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持病「やりすぎる」をぼやく

「つらいことがあったぶんだけ幸せなことがあるよ」ということは「幸せなことがあったぶんだけつらいことが待ってる」ということで間違いないですね❓️(クチャクチャ)(オタク特有の早口)(コーナーで差をつけろ)と思ってしまう性格をしています。

なんかこういうこと↓だったので、花の金曜日だし書きに来た。練ると寝かせてしまうので(そのまま腐敗)、さくさく書こう。

アイコンはじゃがいもの皮

先日読んだ本がよかったのでそのあたりの内容にふれつつ。

本isこれ

なんどでもやらかすのだが、やり過ぎてしまう。やり過ぎてしまうのだ。やり過ぎてしまう。

メディアや大人の表向きの発言は、「頑張ることは良いこと」という。私は野球観戦好きの実家に住んでるので野球をよく観るが、サヨナラ勝ちという現象。「あきらめないのは良いこと」というメッセージを受けとる。

そして野球は関係ないが、「人を嫌うのはよくないこと」「自分のことばかり考えるのはよくない」とかもある。

それらはすべて、教えである。本では【方向性】と書かれている。

もうひとつの軸として、【程度】がある。「頑張る」でいえば「人生かけて頑張る」なのか「気が向いたときだけ頑張る」なのか。

私はどうもこの【程度】でいつも躓く。シングルタスク人間だし、ゼロヒャク思考、過集中でなんでもやってしまう。良い結果を出したいゆえなのだが、体調に支障が出るレベルでやってしまう。

脱線するが最近『死役所』を読み返していて、まっすぐ突き進みすぎてやらかした職員の話を読んだ。面白かった、そしてあそこまではいかない。死役所はいいぞ。死役所を読もう。

話を戻して、やり過ぎて体に支障が出ていることについて私は「反省はしている。後悔はしていない。」としか思っていない。だから何度でもやらかしてきたし、今後もやってしまうのだろうと思う。ほんとに苦手なことって、どうやっても克服できない。(いや、しようとしてなかった。)

しかし自尊心を殺してまで頑張ってるときは周囲からの評価が高く、逆に「いまのゥチ、チョ→ィィ感じカモ❣️」みたいな時はさっぱりなのはなんなのか。不可解だし助けてほしい。

私はかなり評価ドリブンな人間であり、過去他人の評価に依存しすぎるがあまりぶっ倒れたことも多々。謎に死んでないので生きているが。(そのあたりの現象は『承認欲求の呪縛』という本が詳しいので、興味があれば)

私は、相手の評価100か、自分の評価100かでしかやれないのかしら。そんな悲しいこと…ッ!!!!

~疲れたのでここまでにします~

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