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写真が物語る、不都合な真実。

先日、帰省したお話を書きましたが、これはそのとき写した朝の光景です。iphoneで何気なく撮影しただけですが、「絵画のような」とベタな形容をしたくなるような美しい自然です。

しかしタイトルにもあるように、写ってはいけないものもここには残されています。右手側の土手をよく見てください。草茫々ではじめから何も手つかずの状態に見えますが、ここは元々コンクリートの護岸で雑草は生えていませんでした。朝は早起きな人たちの散歩道、昼は子どもたちの格好の遊び場でした。いまはすっかり手入れもされずに荒れ果てて、僕のような半ば部外者が数年に一度出没するだけです。

これが地方町村のリアル、それもごくごく一部です。素晴らしい自然の中で、身動きもできずにただ時が過ぎるのを見送っている、そんな状況です。

例えば、この川岸を毎夏美しく彩ってきた花火大会は、予算の捻出が難しくなりもうだいぶ昔に中止され、復活していません。例えば、公立病院は統廃合されて、僕の母親が住んでいる地域では車なしに通えるお医者さんはいません。いろいろありすぎるので、もう列挙しません。

人口動態は、最も正確に未来予測できる統計です。つまり30年前から、こうなることはある程度予想できたことなのです。でも、何もできなかった。地域活性化が叫ばれて久しいですが、若者が減り老人が増える以上何をやっても効果は限定的です。30年不可能だったことが、この先可能になる道理があるのでしょうか。敗戦で焼け野原になってから、19年でオリンピック開催にまで盛り返した同じ民族とは、とても思えない。

何度眺めても、美しいと思います。同時にもう見たくない気もします。あえて適切でない比喩をしますが、この川に静かに沈んで溺れていく人たちを、黙って眺めているような錯覚を覚えるからです。自分が何かを裏切っているような苦々しい気分がするし、実際に地元の人からそういう「人物」であるとの扱いを受けたことも陰に表に何度もあります。自分に何ができるのか、ずっと自問してきました。しかし、歳を取れば取るほど、その答えは出にくくなっています。

僕のいとこ、叔父、同級生、独身ばかりです。人口減少が加速するのだけは、はっきりとわかります。それがどんな結果をもたらすのか、ちょっと怖くて、いつも思考はそこで止まってしまいます。

サポートのしくみがよくわからないので教えてください。