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見るべきは、子供の学び方!

次の学習指導要領に向けた会議から、もう1点、私が印象に残ったのは次の意見です。

【石井委員(京都大学)】
手法主義ということは、もう具体的に言ってしまえば、特に小学校において最近顕著かなと思うんですが、いわゆる指導案をつくるときに、教材観、それから子供観、それから指導観という形になるんですが、教材観と子供観がほぼ空洞化しているんです。指導観、つまり手だての話ばっかりが肥大化しているというようなことがありはしないかと思います。教師の成長に合った子供理解、教材理解、この2つがしっかりと深まって、それを結びつけたところで指導観というか、手だての話になると思うんです。事後研においても、子供の話はなくて、この手だては有効だったみたいなことになっている傾向も割と見られると。そうすると、長い目で見たときの教師の成長に危うさを感じるところがあるんです。

「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会(第1回)議事録

指導主事が指導講評を行う際、「学習者主体の授業が大切です。」という話をしながら、指導する内容は「教師の発問が~」「板書の構造が~」と視点が教師主体に陥っていることが少なくありません。私自身も、意識しないとそうなってしまいます。
そうならないために私は、授業を見るときからipadを活用して、子供の写真を継続的に撮影します。そして、自分のアンテナをフルに高くして、その子供の学びのストーリーを理解しようと努めます。指導講評では、その子供の学びが変化した時に、教室空間ではどのようなことが起こっていたかを語るように心がけています。

学習者主体の授業が大事だからこそ、まずは指導主事が学習者について語ることから始めたいと思っています。


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