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「がんばる」は「がまん」じゃない。

「言葉は人をつくる」

棋士の羽生善治さんの言葉です。
以前なにかのインタビュー記事で読み
ずっとこころに残っています。


人間の脳は「人称」を認識できない
という話を本で読んだことがあります。

だれかに「ありがとう」と言うことは
じぶんに感謝していることになります。

ポジティブな言葉を伝えることは
じぶんに言っているのと同じなんですね。
(もちろん、逆も然りです。)

あたまで思い浮かべ
声にのせて発し
その音をじぶんで聴いているわけですから、
二倍にも、三倍にもなって
返ってきているような気もしますよね。


言葉がわたしたちに与える影響は
想像以上に大きいなあ、と感じます。

たとえば「がんばる」という言葉。

以前のわたしは、
もっとがんばらなきゃ
という言葉が口癖でした。

口に出していないときも
こころのなかで
いつも唱えていました。


一見、ポジティブな言葉です。

けれど、ほんとうのところは
もっと我慢しなきゃでした。

がんばるという言葉を借りて
どんなにつらくても
じっと我慢して
ボロボロになって働くじぶんを
正当化したかったんだと
思います。

そのことに気がついてからは
がんばるという言葉が
あたまによぎったときには
ひと呼吸おくようにしています。

そして、
こころの奥にある
ほんとうの想いを
しずかに見つめます。


もちろん、ときには
我慢することも必要ですよね。

ただ、ずっとずっと
「我慢する」という言葉を
「がんばる」に変換しているとしたら。

その言葉を口にするたび
じぶんでじぶんのことを
追い詰めてしまいます。

それは、とても苦しいし
かなしいことです。


どういう言葉を発するか。
どういう言葉をこころに
思い浮かべるか。

たいせつなことですね。

えらそうに書いていますが
わたしもこれまで
言葉をぞんざいに
扱ってきたように思います。

配慮に欠けた言葉で
相手を傷つけてしまったことも
ありますし、じぶん自身も
たくさん傷つけてきました。


さいきんよく考えるのは
この言葉が
さいごになるかもしれない、
ということ。

だれかと話しているとき。
なにかを書いているとき。
いつも頭をよぎります。


じぶんの言葉は、
じぶんそのもの

ていねいに、たいせつに
あつかっていきたいです。


いつも、あたたかいサポートとお手紙をありがとうございます。いただくお言葉のひとつひとつが宝物です。こころをそっと照らす、ちいさな灯りのような作品をお届けできるように。これからもがんばります!^^