きゅうごまま

スカイーアリキャビンアテンダントスクール代表 エミレーツ航空日本人客室乗務員一期生、日…

きゅうごまま

スカイーアリキャビンアテンダントスクール代表 エミレーツ航空日本人客室乗務員一期生、日本人として初めてのパーサーとして約13年乗務し、90年代から急速に砂漠の街から都市へと変貌したドバイで、膨れ上がる国籍の乗務員たちとのフライトライフで培ったバイタリティーは衰え知らず。

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エミレーツ航空・運命の出会い(インド帝国その5)

きゅうごままです。2021年も明けて早2日。ここからが早いですよ!時間の流れが。元旦を過ぎて気づいたら6日になっていて、『あ、新学期!』ってことでバタバタしたら、成人式が来て”毎年恒例のやんちゃ騒ぎのニュースがさまざまなメディアで流れ、次に正月飾りを外して”どんと焼き”の小正月にあり小豆粥を食べて(実家はお汁粉でした)、そこから節分まで一気に時間が加速して、『えっ!もう2月なんだ~!』という反応を毎年繰り返している気がします。でも、この繰り返しが平穏無事で回っていること感謝し

    • エミレーツ航空 運命の出会い(その2)

      • エミレーツ航空・運命の出会い(インド帝国その4)

        新しい年を迎えましたね。古巣時代は盆暮れ正月などのイベントは完全スルーの十数年でしたが、今は太陽暦のカレンダーに沿って、日本の伝統行事、イベントなども意識して過ごせる環境となりました。飛び職をしていた頃は、ほぼほぼどこかしらにフライトしていたように思いますし、ロスターというフライトスケジュール毎で毎日生活していましたので、フライトスケジュール自体がカレンダーでした。とくに曜日感覚が一番ひどかった。クルー稼業の方で、家族持ちでない限り、曜日というのもあまり気になることでありませ

        • エミレーツ航空・運命の出会い・インド帝国(その3)

          2021年を迎えましたね。『新年明けましておめでとうございます!』 雑務に追われた年末最後の日、でもNHK紅白、ジャニーズカウントダウン、そしてYoutube貴ちゃんねるずは仕事をしながらもしっかり観るという、古巣で鍛えられたマルチタスキングスキルを大いに発揮できた大晦日でした。 さて、前回の話の続きですが、ままの古巣であるエミレーツ航空は、多国籍な環境で、94年に入社したころは確か60数ヵ国からの出身クルーが在籍していました。その後会社の規模とともに国籍も増えていき、現

        エミレーツ航空・運命の出会い(インド帝国その5)

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        • おもしろおかしいエミレーツライフ
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          エミレーツ航空・運命の出会い・インド帝国(その2)

          エミレーツ航空90年代グラフティーをお送りしております、きゅうごままです。5日間連続投稿しま~す!と気軽に宣言しましたが、実は大掃除のため持ち上げたテーブルの重みで腰をいため、続投への一抹の不安を隠せない大晦日前日です。 ままが94年に出稼ぎの行きましたドバイは都市ではなくUAEの一つの首長国であります。UAEは7つの首長国から成り立っていまして、(あ、首長国名はウキでお調べください。)各々の首長による首長国統治のため、リーダーにより考え方や方針も異なり、それぞれの首長国は

          エミレーツ航空・運命の出会い・インド帝国(その2)

          エミレーツ航空・運命の出会い・インド帝国(その1)

          また前回から月日を要してしまいました。年の瀬も迫るなか思い立ったように続きを書き始めるという、本日もフーテンのきゅうごままです。 エミレーツ航空は、1985年にアラブ首長国連邦ドバイを本拠地として設立された航空会社です。斬新なサービス導入や金に糸目をつけない設備投資で華々しい花火を常にバンバンあげまくり、設立わずか25年でワールドクラスエアライン・中東のリーディングエアラインのブランドを確立した航空会社ですね。そのような会社に入社することになった経緯をちょこちょことお話して

          エミレーツ航空・運命の出会い・インド帝国(その1)

          エミレーツ航空・運命の出会い・渡航後

          前回からの続き。アラブ首長国連邦国・ドバイのフラッグエアラインであるエミレーツ航空で働くことになったのが1994年。日本ではバブル経済が崩壊し、就職氷河期と言われる就職難が始まった頃。そんな中『中東という未知の世界に出稼ぎに行こう!』など気概をもつ仲間はそう多くはなく、8名でした。ドバイへの渡航は2グループに分かれての分散入社。ままは、後半グループになり、その仲間と初めて顔を合わせたのは出発時の空港でした。 ままのバッジ(入社の期のことを言います)は127期、前半出発組は1

          エミレーツ航空・運命の出会い・渡航後

          エミレーツ航空・運命の出会いとその後

          かな~り、そして、しば~らくの間、完全、完璧放置状態でありました青春ドタバタ喜劇グラフティー?!『エミレーツ航空・運命の運命の出会い』シリーズを再開することにしました。 といっても今まで3篇くらいしか更新していなのですがね、、、。 ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、エミレーツ航空はアラブ首長国連邦国の一都市ドバイをベースにした航空会社で、設立は1985年。簡単にこの航空会社をご説明しますと、設立後数年間で飛躍的に路線を拡大させ、潤沢な資金に物を言わせて(どこから出て

          エミレーツ航空・運命の出会いとその後

          エミレーツ航空・運命の出会い(その3)

          きゅうごままです。 前回からしばらく時間が経ってしまいましたが、、その間にエミレーツ航空は厳しい選択を断行したようで、そちらはここに記載しました。https://ameblo.jp/ek102734/entry-12603208702.html さて、きゅうごままのエミレーツ航空採用試験のプレイバックですが、最終試験は個人面接で、2名の面接官との面談でした。この2名の面接官、ひとりは、のちにIFS=インフライトサービスようは客室部の統括マネージャーになったカナダ人男性、そ

          エミレーツ航空・運命の出会い(その3)

          エミレーツ航空 運命の出会い(その2)

          きゅうごままです。 前回に続き、エミレーツ航空入社までの軌跡をお伝えします。 エミレーツ航空は、いまや押しも押されぬワールドクラスのエアラインに成長しましたね。日本での採用試験は1994年が初めて。それ以降、数年間は日本での採用はありませんでした。なぜ?答えは単純、『日本への就航がない』ということ。そう、94年に入社し、その後数年(数年って2~3年ぐらいを示唆する表現のような気がしますが、、)、日本人は、一期生にあたるわれわれのみ。そして、日本人クルーは自国に帰る際は、他

          エミレーツ航空 運命の出会い(その2)

          エミレーツ航空・運命の出会い

          きゅうごままです。 エミレーツ航空という、中東はアラブ首長国連邦国のドバイをベースにしたエアラインで客室乗務員をしてきました。1994年に入社して2006年まで乗務し、その間繰り広げられた、『おもしろおかしな経験』をお話していこと思います。 いまやワールドクラスの仲間入りをし、ハイグレードな機体と設備、そして多国籍の乗務員による機内サービスに定評あるエミレーツ航空ですが、きゅうごままが入社した当時は、ほぼほぼほぼ、その存在を知る日本人はいなかったと!!言っても過言ではない

          エミレーツ航空・運命の出会い