂気と死が伴うとされています。前者はアルコールの人を酔わせ、幻覚を起こす効果に由来するもので、後者は冬に枯れ、春になってまた再生する植物を象徴するとされています。
「酒神のシンボル」の英語表記にある「TRAGODIA」は古代ギリシア語において「悲劇」を意味し、今の英単語「悲劇(Tragedy)」の語源にもなっています。このように、劇団長のモチーフにはミノスのディオニュソスとギリシアの悲劇哲学両方の要素が入っていると考えます。
これもまた、なぜおたからの中に木の枝とワインがあるかの原因です。
公式サイトで公開された酒神のシンボルのフレーバーテキストから、劇団長にとって最も魅力的なシナリオはまさに悲劇であることがわかります。
ギリシアの悲劇哲学で、悲劇は純粋なマイナス的な結果ではなく、むしろかなり複雑で厳かな過程と表現であるとされています。アリストテレスは『詩学』で下記のように定義しています:
簡単に言えば、ギリシア哲学の定義に従って、悲劇に残された悲しみは終わりだけでなく、その感情が絡み合い、更に昂ったときに現れる激情が悲劇の向かう先です。プロメテウスが火を盗んで岩山に縛られた話を知ったとき、彼の境遇に悲しみながらも、誰もがその尊い犠牲に心が揺さぶられ、心の中に小さな火がついてしまうでしょう。
そして、ディオニュソス自身は悲劇の定義と格別によく合っており、長い長い間、悲劇はディオニュソスを賛美し、その行いを謳うものでもありました。
これらを踏まえて劇団長の芸術への追及を見てみましょうか。劇団長が見たがっているのは死と悲劇ではなく、美しいものがこれらの感情の中に消えてゆく瞬間を欲しています。
この瞬間は誕生すると同時に芸術となって、永遠に存在し続けていく、これもまたディオニュソスの植物の神の側面が象徴する新生です。しかし、今回のイベントにおける演劇スタイルはこれとまた違うように見えるのではないでしょうか。
まず、イベント「苦しみからの解放?」で、ある油絵を通して、プレイヤーたちは何者かが絵が示すように古城に閉じ込められていることを知りました。
同時に手に入るのは上記のぬいぐるみです。――「もうたくさんだ、二度と誰かの手で操られる人形なんかになりたくない、と」。
この文章を読むだけでも、「司会者」こそが今回の事件の背後にいる黒幕だとわかるでしょう。
ボロボロのぬいぐるみを手に入れたら、狂ったぬいぐるみたちに邪魔されるイベントが発生します。これは部外者と「主人公」の接触を遮断するためだと考えます。
この中で、プレイヤーはまた誰かにハサミを渡されました。「長く使われすぎて形無き戒めをすべて断ち切ることができるようになった」、この無用なハサミの説明は、何者かが戒めをすべて断ち切ることを強く渇望していることを表しています。
一連のイベントの最後、プレイヤーはやっと物語の「主人公」に会えましたが、彼はプレイヤーに遺書を残して窓から下へ飛び降りました。ーーまさに最初に見たあの油絵の描かれた通りの結末です。
この空白の遺書の紹介文はこう書かれてます:「彼を操ろうとしたあの狂人から逃れること、それが彼の唯一の願いだった。」つまりこの青年は、「司会者」が自分のパフォーマンスを完成するためという理由だけに古城に閉じ込められたのです。
しかし、このような活気がない悲劇は感情の浄化どころか、演劇の主題に対する幅広い表現と葛藤という基本的な要素も全くありません。だから「司会者」の才能は認められませんでした。しかし、「傷心の巨錠」はあくまでエピソードに過ぎず、「司会者」には他の目的があります。
司会者の真の狙いはシャレムです。シャレムは過去、劇の最も重要なシーンで相手を殺すことができませんでした。だから今日、彼は殺される側になって悲劇に彩を添えてもらう予定でした。
これはもちろん劇団長の意志ではありません。劇団長は司会者を認めていません。その同時に、演劇のクライマックスを台無しにしたシャレムにも嫌悪感を抱いています。
今回、すべての演目の中で彼を引き付けることができるシーンがあるとしたら、それは「ドクター」とシャレムが未知の恐怖に抗う意志でしょう。
だからこそ、私たちは「もう1つの結末」を観ることができました。
1つは無事にファントムを救出できた通常エンドです。
もう1つは司会者を撃破して劇団長が惹きつけられ、劇の再開を決めたエンドです。
既に倒された司会者も再び立ち上がりました。
このリターニア人はまだ「生きている」のか、それとも単に劇団長の力によって機械的に立ち上がっただけなのか、いずれにせよ、私たちはまだ劇団長と戦ったことがありません。
黒蛇コシチェイと同じ歪んだ感情がお持ちの長命者として、酒神も今回の舞台に直接関わっていませんでした。
彼はただ、1人の観客として下手な演劇を眺め、司会者が作った舞台から流れてくる足掻きと混乱を味わっていました。この酒神を更に深く知るために、ミノスの過去についての理解を深める機会、もしくは将来、彼に直面する機会が必要でしょう。
四皇会戦(QUADRUPLE WAR)
劇団の物語以外、「栄誉の象徴」のいくつかのおたからを通して、四皇会戦に関する多くの情報を得ることができました。
まず、四皇会戦の起因は巫王とガリア皇帝の衝突です。
最初、ウルサスは宣戦布告をしていませんでした。
面白いのはヴィクトリア側の態度で、この文章から参戦時にヴィクトリアの状況がよろしくなかったことがわかります。ガリアの手腕により、ヴィクトリアはある土地の支配権を失いました。そう、これはまさにケルシーのプロファイルに書かれているあの件です。
フレデリック3世は成功と失敗の瀬戸際に、自ら腕を断つ勇者のように即座北西部の辺境を放棄する決断を下しました。この決断はクルビアに独立の機会を与えました。
そのおかげで、ヴィクトリアと他の2か国の連合軍は集中的な攻勢でガリアと対抗することができました。既に小さくないプレッシャーを耐え続けていたガリアは不意に突かれ、戦略的に有利な作戦環境を整える暇もなく、一気になぎ倒されました。そして四皇会戦後でも、テラに平和が訪れることはありませんでした。戦勝国が戦利品を消化すると、新たな併合も始まりました。
第一ラウンドの要は騎士の国カジミエーシュでした。
四皇会戦直後、改革を終えたウルサスによって第十次カウ戦争が始まりました。この戦いでカジミエーシュはリターニアとウルサスの両面から攻勢を受け、いずれの戦線においても優位に立つことができませんでした。もしものことがなければ、カジミエーシュはこのまま滅ぶ運命でした。
しかしこの時、カジミエーシュ人の涙の中に希望を背負って立ち上がった英雄がいました。ーーニアール家の英雄、キリル・ニアール。
しかし、辛うじてこの一戦に勝つことができたとしても、最終的にいくつかの移動都市が犠牲になってしまいました。
この敗戦を機に、騎士の国が一変し、現代の無冑盟の誕生、商業連合の台頭、征戦騎士の変革と騎士競技の変質、すべての原因はこの敗戦に遡ることができます。
1062年、第十回カウ戦争が終わり、その後の10年間ウルサスは依然として強国の姿を保っていますが、先帝ウーマニはいつまでもいるわけがありません。
この10年間、先帝の病状が悪化すると同時に、今の皇帝フョードルはウルサスの衰退に気づきました。見かけ倒しのウルサスは極東への侵略を強行した結果、血峰の戦いで敗れました。
先帝の死と血峰の戦いの敗戦により、ウルサスで大反乱が起こりました。
これを機に、軍隊の勢力が大きく削られました。しかし同時に、ウルサス自身も大きなダメージを受け、つい最近の1097年までも再起することができていません。それに並行して、リターニアも大きな出来事がありました。
ガリアに勝ったリターニアは、巫王の恐怖支配を打倒するための準備が進んでいました。
そして人々に選ばれた勇者は、双子の女帝でした。彼女たちは使命を果たし、新しいリターニアを築き上げました。
その後、「女帝の声」は双子の女帝を代表し、使節として周辺諸国へと訪問しに行きました。その後、ヴィクトリアでリターニアに宜しからぬ企みを持っていたノーマンディー公爵を抑止することができました。
同時に、輝蹄の町で炎国と新しく協定を結び、局面を安定させました。一方で、ヴィクトリアの局面は錯綜していて全く見通しがつきませんでした。
ヴィクトリアは1085年よりも前に、指導者がいない状態がずっと続いており、多くの民衆は何がどうなっているかわからない状態に陥っていました。
まず、アスランの最後の君主が無残に処刑され、長く政治から遠ざかっていたドラコも一族全員が殺される羽目になりました。ヴィクトリアには一体どんな激変が起きたのか想像もつきません。同時に、この状況は犯人がアスランとドラコ以外の第三者であることを示唆しているかもしれません。
この先は一体何が待っているのかはまたこれからの楽しみですね。
真の舞台(THE TRUE WORLD)
◆リンク
https://www.bilibili.com/video/BV1qG411W7mE?share_source=copy_web
◆スタッフ
制作:@克劳斯麦特
脚本:@无名404error @炎圣人但丁 Ark Remake
協力:@活尸化 @百夜言月
◆公開日:
2022年7月8日 22:15:43(END4実装後)
*作者様はローグライクの考察を2本出し、2本目はEND4実装後に発表されたものの、先行バージョンの話がほとんどなく、ガリア中心の考察になっているため、同意を得てこのように1本にまとめました。導入を省き、先行バージョンのネタバレ配慮を加え、軽く修正しましたが、どうしても避けられない設定(おたからフレーバーテキスト1つ、10章ウルサス関係の設定1行)に関しては翻訳することにします。不安の方はEND4実装後にまたお会いしましょう。
セライブラソン古城自身のストーリーはガリアについて一連の手がかりを残してくれました。これらのヒントを借りて、テラにおけるガリアの姿はやっと垣間見ることができるようになりました。
ガリアはかつてテラの中心であり、最も進んでいた国でした。
ガリアが滅んだ後、そのやり残したことを引き継いだ国がきっとあるはずです。そんな遺産を残したガリアはいったいどんな国で、今のテラに何を残してくれたのでしょうか。
初めての第一歩(IRRESISTIBLE ENTIRETY)
ガリア帝国のモチーフは、現実世界におけるフランスであることは言うまでもないでしょう。しかし、テラ大陸におけるガリア帝国初期の歴史は、まだ明らかにされていません。
私たちにわかるのは、ナイトモラのハガンがテラ中央の奥地に出征したとき、ガリア皇帝とその軍隊と激しい戦いを行ったことがあったことだけです。
その後、すべての神民帝国が数十年内に滅んでしまいました。腐敗した神民の支配者たちは次第に国内の先民たちに打倒され、神民と先民の間の種族差別がだんだんなくなり、支配と服従という歴とした階層関係も消えてなくなりました。テラのガリアも現実世界のフランスと同じように、テラの近代化発展において重要な役割を果たしました。
一方で、ガリアの栄枯盛衰も紆余曲折で、ケシク達がテラ大陸を席巻した後、ガリアは快調に頂点に返り咲きました。
これは当然ながら、何人もの支配者による優れた統治なくしては叶わなかったことです。今回のローグライクのイベントで、ガリアのい第六代皇帝と第八代皇帝が登場しました。
ガリアのアイリスと鷲式の紋章は、旧王家の種族がリーベリだということを示している可能性があります。そして皇帝論争の2人のモチーフはそれぞれ、フランス王の「良王アンリ」と「太陽王」だと考えます。
アンリ4世は、当時最も気さくな君主の人だと言われ、「休日には、すべての国民の鍋に鶏が入る国にしたい」という名言を残しています。
彼はブルボン朝の初代国王で、ユグノー戦争に勝利した後、「ナントの勅令」を発布し、半世紀以上にわたってフランスを苦しめてきた宗教内戦と宗教による政治干渉に終止符を打ちました。
その後、彼はシュリ公を中心とする閣僚のサポートの下で民力を養う一連の政策を打ち出し、内戦で焦土と化しかけたフランスを勢いよく回復させ、国力を蓄えました。彼の努力のおかげで、フランスは秩序を取り戻し、変貌を遂げました。
ヴォルテールは彼についてこのように評価しました:「もしアンリ4世が当時最も勇敢で、最も寛大で、最も真っ直ぐで誠実な君主であったのならば、その王国はとっくに滅んでいただろう。」アンリ4世の実用的かつ柔軟な政治思想は、フランスの政治的伝統を大きな影響を与え、フランスを作り直したといっても過言ではありません。このあたりの歴史は恐らく「神民時代」が終わった後のガリアの台頭に一致していると考えます。
そして、「太陽王」と自称しているルイ14世はアンリ4世の孫かつ人類史上最も長く君臨した君主の一人でありながら、世界史上最も長く君臨した主権国家の君主でもあります。
彼の治世では、ヨーロッパにおけるフランスの相対的国力はピークに達し、欧州大陸の他の国に比べて非常に強い優位性を持っています。
彼はコンデ公、テュレンヌ子爵をはじめとする優秀な軍事天才を多く起用し、その治世では、ネーデルラント継承戦争、仏蘭戦争、大同盟戦争、スペイン継承戦争という4つの大きな対外戦争を起こし、いずれにおいても群を抜いた成績を収めました。しかし、戦争の成否はフランスの国力向上に必ずしも有益なことではありません。後2つの戦争は結果的に勝ったとしても負けた同然で、それに対しての評価は賛否両論です。
全体から見て、ルイ14世は祖父アンリ4世と比べても父ルイ13世と比べても平凡な人物でした。
ナントの勅令の廃止とユグノーに対する追放、虐殺、略奪は、良王アンリが築いた土台を完全にひっくり返したともいえるでしょう。また、経済を疎かにした中でむやみに武力を振り回す好戦的な行為もフランスの財産を逼迫させました。
その後に即位したルイ15世は、どうせ何をしても事態をいい方向に変えることができないと思ったからか、その振る舞いに何らかの諦めを感じ、結局ルイ16世もほぼそのせいで処刑されました。
なぜモチーフがルイ14世だと考えたかというと、「皇帝論争」のイベントで、両者の賛同を得るには、コルシカ1世の功績を認めなければなりません。
これは、ある皇帝がコルシカ1世に自分の「偉業」を重ねて、他人に認めてもらえたかったと解釈すれば面白くありませんか。
最後に、最も輝かしいコルシカ1世を見てみましょう。
コルシカ1世の主たるモチーフは言うまでもなく、皆さまがよくご存知のナポレオン1世です。
コルシカという名前はフランスの一番大きい島、コルシカ島から来ており、ここはナポレオン1世の故郷でもあります。
ナポレオン1世の要素はまさにその軍事的成功にあり、ローブの紹介に言及した失敗は当然ながら、ワーテルローの戦いのことを指しています。
多方面からのプレッシャーという敗因まで歴史に一致しています。一方で、個人的に軍事面の特徴をまず置いといて、どちらかといえばコルシカ1世にはナポレオン3世の要素が更に多く盛られているのではないかと思います。
ナポレオン3世、彼は普通選挙制を復活させ、大革命の成果を破壊しようとしていた七月王政と第二共和政を抑制し、結果的に国民主権の推進に貢献しました。
彼は、長い間無視されてきたフランスの農民を、真に国政に参加させるように動員しました。彼が確立した「前衛党」制度は、現代の政党、とりわけ社会主義の政党の形態に大きな影響を与えました。
ナポレオン3世の夢は「フランスを再び偉大な国にする」ことで、彼は第一帝政期の栄光を取り戻すことを切望しているため、当時のフランス社会に対して強い改革の意を抱いています。
経済面では、彼は近代化改革を以て、フランスの時代遅れの経済体制を一新させ、自由貿易、大規模なインフラ建設、社会・労働保障制度の構築等の一連の政策を通じて、フランスの工業革命を果たしました。そのおかげで、長年にわたり混乱に陥っていたフランスはヨーロッパ大陸の覇権を取り戻しました。
インフラ建設において、彼はジョルジュ・オスマン男爵と共に、住宅、交通網、公共施設など、細部に至るまで配慮が行き届いている壮大な都市再開発計画を立案しました。これらのインフラ建設によって、パリ全体が近代的な都市へと変貌を遂げ、凄まじい勢いで発展してきました。ナポレオン3世の成果を見れば、彼を社会主義革命の先駆者と呼んでもいいかもしれません。
ナポレオン3世がフランスを再興する際の理念と行動は、その後のほとんどの新興工業国が台頭する際の、または経済危機に対応する際のスタンダードケースになりました。
故に、コルシカ1世の記述にあるこれらの法案はナポレオン法典のほか、3世が提案した経済・金融法案も多く含まれていると考えます。
ローグライクおたからの銀行小切手と経済改革法もこれらの要素を反映しています。
その優れた統治能力のとは対照的に、ナポレオン3世は軍事分野においてあまり得意ではなく、一方でその出自から、国内での政治的威信と政治バランスを保つために強硬な態度を取らなければなりませんでした。故に普仏戦争やセダンの戦いで失敗した後、彼は笑いものにされるようになりました。
コルシカ1世の紹介で彼の晩年のいくつかの戦略的ミスに触れています。これはナポレオン1世の失敗以外、3世もモチーフに入っている副作用だったのかもしれません。
テラのガリアに話を戻すと、その主な特徴は非常にスピーディーかつ効率がいい軍事的伝統、進んでいる金融システム、発達した源石工業と戦争動員システム等が挙げられます。
ガリアの覇業と支配はもはや誰にでも阻止できないものだと、ケルシー先生でさえこのように評価しました。当時のガリア帝国は絶対的な優位性を持っていました。個人的な意見として、ガリアが覇権国家になったのもその一連の改革と深いつながりがあるのではないかと思います。まさに成功も失敗もそれによって決まってしまったということですね。
ナポレオン1世がブルジョワ革命家で、ナポレオン3世がフランス大革命の成果を守ったように、ガリア人の強い民族意識と連帯感は、こうした先進国の優越感から生まれたものだと考えています。しかし、テラにおけるガリアの先進をどう理解すればよいかはまだ答えがありません。だがそれでも、いくつかの推測を立てることができると思います。
今のテラにおけるほとんどの国は、封建社会から資本主義社会への移行中、あるいは移行済みの段階にありますが、どの国でもガリアほどの栄光を成し遂げていないように見えます。いったいなぜガリアは先駆者になれたのでしょうか。
四皇会戦で前線が不利になり、コルシカ1世が徴兵令を発動した時、セライブラソン地区はすぐ軍隊を集結しました。
集まった人々の熱意と大きな志とは対照的に、彼らがただの民兵に過ぎません。これはおそらくガリアの特徴である、高い国民信頼度と高度に統一された制度を表現していると考えます。大陸の中心に位置するガリアの民族構成は他の国のように混ざり合っておらず、このおかげで、ガリアの中央集権は高い水準で安定性を保つことができていたと考えられます。
そのため、このような辺境貴族でも国に忠誠を尽くしていました。
また、ガリアのアーツ研究もかなり進んでいました。
ガリア人は基本それを補助として使ってましたが、他国を大きく引き離すレベルでした。例えば今の源石回路の技術はガリアが率先して開発したものかもしれません。しかし、残念ながら世の中のことは推し量りがたく、歴史はいつも残酷なものです。
ガリアは、かつて繫栄していたカズデルのように滅亡しました。今のガリア人はサルカズと同じ、故郷を失った遺民となりました。
ヴィクトリアはガリアの遺産を受け継いでテラにおける最も力強い中心地になりましたが、その時代遅れの民族政策と歴史的制度はガリアの比べ物にならず、ただの運がいい成金にしか見えないのです。
それに比べてリターニアは少し落ち着いてはいますが、力と権力を求める選帝侯たちの欲はまた新たな波紋を広げています。
新参者のクルビアは、ガリアの支持の下で独立し、その後急激な拡張が始まりました。例えば内部と外部両方同時にプレッシャーを与えてボリバルに対する侵略を行ったとか。
また例えば工業先進国だったはずのヴィクトリアに逆侵入して、ライジン工業とライン生命をはじめとする各企業が各分野で画期的な技術革新を行っているとか。
しかし、陳腐が故に感染者を迫害している他の国とは対照的に、クルビアはむしろその先進さが故に感染者を消耗品として利用している病的なところがあります。
残念ながら、ガリアの遺産を受け継いだ諸国はそれをうまく生かすことができていません。そして今、ガリアの帝国復権主義者たちもテラで暗躍しています。
彼等はヴィクトリアとリターニアに対して骨に染みる深い憎しみを抱いており、何度も敵国の博物館から自国の貴重な遺物を取り戻そうとしています。
ヴィクトリアで、彼等はロンディニウムの天災雲の下にも現れ、この都市がリンゴネスと同じように戦火で滅ぶのを期待しているかもしれません。
ガリアはもうテラの地図から消えてなくなりましたが、在りし日の影はまだ至るところで映っています。ガリア、それはある革新の地の名前でした。彼らの物語は今も続いています。