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Mr.Takumi Sen

「すべてはこの日のために」か。
大阪マラソン2024。フィニッシュ地点で抱き合う國學院大前田監督と平林清澄選手の姿をみて思った。大学3年生の初フルマラソンデビューが2時間6分18秒。日本歴代7位。大快挙である。ここ数年、柏原竜二さん、神野大地さんと話していたことがある。「四代目山の神があるとしたら國學院の平林じゃないか?」と。二代目、三代目の厳しいおメガネに叶ったのは、負けず嫌いなマインドと、その走りとシューズ選択にある。箱根駅伝が近づくと「平林くんに山走ってもらいたいですねー」という話題がぼくらの間では恒例行事になりつつあった。柏原竜二の鼻っ柱の強さ、そして、神野大地の軽量ボディ。両者の良さを平林選手は兼ね備えているように思えてならないし、二人の神々が太鼓判を押すのだから間違いはないのだろう。でも、平林選手の山の起用はなく、3年がすぎた。

それも「この日のために」か。いまとなってはそう思う。彼を箱根駅伝5区に起用すれば國學院大の往路優勝はあり得たことだろう。グイグイと登りながら笑顔で抜いていく姿は容易に想像できる。でも、それをやらなかったからこそ、この日があった。箱根の山だけに備えるのだとしたら、10000m27分台は必要ない。前田監督は平林清澄という選手を見たときに、伸びやかな股関節の動き、ポール・タヌイを思わせるヒザ下の細さと長さ、和製ケニアランナーを投影したのかもしれない。駅伝だけで終わらせられない。「これはマラソンだ」そういうレースを選び、育ててきたのだろう。いまならすごく合点がいく。

2022年4月。ドイツ・アディダス本社で行われたRoad To Recordsハーフマラソンのスタートラインに平林は立った。世界中のアディダス契約選手が本社に設けられた特設コースで各国の記録更新を狙うというレースだ。平林選手に付き添ってスタートラインに向かう前田監督は「鼻っ柱を折られにきました」と笑いながら言った。一緒にドイツに来ていた同級生の山本歩夢選手は平林選手は密かに「ハーフマラソン日本記録更新を狙っている」と教えてくれた。

「薄い靴履いてるのぼくだけですね」アップをしながら平林選手は笑った。それもそうだ。このイベントはアディダスのマラソンシューズ、アディゼロプロ3のお披露目も兼ねたイベント。しかもハーフマラソンだ。日本からもってきた、1世代古いTAKUMI SEN を履いて平林選手は走った。ド頭から先頭集団についたけれども、すぐに離されていって、序盤のハイペースがたたって大きく順位を落としてゴールした。「一瞬で世界が前に行ってしまいました。」とケラケラと笑いながらレースを振り返った。

この頃から、平林選手とTAKUMI SENの組み合わせを気にするようになった。平林選手のような体重が軽い選手はプロ3のような厚いシューズだとリターンが大柄な選手のようにはかえってこない。薄い(とはいえ、厚いけど)TAKUMI SENのほうがトラクションがかかりやすく、プロ3の硬いカーボンロッドではなく、しなやかなグラスファイバーロッドを採用したTAKUMI SENのほうが股関節を大きく動かしフラットに着地する平林選手にはあっているように思える。薄い分だけ反応もよいから、駆け引きにも対応しやすい。

大阪マラソンでもそういうシーンがあった。30kmすぎ、上本町から20メートル一気にあがる登り坂で軽やかに坂道をかけのぼりトップにたつ。「ほら、平林とTAKUMI SENの組み合わせは登りなんだよ!」テレビの前で手を叩いた。TAKUMI SEN ならではの切り替えでスピードを落とさず登り切ると「あれ、後ろこないな」と不思議な顔をした。分厚いシューズを履いた選手たちは、平林選手のペースアップに対応するために、ここで足を使ってしまった。20m上がる坂は想定していたはず。しかし、すべての選手にとって「ここは凌ぐ場」であって、勝負は坂を登りきってからの下り。誰しもがそう考えていたはずだ。後半下るから大阪マラソンはタイムが狙えるのだ。と。平林選手以外の選手が一休みをしたかったタイミングでここが勝負所だ!と見極めて大きく前に出た。

この日もマラソンシューズのプロ3ではなく、TAKUMI SENを履いていた。アディダスのサイトでは「自分史上最速の10kmを目指そう」というコピーがあるくらいだから、ショートディスタンス向けのロードシューズである。とはいえ、一昔前のマラソンシューズに比べると「十分厚底」ではある。彼もマラソンを走るにあたってさまざまなシューズに一通りは足を入れたことだろう。ハーフ以降は未知の距離という平林選手が大阪マラソンのために選んだのは最新のTAKUMI SEN 10ではなく、ひとつ古いTAKUMI SEN 9。新しいシューズのほうが当然、機能はすぐれている。しかし、最新モデルが常に選手にとって最良なシューズであるとは限らない。9が180gに対して10は198gと少し重い。その感覚を大事にした。

今回の大阪マラソンは多くの視聴者たちに、記録以上にマラソンの見方を変えるインパクトがあったはずだ。終始笑顔で楽しみながらマラソンを走る姿は「マラソン=きついもの」という概念を壊すものであったに違いないからだ。青山学院大の選手が箱根駅伝のイメージを変えたように。

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