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体調悪い自分を受け入れられない(主に休日)

休日の体調の悪さへの対処法を編み出すまでの過程を書き留めてみました。



平日5日勤務したら、土日どちらかはめちゃくちゃ寝ないと無理になってきた。
そのこと自体が受け入れられない。それゆえつらい。

自分の価値をほぼ生産性のみで判断してしまう。
誰かの役に立てたか、誰かを喜ばせられたか。自分を充実させてあげられたか。

さすがに体力なさすぎじゃないかと、自分に失望が止まらず調べてみた。
こんな動画をみつけた。

平日仕事がある間は多少無理がきくようになってるのが、休日だとオフになるらしい。
疲れを感じ取りやすくなるらしい。

たしかにそうな気がする。

平日は抗不安薬を服用しつつ仕事に行って、気を張って過ごしている。薬が自律神経に作用するもので、それを休日は基本飲まないので体調が悪くなるのはそのせいかと思っていた。(リズムが乱れる的なこと)仮にそれがあるとして、それだけではないらしい。

こんな感じで、感情的にならず淡々と自分を俯瞰視して対処する、という一連の流れが体調悪いときにできない。というのも、そもそも体調悪い自分を認めたくないからだ。対処するもなにも、スタート時点でつまずいている。

(ここまで通勤電車で書いた。)
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仕事を終えてきた。帰り道。

職場に着けば自動で仕事するぞスイッチがオンになるのは救いである。なんなら朝起きて電車に乗って職場まで歩くのも全自動の感覚である。生活する上でよいことだと思う。

というのも私は大学時代の途中、感情に従って生きてきたので「行きたくない‼️」と思ったら講義を欠席していたパッパラパーだった。それで自分がいかに損するかを思い知ってから、徐々に自動的に登校するようになった。そしたら卒業できた。大卒の称号が手に入った。

そんなわけですべての判断を感情優先でやると事故に遭う。だからやるべきことにおいて自動で動けるのは大いにアリ。

休日がそうはいかないから苦しむのかもしれない。「趣味=やるべきこと」にすると、体調不良だとしてもできなかった時に自分をひどく責めてしまった経験から、「趣味≠やるべきこと」に考えをシフトした。

精神的負担はめちゃくちゃ軽減して仕事に集中できるようになったが、「趣味=やるべきこと」だった頃の自分が全自動で取りかかってたのに比べて、いまは休日でもやるべきことがないので、「あれ…何したらいいんだろう…」となっている。

そう思うと、何をすればいいのか決めるところから始めないといけない、選択肢が絞られてないところから休日が始まるからしんどいというのもある。そもそも平日の仕事で疲れてるので決める判断力もない。仮に判断したとしても、自分の余力を超越したタスクを自分に課し、できない自分を責める地獄になったりする。(本当によくある)

とすると、逆に休日やりたいこと(無理のない程度のこと)を前もって考えておくのがよい気がする。休日当日は判断能力がすでに終わってるので平日のうちに考えるのがよさそう。「休日になったらあれやるんだ!」と。平日のうちはそれを楽しみにして仕事に励み、休日は実際に実現して楽しみたい。

やることを決められない、なんか脳みそも五臓六腑も疲れてるしとりあえず寝る…になって、なんにも充実できてなかったのがまた自分を疲れさせてたように思う。(無気力に始まり虚無で終える)

ただ、そうやってやりたいことを決めていざ休日を迎えても体がめちゃくちゃ疲れてたら、それはもちろん休養を優先させる。そのために自分の疲れてるサインを把握しておく。(甘いものをやたら食べたいなど)

休日は、無理にでも自分を充実させねばならない日ではない。「余力があるなら好きなことをやってリフレッシュしよう」の日である。

以上を自分への教訓として書き残しておきたい。(すぐにメメントモリ!とか言って空白恐怖症をこじらせるので)

ちなみに脳はウソをつくという益田先生のショートがよかったので貼って終わりにしたい。やるべきこともやりたいこともこなす人生を過ごすぞ。

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