スクリーンショット_2019-04-03_16

暮らしのうつくしさを楽しみ地域の価値をあげる3日間 in 西和賀レポート⑤

3月26日にほっとゆだ駅で中村さんを出迎えた。
約半年ぶりにお会いする中村さんはいつのものようにニコニコした表情で再開を喜んでくれた。
4日後中村さんを見送るまでに、どんな風な内容で町に変化があり、自分がどう変わっていくか、半分不安がありつつ、とてもわくわくした気持ちだった。

西和賀案内

プログラム自体は3月27日からでしたが、早めに入って西和賀を見ておきたいということだったので、26日の午後〜27日の午前中まで中村さんと一緒に町内をまわり、少し案内をしました。廻戸、御菓子処たかはし、川舟の家(茅葺屋根古民家)、ドライブインおよね、雪国文化研究所。なるべく、西和賀の本質的な良さが詰まったところを知りたいということでしたので、私の考えうる範囲の中を案内させていただきました。どちらの場所でもたくさん興味を持っていただき、得にも『わらび餅』や『雪国文化研究所』については前のめりになって中村さんが話を聞いていたのが印象的でした。

西和賀町産業間連携フォーラム

プログラムのスタートはシンポジウムからでした。
西和賀町主催のフォーラムで、下記の趣旨のもと行われました。

西和賀町では、これまでに「西わらび」や「湯田牛乳」など地域ならではの資源を活用して付加価値を高めてきました。こうした取り組みは町の特産品化につながり、他地域との差別化として効果を見せています。町には農産物に加えて、観光施設や景観などまだまだ多くの資源がありますが、こうした資源の可能性を引き出すには、農業や観光業など産業の枠を超えた取り組みが効果的になります。町の産業の枠を超えて資源の活用を考えるフォーラムです。是非ご参加ください。

内容は

(1)中村さんの基調講演
(2)町内の事業所から事例発表
(3)産業間連携の推進について(西和賀町農業振興課)

町内の農業従事者や、旅館業、行政職員が50名ほど集っていました。

「西和賀の誇りを世界に発信する方法」

中村さんの基調講演は上記のタイトルで行われました。
西和賀町の宝(資源)をどのように発信していけば良いのかという来た参加者みんなに響きそうなタイトルです。
ここからは長いですが、中村さんの講演を文字にしたものです。

なぜ自分が広島県呉市に移住したのか

なぜ移住したかと言うとそこには渡船がありました。日本であともうおそらく手を降ったらもう迎えに来てくれる渡船が、実際住民が使ってる渡船でいうと3箇所しかないと言われているのですが、その渡船のうち2つあるんですけども、一つ壊れて、もうひとつの船がエンジンが限界を迎えている。運営している方も3代目になって「もうやめたい」と限界を迎えている。1年2年でやめてしまうんじゃないかと呉市の議員が危惧している。住民の方も協力してなんとかこの10年寄付を集めながら民間で支えてきたといところ。
このままだと持たない。その課題があったから私が呼ばれて、3mくらい離れたところに住民の方が家を買ってくれたからそこに住んだ。10年、20年先次の世代に残せれるのかなということをしていたら、偶然市長がわざわざ来てくれて、市の職員さんが伝えてくれた。いい意味で見つかってしまった。在任中に住んでくれて嬉しい、誇りですということで住むことになった。地域の課題問題、住民の人で市や県や国で取り組んだけどこれはどうしようもないなんとかならないことを自分じゃないとできないということに対して関わりたくなる。難しければ難しいほどやりたくなる。100人のうち90人が無理というのをやりたい。簡単だったら誰かに譲ったほうが良い。

私が西和賀に住んでいたらどうするかということを伝えたい

今日は西和賀の魅力を、できるだけ他の県の成功事例を言いたくない。それより西和賀に私が住んでいたらどうするか、こういうことを考えて、西和賀の先人を尊敬しながら、西和賀の人たちがこんなに素晴らしいことをしているから、たまたま見えにくかっただけで、いい。西和賀の本質的なことを世界に紹介させてもらいたい。
できるだけ早めに西和賀に入って、先輩とか先人に教えられて秘訣を学んできた。昨日の2時位に入ったから、100のうち10くらいしか見れていない。1の本質を見られたかなという感じ。まだまだ教えてもらわないと。
まず僕の自己紹介、西和賀の誇りとはなにかということ、若い人の誇りを醸成するにはどうしらいいいか。西和賀に住んで良かったという誇り。そこだと思う。本当の持続可能性とは何かという問題提起をしたい。

まちづくりの主体者でありたかった

まちづくりに関わるきっかけ27歳のとき。携帯電話をして偶然会社がうまくいった。27歳のとき携帯電話の会社を1人で立ち上げて、資産が2億円くらいいった。でもお金が豊かでも幸せじゃないということに気がついた。偶然出会った宿で3泊泊まる予定が2週間になった。携帯電話の販売の会社をしてたんだけど、携帯電話が無いほうが幸せだと思った。そして売れなくなった。3年で2億円の財産がー3千万になった。正直にしか生きれない。良いと思ったら販売できるけど良いと思わなければできない。そういう生き方しかできない。正直に生きたい。そう思ったときに宿を始める。民宿が6軒あった町にも関わらず私が27歳のとき、民宿が4軒潰れていた。これは同級生のお父さんお母さんや父親の同級生。お土産屋産が潰れていた。町が観光地のあとの衰退の一途をたどっていた。なんとか町を助けなければならない。
傍観者にはなりたくない。主体者でありたい。こういう場で喋ってしまったために、60代〜70代の先輩方からお前が代表やれと言われた。まちづくりの代表をさせてもらった。ありがたいことに経験はなかったが、この町の将来のことをやっていくんだったら、9割型怒られたが、みんなの知識と経験と愛情とセンスを譲ってもらった。町のことが少しできるようになった。という流れです。1人だと何も出来ないということに気がついた。1人の100歩より100人の1歩。1人の100万円よりも100人の1万円が良い。

今何をしているか

古民家を活用したり、地域おこし協力隊のメンターをしている。地域と生きるゲストハウス開業合宿。地域と生きる生業合宿。地域と生業を作る合宿。開業した人が100人くらいを超えた。ただのビジネスや生業じゃなくて、パブリックな公共精神をもったプレーヤーを育成する合宿。パブリックな公共精神を持つと、通常のビジネスよりも持続可能だということを証明したかった。ビジネスで成功しても10年立っても残っているのは10%と言われている。経産省調べだと7.7%。パブリックな公共精神を持った、西和賀じゃないと、西和賀人だからできること。10年先求めていることを重視する方が持続可能。卒業生の人の生きざまをみてほしい。私たちが証明していくプレーヤー。私が43歳。次の世代が私たちのやっていることを見てくれて、憧れの仕事をつくらなければならないことには持続可能じゃない。それも中山間地域、集落、商店街は1時的に儲かったかもしれない。観光地で流行ったからといって次の世代がやりたいかどうかは別。次の世代が憧れの仕事をつくるってなんなんだということが持続可能。そんな合宿をしています。
地域の住民の支持を頂いて国指定重要文化財地区。小さな古民家40坪。チャレンジさせてもらった。宿とカフェを作った。2年で52カ国。3年で120,000人が集まる場所。地域に対する経済効果が5億円。NHK調べなのでほぼ間違いない。過去の実績としてはトリップアドバイザー重要な口コミサイトで宿とかツーリズム3年連続で賞をもらった。2015年には都市と農村の交流を促進する往来日本大賞をいただいた。養老孟司さんから言われたのは、「移住してもいいし、東京から地方に(西和賀)に通っても良い。これが1割が3割になったとき地方(西和賀)の人の心が豊かになる。本当の意味で。3割になったとき心も豊かになるけど経済も豊かになる」と言われたとき自信になり、活動が加速していくきかっけになった。3年前まではまちづくりプロデューサーと言っていたがプロデューサーじゃないと思ったので、日本の町をよくしていくまちづくりのストーリーメーカーとなった。どのまちに行っても他のところの成功事例を使いたくない。そのまちの先輩から教わったことで0から一緒にやりたい物語をつくる仕事。日本の暮らしにまだ発見されていない共感されるプロジェクトをつくる。家族範囲の食卓の会話の質を高めるまちづくりを目的としています。ここが大切。家族範囲の家族の会話の質を高める。1人ではやらず、まちづくりの建築士やアートディレクターと一緒にやる。地域と生きる生業合宿では、ハンターとかガイドとか農家民宿とか生まれている。あとは建築事務所や学校。

西和賀の誇りとは何か

西和賀の宝探しにでかけた。やっぱりわらびですかね。これは感動しました。100キロのわらびの根っこから5キロのわらび粉の抽出。透明なのは珍しい。弾力が日本で1番だろう。農業の中のダイアモンド。もっとちょっと言葉の選び方を考えたいんですけど。私にノーベル賞に推薦する権利がありましたらわらびを選んだ人を推薦したい。議論とか深めていきたい。やっぱり誇りを大切にし続けて、次世代に伝える誇りを醸成していく。わらび研究は本当にすごいと思った。今私は宿をやってきたわけですけども、宿をやりたいわけじゃないんです。次の世代が憧れる仕事を作りたいと考えたら。地域の人が豊かになれる仕組みを考えたときに20個くらい仕掛けを考えたら宿だった。宿に無料で泊まってもらってわらびの作業を伝える。宿ってそういうことができる。空き部屋に泊まってもらって、わらびがどれだけ大変かということを伝える。例えば日本の若い台湾に住んでいる日本の文化を知りたい人。10人くらいあらかじめ宿に無料で泊めてもらう。その人達がいざ、わらび粉をとりに行こうか。わらびの根っこに栄養が集まる瞬間堀にいく。その体験が貴重。
雪の結晶の体験。中谷宇吉郎先生の雪の研究は日本の魅力として感じた。去年9月に豪雪地帯ということで山形県新庄の雪の里情報館に行った。雪の研究した人の文献を見てきた。雪は天からの授かりもの、手紙であると中谷先生は言っている。雪の方も-5度までは柱上だけど、−10度〜−20度は雪の結晶が変わる。扇状アート。西和賀には源流の1滴をさがしに行った研究員がいた。宮沢賢治さんの好きな場所が1番いい状態で残っているのが西和賀じゃないか、ということはみなさんも知られていると思う。10歳〜15歳次の世代20代の大学生がそのような大人が1万時間考えてもニヤニヤしている姿に惹かれる。ようは水の1滴をさがしに行こうぜ研究する人を応援する西和賀の先輩の人たち。わらびの研究している人たちの姿一所懸命ニヤニヤしているところに憧れて20代や大学生はやってくる。1〜2年後にやってくる。今のところはぜひ研究し続けてほしい。
これもさっき撮ってきた、古民家を残そうとしている瀬川さん。茅葺きでいいですかね。古民家を残すことが将来どれだけ価値が出てくるかな〜と考えるとただ残すだけでも素晴らしい。残したあと10歳〜15歳次の世代にどうやって引き継ぐか。まだこれからだと思うんですけど。雪が降っている姿がいいですね。
実は1年前に京都の美山に行ったことがありまして。京都の美山で茅葺き職人を将来のために20代を育てたいんだけど社員を雇用できない。悩みをこのような会で質問が来た。どうしたらいいか。茅葺き職人だったらいい本当にいい家が作れると思うから。1組10万円の宿をつくればいいといったら。そしたらできるよ。だって本物の家だもん。そうしたら1年後4棟つくってた。厳密に言うとトタンの状態を戻していた。20代の茅葺き職人3人採用できた。まあ研究者ですよ。あなた本当にやったね。イギリス人の日本の文化を研究して本を書いている人。イギリスの人に日本はこんな深いところがあるよと伝える人で昔だったらイザベラ・バード。イギリスで日本の文化を伝える人。ここまでやったから応援できないか。第2弾で行った。ご飯会いったら、茅葺き職人を育てるための作戦会議ですよ。1週間100万円単位以上のお客さんしか呼ばないというエージェントを呼んでいた。フランス・オランダ・アメリカ・おギリス人、日本人で考えてた。日本にきて、京都に来て日帰りで体験してもらっている。日帰りできても儲からない。なんのために呼んでいるんだ。ということで飲みましょうということで作戦会議を開いて、正直どうやったら呼んでくれるの?1週間呼んでくれと言った。おばあちゃんと一緒に農業をする。一緒に作って食べる。次の日は茅葺きを手伝って帰る。ある程度いくとVIP待遇されてもいやだ。家族のように入れてくれ。中国のように10年20年前は貧乏だったかもしれないけど今金持ちな人ははもっとVIP待遇してくれと言ってくることはあるかもしれない。昔から金持ちだったユダヤの承認、アラブの石油王のような人たちは昔からお金持ちだから本質的な良さがわかる。こういう人たちは接客されているみたいで嫌だと嫌がる。おもてなしじゃなくて家族のようにしてくれ。私たちをこき使ってくれ。わらびってちょうどいい。わらびの根っこを洗う体験は雪が積もるまでしかできないから。村の人の暮らし。1番苦労した体験。一緒に御飯を作って30年前はこうやって乗り越えた、60年前は乳児死亡率が高かったけど、こうやって乗り越えてきた。これをさらにブラッシュアップして磨きをかけていく。それで世界から来られている。京都ではそういうやり方になった。VIP待遇じゃなくて。私たちの暮らしの過酷な方な体験をお客さんにあわせてトランスレーションするか。怒るかもしれない。来たからには喜んでもらう。周波数を見て美術館で言えばキュレーションする人が必要かもしれない。そのまま通訳するんじゃなくてトランスレーションして周波数を合わすことが必要とエージェントは言っていた。西和賀にはわらびにしても雪の研究所にしても本物は十分にある。NHKの人と3日前に飲んでたんだけど本物を教えてほしいと言っていた。本物は西和賀の人の中にある。西和賀の人がされていたこと。本物はドンドン紹介してくれ。西和賀の人の中にあるけど営んでいる人は一生懸命だから気が付かないので外の人が見つけて磨きをかける。
雪が、ありがとうございます。私のところは降ってほしいが降らない。ちゃんと雪で遊んでいるから心配しないでください。雪が大きいですね。感動ポイント。雪って1時間くらいかけて落ちてくる。車で行くだけでも楽しい。雪の花って言うんですかね。コゴミ、ひろっこ。フキのことをバッキャと言うんですね。瀬戸内海で野草を使った野草12種類使った野草カフェがすごく流行っている。「野草ってどこに生えているんですか」って聞いたらさっき歩いたところに生えてるんや。って言われてわからなかった。あれ食べれるんですか?あなたが知らないだけと言われた。東北、西和賀には山菜がある。西和賀の山菜は他のところの山菜と比べて地の利がありますよね。私が西和賀に済んだら1番最初にやります。山菜のカフェ。西和賀で地の利があるので失敗する気がしない。でも20代〜30代の人に譲りましょう。自分はカフェやってて1ヶ月に2人〜3人しかこなかったときは半分泣きながらラムネを売ったことがある。最初は苦労する。これから西和賀で10人くらい見つけたい。先輩に20個くらい苦労する。17は本人超えられる。3つくらい超えられない壁がでる。西和賀の人は若い人を成功させるということを売りにしてそれを紹介したい。20代・30代がチャレンジするまちにするために、いざというときにスイッチを押して貰えれば大丈夫。おそらく山菜カフェ1年後出来ている。その時は私ををまた呼んでほしい。そばは魅力。食べ慣れているかもしれないけど、西日本から来た人からすれば東北のそばは感動する。
こういうのも大丈夫です。バイオリンというカフェ。昭和を感じられる。これも宝だと思う。他の町だと残りにくい。これ残っているので宝です。お父さんが大切に残しているけど、家族が屋根が抜けるから捨ててくれと言っているとか。娘さんに宝だから一所懸命残してくれとフォローしてきた。
わらびもち、水、これ町の中にたくさんあるんですかね?水が綺麗かどうかは相談しないといけないけど、これは宝ですね。これをどうやってキュレーションするか。使い方によっては価値のあるもの。残ってないから。

大切なのは飲んで楽しい地域かどうか

伝えたかったのは簡単。楽しいお酒を飲んでいたら大丈夫。若い人が来たくなるためにはどうしたらいいかというお話をしていて。なぜ若い人がいいかというと10年20年先人の人たちが頑張ってきたことを若い人の中で共感する人が現れる。今まで10年やってきても世界に紹介されなかった。そういう問題を解決するためにはどうしたらいいか。20代〜30代は頼るとすごく真面目に考えてくれる。私の生きる場所はここなんだとわかってくれる。40代〜50代とは少し違う良さがある。メリット・デメリットはありますが育ちます。10年やってもなかなか外に発信できなかったことが発信できるか。飲んで楽しいかどうか。課題もなければならない。楽しくなければ人が来ない。誇りがなかったら多分次は来ない。誇りがあっても課題がなければ何をしたらいいかわからないから人は来ない。次の世代が来たらまず話を聞いて、まずあなた何やってたの?そうしたら私たちが作れない動画を作っていた。実は東京で動画を作ってた。見せてもらってぜひそれ作ってほしいと言った。どうやったら作ってくれる?人によっては無料で泊めてくれ。1週間無料で作ってくれ。動画を作ってくれて、これいいなと思ったら町長に持ってってこの人町に残ってもらいたいけどどうしたらいいかと言ったら、担当紹介するからと言ってもらった。担当者と話をして動画を作ってもらう。再生してみたら10万再生。アメリカの西海岸に行って、日本にこんな場所があったとは知らなかった。それで人が増えた。若者にはあなた何がしたいの?と聞く。そしてその人にしか無い能力を見つけてあげる。2番は、実は自分の町には西洋と東洋を融合させて、聖地エルサレム構想っていうのを80年前に立てて日本の最初に美術館を作った人がいた。なんで戦争が起こる前に日本の美を伝える場。日本の民芸って素晴らしいんだよ。先に西洋を買ってきた。西洋って素晴らしい。その後に日本のも素晴らしいと民芸運動した。日本も素晴らしいとまずは西洋のことを理解しなければならない。西洋の美が2次元だとしたら、日本の美は、名前を売らない美、公共精神の美、使い勝手の美、見た目の美。西和賀の美を6種類作ってみる。6次元。っていうことを誇りにもって伝える。若い人がぜひやらせてくれ。課題がなければからぶりする。西和賀には素敵な雪の文化を研究した先人もいるし、イーハトーブもあるし、日本の中で真剣にやっている地域にも関わらず全国に紹介されていない。若い人の手が足りていないというのがちょうどいいかも。1ヶ月滞在してもらう。能力を見てもらう。この人1年間採用できないか。観光協会や町に相談してみる。1年で20人移住者がでた。何をしたかと言うと頼った。飲みが楽しいかどうかが重要。男性はどっちでもいい。女性の方は7割話を聞けばOK。女性を7割集める。女性が元気ってことはその町は10年20年発酵していく。男性は宿文化を調べた。ほぼ衰退が始まったのは男性客が増えたとき。江戸時代とかは男性が多いけど。女性が来るには話を聞く。どうやら難しいことじゃない。縄文時代は女性経済。弥生は男性的経済。美しいかどうか。話が面白いところに女性があつまる。半年先まで予約で埋まったときが心配。女性が7割支持しているかどうかが生命線。女性が7割いた事のほうが重要。男性が増えたとき、女性が減り男性がこなくなり衰退する。日本の温泉地を調べると面白い。女性が増えることが持続可能。持続可能かどうかを調べたときそうなった。

対話はあるか

ゲストハウスをやってきたけど、オリジナルで期限であればいいと成功すると思ってた。1年前まで勘違いしていた。次のステージの宿であるダイアログハウスをつくろうとしている。ダイアログハウスというのは対話があるかどうか。対話があるかどうかはお客さんと対話の間があるかどうか。5分位話したら寝たい時がある。1時間くらい話をしないと次は来ないかもしれない。その間がつくれるかどうかが大切で要は余白があるところ。西和賀の宿は素晴らしいと思いますが、ほとんど、日本の観光地と呼ばれるところはマニュアル化していることろは衰退してきている。できるだけルールをつくらないようにして間合いを研究する。人と人との間が宝。日本で最初にわかりやすく発明したのは一休さん。次に千利休。30分でできることを6時間くらいかけてやる。間合いが大切。わらび粉は100kgが5kgになる。間合いがすごくて余白がある。これが日本の魅力の一つの発見のしかた。手間をかけてつくる。みるって言う字。なん文字で見ているかとまちづくりの先輩から言われた。ゲストハウスって3軒しかなかった。宿は民宿とかって言ったら、来たかもしれないけど、お前なん文字で見ているんだ?頭のいい人は3つ。東大生とかは4つとかいう。お前は2つしか見ていない。よく見てますねって逆に思った。漢字でいうと44文字ある。同じ意味を省いたら27個ある。お前2文字でしか見てないのに上手くいくはずないだろといわれて。はっと気がついた。見方がまだ甘かった。27文字あるっておもったらまだやれることがいっぱいあると思った。風土づくり。風、県外海外から来る人。西和賀に訪れてまた帰るひと。風と土がまざる。まちづくりじゃなくて風土づくりやれ。40坪で。風土づくりした。宿と町の語源を調べた。語源を調べると同じ。宿ができれば町ができる。宿と町は同じ。宿場町が形成されれば街道ができる。実は空海もやった。徳川幕府もやった。風通しをよくして、土の人が元気になるために、土の人をよそ者と言ってませんか。よそ者をうまく活用させていただく。今泊まりに来ている人が100人きたらその100人の情報を得ていますか。私がやりたい地域まるごと迎賓館。新しい、もともと日本にあった宿場町。地域まるごと宿。岩手ってちょうどいい。湯川温泉の発祥。あれ湯治ですよね。歴史を調べると湯治か旅籠か宿坊に行き着く。詳しく調べると弥生時代からあった。湯治の発祥は東北から始まった。このあたりなんですよ。湯治文化は今の日本の20代に作る。もしかしたら湯川と言ってもいいのであれば、もう1回再構してあげないと、最低2週間休むというニーズをつくってあげて、もっと休ませてあげないと、早く教えてあげないと、余白がなさすぎて、今の20代は精神的に参ってしまう。救ってあげたい。やってないのが逆に申し訳ない。やっているのはニーズをつくる仕事。20個位しかけ、裏の検証をする。きちっと宿ってもらう。湯治を日本の宝にしたい。保養、休養、リトリート。次の流行りになる。確実にニーズが現れるんだけど、湯川は1,000年前からやってましたと言えれば受け入れ体制を作っておければ、湯川は最先端。心の休まる場がないので宿で提案する。これがダイアログハウス。提案したいのは、西和賀の食べ物。使ってますか。米、大豆、納豆、卵、地鶏、大根。私だったら地元100%でやる。3倍になっても15,000円になれば宿で使っている食材がいくら西和賀に落ちてますかっていう西和賀指数っていうのをつくりたい。でもいいですよ、川魚はあるけど海魚はない。海魚を仕入れたら交換すればいい。交換はOK。買ったら仕入れてね。これOK。本質的な宿。ビールとお酒も西和賀産。ビールとどぶろく。あとシーツは西和賀産になっているますか。そうしたら宿が人気になる。100個のうち、1個こだわってみた。私は下流に住んでいて、上流の人から元気にならないと自分が元気になれないということを仮定して、水兄弟からしか物を買わないという宿を作った。地元の人が何してくれたかというと、どうせ泊まるんだったらあいつのところに泊まれと言ってくれた。シーツも布団も屋根もそうしたい。予算の関係上できなかったけどお酒はした。何%和賀川産にしているか。西和賀数値をつくる。WPI、KPIに対抗して、だからKPIって言っているから日本はだめになった。飲みながら冗談が通じる人にしか言わないけど。
そうじゃない、西和賀数値やろって話。シーツ・屋根・布団。そこが流行ればはやるほど町がよくなる。あんた自分だけよくなればいいんか。農家が自分のところに、美味しいものをつくるのをやめました。まずいものを出すのをやめた。卵ごはんで3年かかって70%。つくるのは大変。米、卵、醤油3つしかない。3つで100%っていう方法もある。鶏のエサはなに産?言うても仕入れ3倍になるよ。そのかわり本物を作ってくれ。農家さんもまじかってことで、ちょっとだけ仕入れるって言われてもなと言われて、わかった60表もってきてくださいと言った。最後のとりで醤油が手強い。これはなに産。わからない。わからないもの入れるな。醤油の中身樽ごと買ってくれ。じゃないとできない、仕入れ3倍になるよ。でもやったら半年先まで並んだ。
社員のことを守らなければならない。380円材料代がかかったら1200円で販売しないと行きていけない。これが日本の経済。これが守れなかったら潰れる。税金も払うし、社員の幸せ。農家さんが豊かになるビジネス。やろうと思った。卵かけご飯売れるかな。1日10杯でたら計画的にいけるかな2杯しか出なかったら従業員と一緒にこれどうしよっかな。俺も苦労させた。いや、中村さん、もう一ヶ月チャレンジさせてください。そうしたら3ヶ月後に並ぶようになった。簡単じゃないのは事実。誰が助けてくれたかというと農家さんが助けてくれた。テレビ局を紹介してくれた。本物しかいれないというのは自分のためでもある。わらびの研究、イーハトーブ、雪の研究、水の1滴の研究。観光地化しすぎない。残っているのは少ない。この地域の人達がニコニコする率。銀行さん熱心な人いる、上司に言ったらそれニーズあるの?事例あるの?3年後、湯川行くなら誰々に会ってみたら?雪の勉強したくて、雪国文化研究所行ったら?駅降りてからが勝負。まず動線を考える。駅員さんのいい意味で賄賂を渡す。わらび餅できましたと駅員さんに渡す。これ1番わらびもちです。駅員さんに説明してもらう。これは2日間でできる。次はバスかタクシー会社。そこにわらびもちを持っていってますか?それを一緒にやりましょう。それが地域まるごとやど。町の営みの中に対話がある。それがダイアログハウス。
宿と町が一体である。分ける必要はない。宿ができれば町ができる。集会所ってなんなの?飲んで楽しいかどうか。地域の人の営みが感じられるかどうか。これ暮らしの美。町の営みの中に対話があるかどうか。宿と町の対話というより、宿と自然の対話。自分の暮らしこうやってみよう。西和賀の生き方を学んで、帰ってもらう。家族が幸せで、次の世代がやりたくなって、農家さんが元気になる。宿をつくるためにその3つをつくって学ぶこと。街道をつくっていくので1個だけだと生きていけない。心情に宿を作ろうとしている。街道をつくろとしている。西和賀にもダイアログハウスをつくりたい。町の人と仲良く、駅長さんと仲良く、街の人と仲良くしているからうちにも連れてこい状態。キュレーション、余白が作れるから。これが町が迎賓館。町のなかに対話があるかどうか。
面白い人が集まって西和賀に利あり。他の土地で面白ければいいんです。面白くなければ人が集まらない。私は理想的すぎて現実的じゃないと言われる。東北の方が面白いことがわかる。これからの見解はダイアログハウス、地域がニヤニヤできることを増やす。映画化する出版化する。NHKも取材に来る。3年で豊かな暮らしを体現する宿。西和賀にできればいいなと思いました。ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?