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二十年たってうまく反転することもある

昔 ワタシがまだ
ハタチくらいだった頃、
友だちに ある場所まで
ついてきてもらったことがある。

学校にゆくまえの日課の
朝ドラを見ていて

うっかり
魂を鷲掴みにされた
役者さんがあらわれたのだった。

気づけば
パンを 食べながら
何かのセリフを聞いて
ポロポロないていた。


運良くとゆうべきか
なんとゆうべきか
彼の人の
ご実家の酒蔵の直売所は

ちょうど
私の下宿している
京都に存在していた。


もちろん
彼の人はそこには
いらっしゃらない。


が 
ほんのすこし交通費を出せば
そこにたどり着くそこは
パワースポットくらいにかんじる。

だが
迷惑をかけたくない。
きょどう不審で、
怪しげなやつと
いぶかしがられたりするのも
ショック。

だがしかし
ハタチなので
いてもたってもいられない
その衝動。

堂々めぐり。🙄


これは一人じゃ いけない。

それを話したら 
彼の地で生まれ育った
ともだちが 一つ返事で
つきあってくれた。

たぶん
路面電車か
地下鉄にゆられ

ふたりは でかけた。


いってみたあと

うつむいて 小さい声で
お店の方にファンだと
告げたのだったか、、

はたまた
こっそり 何食わぬ顔で

ふつうの客として
ふるまったかどうかは
覚えて いないが

ふたりで おちょこ一杯か二杯ほど
試飲をさせてもらって

赤い顔で
すこし千鳥足で

硝子の中位のビンに入ったお酒を
大事に両手にかかえて
帰ったのだけは
よく おぼえている。

二十年前の当時は
テレビで駆け出したばかりで
パソコンの検索に
中々ひっかからなかった
彼の人だが

先日結婚された ときは
Twitterの世界トレンド一位になって

多くの淑女のため息を
さそっていた。

ワタシが40にさしかかるころ
友達に ある場所まで

つきそったことがある。

わたしの地元の隣町から
若い歌い手の青年が
あらわれたのだった。

そこは快速電車は
止まってくれない街であった。

だから 隣なのに
学生時代もわたしは
ただの一度もおりたことがない街。

彼は
ちょっとした新星と言われていたが
音楽に うとい私は 
音楽好きの彼女から 
はじめて 彼の話をきいたのだった。

彼女は私に
会いに
来てくれるの半分

彼の青年の生まれ育った街を
めぐり歩きたいの半分で

遠路はるばるやってくるとゆう。

自転車で駅まで迎えにいった。

友だちは 
普段着でやって来ていた。
初めて見る格好だった。

聞けばいつものお嬢さんらしい
ワンピースは 仕事向きだとゆう。
二十年たって
はじめて 私は彼女の普段着姿
をみたのだった。


まずは
彼の歌が流れる公園に
二人タクシーでゆき

こ一時間ふたりで
ベンチで日向ぼっこをした。

それから
彼のサインのある場所を
スタンプラリーのごとく
巡り歩く。

市役所、
郵便局

郵便局に行って

彼女が
かの青年の生まれ故郷を
旅してみたくて
やって来ましたとゆうと


郵便局員の
おばさまたちは
仕事の手をすっかりとめて

少し前まで 
その街にいた青年のことを、

親戚の子どものことのように
目を輝かせて
話してくれた。

はては なんと
局長さんまで
足をとめてニコニコと
大歓迎をしてくれた。

旅の最後に誰もいなくなった
彼の実家近くにいってみて
遠くから 見てみる??

ときいたけど
少しでも迷惑になるのは
はばかると 友だちが

首を横にふるので

やめておいた。

なんだか
いつか何処かで聞いた話である🙄


彼の青年は 
それからと ゆうと
次の年の年末

紅白に隠し玉になって 
何やかんや 

3曲もうたっていた。



二十年の月日は過ぎた。


わたしたたちの身体は
やや年を刻み
やや 重くなり

心のほうは少しだけ
成長し

すこし丈夫になったけど

案外 魂の中心の部分は
ハタチくらいのまま止まっているの
だった。

たまに
反転してみたりしながらも
立ち場がすこしかわったりしても

私たちは相互フォローしつづけてる
んだなと 
不思議におもう。

たぶんさらに二十年、
四十年たっても
そんな気がする。


その可能性を
わたしは
とても ウレシク思っている。

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