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ココロヲクバルヒト

なぜか、昔からいわゆるガテン系の人に惹かれる傾向がある。。。
モノを作る人に基本的に興味がわく。何かに没頭してゼロから製作する姿がかっこいいと思ってしまう。

彼も、モノ作りの人。フリーで仕事をしている。
当り前だけどとても器用だし、丁寧な仕事をする人だなぁ。と思う。
私が彼の仕事に対して丁寧という表現を使う理由は、出来たモノがどうこうということではない。そもそも、モノの良し悪しを語れる立場じゃない。人に対してちゃんと心配りができるという意味。気配りではなく心配りが自然にできる人は実は少ないと思う。気配りと心配りは違う。

一つの仕事を請け負うとき、依頼者はもちろん、他業種の関わる人たちみんながハッピーになるように心配りをする姿勢が、尊敬できるところの一つで、その分、自身だけが結構しんどい。ということがあるみたいだけど、それは職人として納得いくものを作りたい。という意地と、依頼者に喜んでもらいたい。役に立ちたい。という、とてもシンプルな考え方があるから仕方ない。そういう気持ちを持って作ったモノと、そうでないモノとは全く違う。私にもそれはわかる。プライベートで誰かに何かを作る時、
「イメージする。」
という作業がとても重要で、服作りなら、「その服を着ている相手の姿」を想像しながら作る。料理も「美味しいと喜んで食べてくれる姿」を想像して作る。イメージしながら手を動かしていくと、服はイメージ通りのカタチになっていくし、料理は必ず美味しくなる。

彼も多分同じで、依頼者の喜ぶ姿がイメージできているのだと思う。だからこそ、相手の立場に立った心配りが出来る。

彼の最近の仕事で、まるまる1か月、ゼロから一人で小屋を作る仕事が入ってその期間は会えずにいたんだけど、すごく大変そうで、毎日休憩もろくにとらずに作業してもやっぱりなんやかんやでスケジュール通りいかず、終盤はもう朝から深夜の1時とかまでやっていた。
一人でゼロからモノを作るという作業はとても孤独だったと思う。その分、完成した時の達成感もすごく大きいのだろうけど、完成するまでは肉体的にも精神的にもしんどいことのほうが多い。それでも細かな要望や、思いに出来るだけ応えたいという、相手に寄り添う気持ちがあるから頑張れるのだと思うし、それが伝わってくるので、私は何もできないけど応援だけはしようと思っていた。どんな時も私だけは彼のスキルと人間性を信じて励まし続けようと思った。
時々、その途中経過の画像を送ってくれたり、DMや電話で愚痴をこぼしたりしていたんだけど、私はその報告がいちいち嬉しかった。
ただただ話を聞くだけだけだったり、出来たモノの画像をみてほんとにすごいなーと思ってそれを素直に伝えただけだったけど、そのやり取りの間に疲れていた声が少し元気になっていく感じがわかるし、自分も元気をもらえていた気がする。「じゃあね。」とか「バイバイ」ではなく、必ず「ありがとう。」と言って電話を切ってくれる。「聞いてくれてありがとう」なんだろうけど、送られてきた画像にいちいち「すごい!」とか「いいね!」とか反応してたのでそれに対する「ありがとう」でもあるかもしれない。お世辞でもなんでもなく、正直で素直な感想でしかないのだけど。。。私も褒められて伸びるタイプなのでその言葉でモチベーションが上がる気持ちはとてもよくわかる。

ようやく完成した時は、
「頑張ったね。」
「頑張った!」
と、何度も言ってふたりで喜んだし、彼も今回の仕事でかなり自信がついた。と言っていた。当り前だけど私自身は何もしていない。けどなんだかとても嬉しくて誇らしくて、やっぱりこの人かっこいいなと思った。

誰かの役に立つ。
誰かの笑顔を生む。
楽しいと思えることが仕事として成り立つ。
楽しんでいる姿がさらに誰かの元気になる。

この人は幸せな繋がりを作れる人だと思うし、この人と繋がることができた私は幸運だと思う。