人はいつ死ぬかわからないので・・・
保険代理店をしていると、病気や死は人を差別しない事が良くわかる。
白人であろうがニホンジンであろうが、男だろうが女だろうが、良い人であろうが性格ぶすであろうが、誰だっていつだって病気にはなる。そして、遅かれ早かれ死はみんなに訪れる。
死なない人はいない。
だとしたら、今日という日をどう生きるか。
逆算して考えたくなるのだ。
一日を無駄にしたと思って床につきたくない。
やらなきゃいけない仕事を次の日にやればいっかと思って一日を終えたくないのだ。
では1日を無駄にしたと思う感情とはどこから生まれるのか。
生産性のない会合に行きたくない、何も得ない人との会話はしたくない、自分よりも能力の低い者と戯れる時間を最小限にしたい。いつもこんなことを考えているのだが、時々自分の心が小さいのではないかと考えさせられる。どんなシチュエーションからも何か学べることがあるのではないかという姿勢であれば、どんな場所でどんな人に出会っても何か学んでくるのではないか。自分の器量が小さいから、無駄になると思ってしまうことを先々に排除したいという心が生まれるのではないか。
何が正しいのかは未だわからない。ただ、明日死んでも後悔はないと思って床に就きたい。明日が来るかの確約は誰にもないのだから。
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