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印象で決定されるルールがずれを生じさせる

わからないことは論じる必要がない。
わからないことは論じないことで論として成立する。


冤罪

勿論その時々で情報が更新されるのだから間違った情報が蔓延している場合においてそれが正しい振る舞いをみせるから勘違いは仕方ない、このときその間違いを認められない場合、無意識に曲解しながら自身の正当化を主張する者もいる。

その主張は恥をかきたくないという場合と立場上弱みを見せれない場合とがあり、それはその者の都合であってそれに巻き込まれた者からすればただの被害や損害となってしまう。

ましてそれで人格すら否定され、うやむやにされながら時に犯罪者や存在しない重大な事件のように扱われる、これが初めから、あるいは途中から故意である場合はもはやその広めた当人が罪人となる。


紙ストロー

環境問題として紙ストローが導入されたように見えてプラスチックゴミにおけるストローの割合は全体の約0.025%程でしかなく、環境問題の解決にはまったく意味を成さない、では何故導入されたのかというと海外でウミガメの鼻穴にストローが刺さるという事件が発生し、数々の幼い子供達がそれを大きく誇張して主張したことで大人の主張よりもその問題に対して信用のようなものが生まれ、その子供らの印象の良さからさらに拍車をかけて話題となって紙ストローが導入されたというのが事の発端だ。

勿論人間の都合で傷付いたその亀は気の毒だとは思うがそもそもがその亀の鼻にストローが入る確率はかなり低く、さらには日本のゴミ処理技術はかなり高いので紙ストローを導入する必要がまったく無いというのに日本にもそのルールが適用されてしまった、これはその印象の悪さや良さから始まった法的でないルールだ。


紙ストローの不便さ

そもそも紙そのものがストローに適していない、水分を扱う製品なのだから使用すればストローがふやけるし味の風味も悪くなる、さらに身体に問題がある寝たきりの人達はその紙ストローではすぐにストローが駄目になってしまって思うように飲めない、ストローの強度も弱いので開封しづらいパック飲料もストローが刺さりにくい、無理に刺すと折れてしまう。


寧ろ紙ストローが有害で悪影響を及ぼす

紙ストローを製造するにはプラスチックのものよりコストがかかる、それだけならまだしも紙ストローは糊で固定させるので使用される化学物質は通常のストローよりも多い、そもそもがスタバなどで使用される容器はプラスチックであるから本末転倒だし、最もそのプラスチックゴミを排出しているのは中国やインドネシアなどのアジアの発展途上国が中心だ。

これらの理由から紙ストローを広めることは誰一人得をしない変な制度となっている、その問題の一部分を切り取って行動しても、あらゆる犠牲が生まれるだけで根本の解決が出来ない。


グローバル企業の利益

環境問題に取り組んでいるというのは企業にとって重要で、何故なら環境問題に誠実な企業は投資家からお金が集まりやすくなる為だ、そういった企業側の都合も入ってるのでここまで広まったという都合もある。

このように印象のみでルールは決められることもあるし、それに便乗することで話題性を生み、それがさも正しいとして集団意識として洗脳のように振る舞いながら形成されてはその存在そのものの居場所を減らし、不必要な存在や理由や都合が肯定されてしまう、その一部の論者や一部の人達の過激な活動からそれが更に広まってもいく。

人はその印象でルールを改変するし、話題性で集団化しては攻撃的な振る舞いさえみせる、そうして事実さえも捻じ曲げて曲解し、結果として問題だけが増え、その都合から広がりをみせていく。

印象のみでの判断はあらゆる事実を曲解する、その想像力の不足から問題が発生し、本質が省かれては善意も悪意のように振る舞う。

印象は曲解を育みやすい。

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