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移住へのモヤモヤ

去年の12月に彼の住む大阪に移住すると決心してから、あっという間に2ヶ月が経った。1月末から職場がコロナの影響を再び受けることで、社員である私も、雇用調整助成金を得るために休まされた。
移住するためにまずは仕事を決めなくてはと思っていたので、自分としては好都合だった。でも、転職活動はやっぱりうまくいかなかった。
働きながらデザインの学校に通ってグラフィックやデザインの基礎の基礎を勉強して、ちょっと褒められる程度のセンスはあるつもりだったけどそれだけじゃどうにもならない。なんとなく分かってはいたし、理解もできる。40歳手前で実務経験も実績も無い人材に現実はそこまで甘くない。


2月はほとんど出社していない。この期間も求人検索とポートフォリオのブラッシュアップの行ったり来たりを続けながら何社か応募してみたものの、結果は全て不合格だった。この頃にはもう3月末で退職したい意思は会社に伝えていたから、精神的にはかなり焦っていた。
彼にも随分弱音を吐いたし、面接すらさせてもらえない転職活動あるあるの状況に、誰もが感じる〝誰からも必要とされていない感”を私も感じていた。
でも、どの募集を見ても、どうしてもここで働きたいと思う企業はなく、仕事の内容と条件だけで選び、とにかく移住するための理由を作らなければならないという義務感だけでやっていた。書類を作って、送って、不合格のメールがくる…が繰り返えされると、就職すること自体がなんとなく違うのかな…と思うようになっていた。


雇われて、毎月安定した収入を得られる働き方しかしてこなかった。そうじゃない生き方に恐怖心さえあるし、自分にフリーランスができるはずがないと思っている。
そんな私に、「絶対フリーランスの方が向いてる」と彼は言い、さらに「本当にグラフィックの仕事がやりたいの?」とも聞かれて即答できない自分がいた。彼の素直で率直な問い掛けはその時思いがけなく、私の核心をついて、自分は本当は何がやりたいのかとか、どうなりたいのか、そういう事を考えることからただ逃げているだけというのがバレたみたいで恥ずかしくなった。なんとなく、転職活動はそれ以降休止してしまっている。
正社員という働き方を何年も続けてきて、何度もいろんなストレスを抱えてその度に悩んできたのに、働き方のメリットとデメリットを天秤にかけて、結局は多少のストレス覚悟で安定を選んできた。頭のどこかで誰かが「またそっちを選ぶの?それでいいの?」と囁く。


3月に入って、引き継ぎや雑務で2週間は出社したものの、有休消化のためすぐに最終出勤日になって、あっけなく仕事が終わった。
有給休暇の間、彼のいる大阪に滞在して、洗濯したり掃除したり、料理しながら毎日ただただ彼が仕事を終えて帰ってくるのを待っていた。彼が仕事に出ている間、慣れない土地でひとりでいると不毛な時間を過ごしてしまっているような気になった。
携帯を手に取ればSNSやらメールやら、求人や転職に有利になるような流行りの講座なんかの情報が流れてきて、その度にやっぱり就職した方がいいんじゃないかと思ってしまう。考えなければいけないことや、決めなければいけないことが多々あることは分かってる。でも焦らせないでほしい。ちゃんと考えるから…。そう思っても、やっぱり心細かった。住む場所も仕事も不確かな状況が不安だった。自分でいろいろ決めなきゃならないけど、心のどこかで彼のサポートを求めていて、でもそれを素直に言葉に出来ない。
彼が抱えている事情を今は理解できたとしても、一緒に暮らせないという状況が何年もつづくなら、大阪に行く意味はあるのだろうか…とか。
これから死ぬまであと40年か50年…?数字だけ見ても、とても短く感じるし、そもそも40年生きられるかなんてわからない。だとしたら「生活するために仕事をする」それは大前提として、「自分はこれからどういう生き方をしたいのか」を考えて、好きな事や、やりたいことにもっと素直に向き合うべきなんじゃないか…とか。

そんなふうにいろんなことを考えながら約2週間をすごしてたどりついたたったひとつの確かなことは「やっぱり彼の近くにいたい」という気持ちだった。ひとりで電車にのって街をぶらぶらした帰り道にふとそう思った。

彼が私の存在価値を高めてくれるし、彼と一緒にいられる空間が私らしくいられる場所なんじゃないかと思う。
それでもなおモヤモヤや不安はきっと移住してもしばらくは続きそう…。
年末の勢いはどこへいったのか(笑)自分の弱さに呆れてしまうけど、もう一人じゃない。それだけでこれまでの何倍もマシだし、彼とのもの作りの話はワクワクする。充分だよね。