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大人が子供に持つイメージ

 NHKでマヤ文明をテーマにした曲の歌詞が過激という事で炎上しているらしい。恐らくマヤ文明の子供たちはもっと過激なものを見ただろう。そこまで過去に遡らなくても、現在もどこかで過激なものと隣り合わせの子供たちがいる。

そんなに繊細でしたか?

 先進国の癖なのか治安が良いからなのか子供の見るものに過保護になる傾向があるように思う。しかし、子供の頃を思い出して欲しい。そんなに神経質な子供ばかりではなかったはずだ。
 少なくとも大人が子供に抱く繊細なイメージほど繊細ではない事の方が多い。子供は意外とありのままを受け入れるのだ。勿論、明らかに恐ろしいものを子供に見せる必要はないけど。

「もののけ姫」と「ピノキオ」

 個人的な話だが子供の頃によく見た作品は「もののけ姫」と「ピノキオ」だ。祖父母の家にビデオがあり、小学校に入る前から見ていた。大人になって改めて見てみると、どちらもなかなか恐ろしい表現が含まれている。
 もののけ姫の触手に対して恐さを感じながらも普通に見ていたし、ピノキオの悪友がロバになり叫ぶシーンも見ていた(日本語吹き替えでも叫び声だけは元の音声を採用しており、それがとても迫力があった)。
 ここで気付いたのは、むしろ変に知識を蓄えてる分大人の方が表現に過敏になっているかもしれない。大人になってから該当部分を見てみると「子供に見せていいものなのか?」と疑問が出てくるのも理解できる。しかし、我が身を持って大丈夫だった訳だ。答えは一番身近にあった。

川べりの鳥の死骸

 これもまた個人的な話だが、幼稚園の頃に先生の引率で川べりを歩いていた時の事だ。そこには無惨な姿の鶏ぐらいの大きな鳥の死骸があった。カラスに貪られた為か、肉という肉がピンク色に剥き出していた。初めて見る「グロテスクな物体」だった。子供だった自分たちは恐れる事なく興味深く眺めており、中には棒を拾って来てひっくり返してまじまじ見る子供たちもいた(自分もその中の一人だ)。先生は見せないようにと鳥の死骸から子供たちを引き離した。
 大人からすれば子供に見せるべきでないグロテスクな物体だが、子供はピュアにそれを見ていた。もちろん恐がる子もいたかもしれないが、多くの子供たちは死骸を「恐ろしいもの」というバイアスを通さず見ていたのだと思う。
 大人は死骸自体よりも死骸の横に子供がいる状況に過敏になる。一人でいるときに死骸が落ちていても「わぁ、グロいなぁ」程度の反応だろうけど、子供が横にいれば「あっ、まずい」となるのではないだろうか。後者の方が焦ると思う。一人でも過敏に反応する大人はもう知らん。

子供の方が柔軟かも

 過保護な表現に囲まれたまま大人になれる訳ではない。そのうち過激な表現に出会う日は来る。むしろ子供の方が先入観が無い分、過激な表現をフラットに受け入れる器を持っている
 自分自身がそこまで表現に対して繊細な子供だったかを改めて思い返してみて欲しい。そう考えてみれば、今思えば過激に感じなくもないが別に平気だったという事の方が多くないだろうか。




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