見出し画像

習慣は性格になる


書いて字の通り

仮に不幸があってその不幸を他者の責任にした場合、それが習慣化すると自責が無くなる。特に身体が健康でも不便な身体や脳、足が動かないとか手が動かないとか、そういったものの中でもその悪い習慣は育つこともあるし、そこに何かしらの捉え方に違いがあればそうならないこともある。

習慣はあらゆる場面に存在して、愚者の習慣は愚者になるし、妬みの習慣は些細なことも重大なものとしての妬みやすさに入る。関係のない事に自責がなくなるとタガが外れやすく、よくわからない恨みが発生する、これは自責が無くなる根源と他者を攻撃する理由には十分になる。


脳は思っているよりも単純

不快な言葉は習慣化すれば不快になる、不快な発言も習慣化すれば不快な行動に繋がって害になる。


ブラックジョーク

習慣化の中でのこの意味合いを履き違えるといじめになるように、こういった悪癖は捉え方の間違いから実害に発展する。

実際はジョークという部分に特化するのだから、不快にさせた時点で悪口になるのだから、敬意と謝罪との中にブラックなユーモアセンスがあることがそれに該当しなければいけないのに、その文化が他者を不快にさせた歴史から差別発言と大差なくなっていてそれが習慣化された要因の中に存在させたものになってる。これの意味するところはユーモアセンスは攻撃の一種なのであって、その擦れから言って良いとされる場面は実際には限られているし、そもそもがその行為の中にある優位性は対等じゃないから周りの状態に依存するから自責がないとタガが外れる。


自己評価は基本皆高い

知能が高いとわかる者からIQの相関性や優位性が語られた場合と、普段から知能が低い行動や発言をしている人から語られる内容が一致しようとも、その当人の状態、この場合他者が判断する状況や状態ともとれる事柄からの発言も含まれる、その意味合いもまた変わる。

これに信頼や謝罪や自責が含まれていると大差がなくなりやすい、これは状態を指す。

コンビニの前で煙草やペットボトルを捨て、唾を吐きながらIQの相関性を語り、それが仮に科学的根拠があろうともまったくの他人からすれば不快になるし、かといってその者に興味のある者からすれば納得できることにもなるように、相手の状態やその当人の状態と周囲の状況から人はそれに納得する。

これはブラックジョークとまったくもって同じ意味に位置する。


何処かで自責と俯瞰性が必要になる

不幸であればあるほどにこれが重視され、かといって全てを含むという意味でもなく、自責と俯瞰とを織り交ぜながら他責を考える必要があるということ。

その習慣が無くなればどちらかに偏る習慣に入り、その偏りから自死(自責)や他殺(他責)の極端さが発生する習慣から実際の行動に繋がっていく。


癖を個性にするには自責と俯瞰性が必要

個性は単純に癖であって、その癖の強さに評価できるとしたらそれは自責が含まれながら俯瞰で捉えているかどうかになる。


癖を個性とする最も大衆受けするのが成績

実績や成績の高さからその発言に対して自然に自己責任になることから、自動的にそれは理解しやすい個性として受け止めやすくなる。

しかし、そこに自責の無い人、俯瞰性が無い人がそれに参加した場合に害として捉えられるからSNSでしばしば荒れる要因になっている。

これは嫉妬する癖が習慣化されている自責と俯瞰性の無さからもそうなっている。


社会

度々社会はその俯瞰性と自責を欠く要素に繋がりやすく、不景気やそのニュース、不幸やそのニュース、そういったことから脳が騙されることによって他責に変換される。

これが脳が案外単純であるという理由で、その理由は各々の中に存在するからこそ、その各々の一致になりやすいのが社会というものに繋がっている。


社会と世界と自身の混同

自分の中にある世界と社会の中に相違があると個々が思うことでそれが混同される。

実際に借金100万円で自殺する自責の強さもあれば負債が億を超えても普段と変わらないこともあるように、自身の世界と実際の社会や世界との混同によってそれが育まれる、それが習慣が行動とを繫げる要素になってる。


楽観と不幸がる癖

楽観性が高い人は悩みに支配されにくい、どちらかというと面白がれる要素に近く、そこに根拠が無くても何処かでその不幸もこれといって大きな悩みになることが少ない。

不幸がる癖は習慣化されるとその不幸が些細、この些細というといまいち当人からは納得されないものでも他者がそれを判断するときに入る要素なので、その不幸がる癖は実際に楽観性を排除する偏りによって不幸を常に含む自身の世界が約束される。


不安

不幸がる癖が悪くなるという偏りはあまり意味がなく、それに納得できないからこそその活動に盛んになることがある。

おおよそのその大きな活動を成せるのに必要な要素でもあるから、不安感が悪い癖とも良い癖とも形容しがたい、ただそれが行動には繋がるという意味合いに留まるっている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?