定年を迎えられなかった趣味プログラマ
ふと思ったことだが、
プログラマには35歳定年説があって、
今、昔、そしてこれからについては暇だから普段から暇なときによく考えるのだが
今回は他にもそういった節目がなかったかなと考えてみると
仕事ではないが、20代中盤の頃にそういった時期があったなと思ったので少し文章にしてみる。
まあタイトルの通りではあるが、私は趣味でもプログラムを書き始めたのは10代の終わりくらいで、そこから20代の前半くらいまではひたすら書きたいものをルールとか再利用性とか無視して書きなぐっていた。
その過程でフォーマッタとかデザインパターンを知ることになって、知るにつれて研磨されていった。
そこから技術書や入門書にハマることになる。
他のビジネスマンだと自己啓発にハマるのが新卒付近らしいが、
私の場合、入門書で脳汁がしっかりと分泌されていたので、あまりハマらなかった。
技術書は良い。購入するだけで優越感を手に入れることができる。そしてなんとなく読み終わると賢くなった気がするんだ。
入門書は良い。技術書の利点に加えて内容が大したことないので理解したつもり感が非常に強い。
だから当時の私は週に1冊ペースで購入していた。
現代風?だとこれらを購入した後にTwitterに乗せてドヤ顔する。
私はやらなかったが、当時はもう少し素直になってそういったことやっていればよかったと少し後悔している。
なぜなら他の記事でも書いているが、こういった技術書の購入は現時点の私から見ると極めて無駄な支出だと断言できるからだ。
なぜなのかは上に記載してる。
技術書を6割程度理解することはその技術書によって変わるが、
週に一度のペースで購入しても入門書ならまあ調子がいいときならギリギリいけるか…?くらい。
当然だが底辺労働者は常に体調もメンタルもよくないことがほとんどだから、だんだんと積まれていくことになる。
しかも、すべてのリソースをそれに割くことにはなるから交友などはほぼ死ぬことになる。
いや、一緒に活動できる友人がふつうはいるのかもしれない。
私はいなかったが。
さて、この入門書を読み続けていると自信がついてくる。
そして難しい本に手を出して、やけどする。
しかし、何年かこんなことを続けていると次第に焦りがでてくる。
私はこのままでいいのか?
オライリーを読むべきじゃあないのか?
そもそも何かを開発するべき段階に来ているのではないか?
ここが分かれ目だと思う。
やりたいことが明確である人間はこんなことで迷わない。
もう分野を見極めて、とっとと次のステージに向かう。
しかし大抵の人間は最初からそうではないので、入門書を読み漁る。
しかし私は、いつまで経ってもそこから飛び立つことはなかった。
やりたいことなんてなかった。
別にOSS作りたいとか、アプリで世界を良くしたいとか、マネーゲームしたいとか
ないんだ。
RDBMSも作ったらなんかかっこいいかなくらいのモチベだ。
本当に35をとっくに超えても、わからないんだ。
私の定年
入門書をやり尽くして、新しい入門書もどうせ同じと判定して、
あいかわらず強い使命感や欲みたいなものもない。
でもまだ続いてる。
怖い。なんで?
諦めてくれよ。もういいよ。
引き返せない。ここまで人生を賭けてきた。
いや、他人からすればグダグダしてただけに見えるはずだが、
これはあれだ。パチンコだ。やったことないけど
何万、何十万もまけて、このまま帰れない、終われないといった感情と同じものだと思う。
投資やサロンみたいな明らかに怪しそうなものに騙されている人間をバカだと思ったことはある。
しかし、これを書いている内に 私も変わらないな と思った。
パチンコ打つのも、今の私のスタンスで仕事するのもだいたい一緒だ。
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