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“っぽい日常”

「なんか、今日はしあわせだったな…」


“しあわせ”

という言葉をこんなにさらっと口にする人だったんだ…と、ちょっと驚いた。


その日は朝からずっと雨が降っていて、どこにも出かけられそうになかった。私の好きな洗濯もできない。
「家のリフォーム進めたらいいよ。」といったら、私との時間を自分ひとりの作業の為に使うのはもったいないと彼が言った。
それでも私は、彼の大工としての姿を見てみたかったのでお願いした。

すでに壁を何枚も取っ払って少し視界が広くなっていた1階部分にガレージと部屋を仕切る引き戸付きの新しい壁を作る。彼が作業するその姿を、私は脚立に座って後ろからただ静かに眺めていた。

正直、内心わくわくして、テンションが上がっていた。寸法を測る姿とか、工具を扱う手やその動きを見ている私の口元は、マスクで隠れていたけどずっとニヤニヤしていた。ユーチューブにUPする為に動画撮影もしていたので、話しかけない方がいいと思ってただただ静かに彼の姿を目で追っていた。これは、同じモノづくりをする人間にしかわからない感覚だと思うけど、自分とは違うモノづくりをする人にものすごく興味がわく。「眺める」という言葉より「観察していた」のほうが適切な気がする。
床で出番を待っていた長い木材が、寸法通りに切断され、組まれて枠組みが出来ていく。。。ピッタリ収まっていく真新しい木材を眺めていたら気持ちがよかった。いつもと違う職人の彼がそこにいた。

平面だったものが立体になっていくときの興奮…。デザイナー志望だった私がパタンナーを目指すキッカケになったあの時の感じに似ていた。専門学生だった私は毎日が楽しかった。


ときどき彼がタバコを吸うために録画を止めて休憩するんだけど、私はただただマスクのしたでニヤニヤしながら黙って台所に行き、インスタントのカフェラテを淹れて持っていくくらいだった。

結局、お昼ごろから始めた作業は、準備していた木材を使いきるまで進めて、気が付いたら夜6時を過ぎていた。。。雨はまだ降っていて寒かった。

今思うとよく見ていられたな…と思う。何かを手伝うわけでもなく、口を出すわけでもなく、ただただ観察していただけの約6時間。
不思議だけど、全く退屈しなかった。ただ、なんとなく満たされていく感じはあった。
職人の彼を目の当たりにして、私がこの人を好きになったのはやっぱり必然だったな…と思ったし、例えば今日のような一日の過ごし方をこの先何度も経験できると考えたら、楽しくてしかたがなかった。

同じ空間にいて、それぞれが違う作業をして過ごす。ひと息つきたくなったら二人分のコーヒー淹れたり、ご飯ができたら一緒にたべる…。「もし、一緒に暮らしてたら、こんな感じだよね?  “日常” っぽくてしあわせだったな。。。」夕食の後に彼が言ったその言葉にはしばらく浸らずにはいられなかった。

“っぽい日常”は、つまりまだ、 “日常” ではない。
日常が過ごせる日々はいつくるのだろう…。そう思うとちょっと切なくもなった。
でも「しあわせだった」と言われたから、“日常っぽい”その一日は私にとって“忘れられない”一日になった。

「まぁ、今日は…惚れ直しちゃったな」と、恥ずかしいのでつい目を伏せて言ったら、「その言葉は顔見て言って欲しかったなぁー。」と即座に言われたけど、とても嬉しそうだった。