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エミレーツ航空・運命の出会い(インド帝国その4)

新しい年を迎えましたね。古巣時代は盆暮れ正月などのイベントは完全スルーの十数年でしたが、今は太陽暦のカレンダーに沿って、日本の伝統行事、イベントなども意識して過ごせる環境となりました。飛び職をしていた頃は、ほぼほぼどこかしらにフライトしていたように思いますし、ロスターというフライトスケジュール毎で毎日生活していましたので、フライトスケジュール自体がカレンダーでした。とくに曜日感覚が一番ひどかった。クルー稼業の方で、家族持ちでない限り、曜日というのもあまり気になることでありません。古巣では、公休は月に8日ほど、だだフライトとフライトの間はレストと呼ばれる休みではないが、心身を休めたり、雑務などをこなす日でもあります。ですが、それが何曜日にあったとしてもそう大差がないので、曜日を気にすることはなくなります。イスラム圏に国では、金曜日が安息日であり礼拝日(集団礼拝の日ですね)なのでお休みです。古巣のオフィス関連も金曜日、土曜日がクローズで、日曜日から週が始まります。クリスチャンの方にはちょいと不都合ですが、イスラム教を信仰する国に出稼ぎにきているわけですので、そこは国の文化に合わせてですね。ですので、中東系の航空会社の渡航日は木曜日指定が多いかと思います。そのようにすれば、トレーニングが始まるまで1日は準備できますからね。

ドバイはインド人により成り立っている、インド人のマンパワー(雇用)とマネー(交貿)で大きく発展してきたことは歴史的にも確かだと思います。もちろんヨーロッパ、アフリカ、ロシア、アジアなど、それぞれの地域により異なるアプローチで関係を作り上げてきたのですが(けっこうロシアもすごかったが)、そのなかでもインドの貢献率は飛びぬけて高いと思います。それを象徴するのが、古巣エミレーツのデイリーで一日数便は飛ばすインド線の見事なまでの満員御礼具合ですかね。ままのフライト人生、インド線の占める割合は5割6分ぐらいでしょうか。ほぼ半分はインド線ですね。”ベスト・インディアンフライト・オブ・ザ・クルー”あたりにノミネートされもおかしくはありません。よくクルーでもソムリエはバッジをつけていますが、インド番とかあったら絶対につけていたでしょう。

エミレーツ航空にはEK502というフライトがあります。この502便はムンバイというインドの西海岸に面するマハーラーシュトラ州の都市へのフライトを意味します。ドバイからは3時間ほどの中距離移動ってとこですが、一日に数便フライトがあるなかで、この502はぶっちぎりでその悪名高さを誇るフライトでした。このフライトを知らないクルーは確実にもぐりだとだとも言われていました。そして、ままは、一番最初の訓練フライトがこの502でして、なかなかのフライトで飛び職のデビューを飾っていたわけです。厳しいトレーニングをやっとこさクリアーして卒業まで漕ぎ付き、最初のロスターの一番最初の訓練フライトはどこになるか、これは新人訓練後の恒例のお楽しみ光景です。”歓喜の声"や”興奮のガッツポーズ”など、トレーナー(教官)たちと盛り上がるフライトデビューです。そんななか502にアサインされた人生初のロスターを横からのぞいたシニアのトレーナーたちは、目をそらす、話をそらすなどして、完全に502をスルーしている様子で”ただならぬもの”を感じずにはいられませんでしたですが、そこは何が良い悪いか経験したこともないヒヨコちゃんですので、どのフライトでもエキサイティングという気持ちでデビューフライトに挑みました。

この502便は、ままがいた当時、ドバイ発は13時10分でムンバイ到着が18時し、その後あたらしくケイタリングを搬入し、ムンバイを20時25分に出発して、ドバイへの戻りは21時40分という、行って帰ってくる=Turn aroundというフライトパターンです。で、このクルーブリーフィングでの合言葉が、『ウィスキーはミニチュアボトル2本、一度に出しましょう』でした。これは何を示すかというと、酔っぱらいヤローばかりの飲だくれフライトだということです。502の乗客をSDP=Supper Demanding Passengersと呼んでいました。このムンバイ(昔はボンベイの名称でした)フライトは3便あるのですが、この502/503のフライトは昼間から夕方にかけての移動のため人間的欲求が一番出る時間帯ということが古巣で502神話が創り出される要因となったわけです。

でわ、実際のどのようなフライトで、ままの初のトレーニングフライトはいかにして終了したのかは明日お話しするとします。





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