なろう系の「追放」パターンについて思うこと

なろう系物語の1つのテンプレートとして「追放」モノがあげられる。その中でも”PTから追放されました”パターンについては強い違和感がある。

 まず、PTにとって必要不可欠なコアメンバーを追放してしまっている
実力を過小評価して不要だ!と追放してしまうわけだが、あまりにも目の穴が節穴すぎないか?
命がけで冒険に挑む人たちとしてはリスクマネジメントが甘すぎるしよくそんなので今まで生きてこれたなと首をかしげてしまう。

その時点で残ったPTメンバー(追放した側)は全員無能ということになるから後付けでフォローを入れられても虚しさを隠せない。
『でも●●を追放した節穴無能ですよね?』
という読者からの視線に常時晒されることになる

追放した側を一切登場させなければ上記の問題は起きないのだが、そんなことは絶対にあり得ない 追放された側の主人公は追放されたという恥辱を乗り越えていかなければ文字通りお話にならないからだ。したがって追放した側は必ず登場することになる。

組織の、しかも小規模なユニットであるPTで
個々のユニットの性能評価を誤るようなことがあってはならない
あまつさえ、追放してから大事さに気付くというのは起こり得てはならない失策なのだ

それを平然と行う追放系は論理的に非常に成立しにくい物語筋だと思う。あまつさえ、追放した側が追放された側を逆恨みしている筋すらある。なんという愚かさだろうか。

相当上手く話の筋を作られても「いやいやそもそもね…」と思ってしまうのでPT追放モノは考え物だなと思った次第