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答えがないことの楽しさと人間の多様性

ぇぃたん

『LIFE3.0』という本を読んでみた感想と気付きを文字に起こし、自分自身の頭の整理とする。同時にもしこれを見て興味を持っていただいたら是非手に取ってみて欲しい。


『LIFE3.0』とはどんな本?

本書は、マイクロソフトのビル・ゲイツや、テスラモーターズのイーロン・マスクなど、多くの著名人も絶賛している本である。日本ではあまり話題になっていないようだが、様々な言語に翻訳され、世界中で本書について議論を巻き起こされており、ネット上でも話題になっている。
さて、この本の内容だが、壮大な問いを投げかけている。
・AIが極限まで発達したら、今生きているこの世界がどうなるのか。
・人間のレベルをはるかに超えた汎用知能(所謂、超知能/AGI)が出現したら、この世界や人間生活はどうなるのか。

本書では、現時点で考えうる将来シナリオを基に話を展開するが、本の中で直接的な記載はないが「AI vs 人間」、または「人間とはそもそもどういうものなのか」ということを自分の頭で考えざるを得ない内容になっている。
同時に、著者が宇宙論の研究者であることから、宇宙という壮大な視点から人間の在り方を論じている。

著者情報:マックステグマーク
マサチューセッツ工科大学(MIT)教授、理論物理学者。宇宙論の研究者だったが、超知能AI による人類絶滅の危険性に注目し、近年はAI研究に軸足を移している。

本書からの気付き

『LIFE3.0』を読む前は、AI化(超知能の出現)というものは人間を幸せにする方向でしかなく、それは割と近未来的に到来すると考えていた。つまり、本書の表現を借りれば『デジタルユートピア論者』という立場である。
なぜなら、COVID19の影響で昨今、デジタル化が急速に普及し始めており、アナログからデジタルになるだけで非常に便利だ。また、デジタル化の先にあるAI技術が発達することで、より狭く深く考えることができるのではないか。好きなことに時間をより費やせるようになるのではないか。つまり、時間の使い方の最適化がより進むと考えていたからである。
しかし、本書を読んで、この立場が変わった。
超知能の出現は、人間にとって良い面もあれば悪い面もある、また、その未来は100年以上先なのではないか。つまり、本書の表現だと『技術懐疑論者』の立場に変わりつつある。
では、これまで自分があまり意識しなかった悪い面とはどのようなものか。

AIのネガティブな側面として、セキュリティやプライバシーの側面など幾つかあるが、1番は生きていてつまらなくなる可能性についてである。
超知能が出現すると人間は未来のことがより分かるようになり、将来の不安が無くなり、無駄なことを考えなくなるからいいのではないか。当初はそうと思っていたのだが、将来のこと全てがわかってしまうと、逆に人生が退屈になることもあるのではないか。例えば、好きな人に想いを伝えた場合、その回答がどうなるのかという感情が普通はあるが、超知能が出現すると想いを伝える前に結果がわかるような世界なのではないかと想像する。
つまり、誰しもが挑戦をしなくなる世界になるのではないか。
確かに、ある物事に挑戦し、結果が悪い方だったつらい気持ちになるが、そのような経験があるからこそ、人生に張り合いも出るものではないだろうか。どうなるのかわからないからこそ頑張ったりするわけで、悪い結果にならないためにどうするのかを考える。これが実は人間の生きがいだったりするのではないか。本書を読んでそんなことを考えた。

また人間とはなぜ生きるのか。それは有能な子孫を残すとかそういうものではなく、「生」というプロセス自体に意味を見出すとすれば、それは一体何なのか。そのようなことも考えさせられた。

時間軸に関しても自分の考えが変わりつつある。AI技術は昨今、想像以上のスピードで発達している。AIの知識は指数関数的に発達するため、超知能が出現するのも時間の問題、つまり、今世紀の後半くらいには出現するのではないかと思っていた。
しかし、超知能とは人間のレベルをはるかに超えた汎用知能である(ちなみに、本書では「知能」を『複雑な目標を達成する能力』と定義している)。
「はるかに超えた」とはどういう状態だろうか。これは、より賢いものが上に立ち支配をするという考えに基づけば、超知能は人間の特性を知り尽くしたうえで、人間を支配するということになると考える。
そして、人間の特性とは何か。
それは、「意識」である。本書では、「意識」とは『主観的経験』と定義している。
この主観的経験である意識が存在するから、人間は多様性があるのではないかと思う。ただ、本書でもある通り意識には「ふたつの別々の謎が潜んでいる」。
1つ目は、意識を脳がどのように処理しているのか。
2つ目は、人がなぜ意識を持つのか。
本書を読んで気づかされたが、人間の生まれつきの本能で「有能な子孫を残す」というものがあると言われているが、それに忠実に従うとすると、強姦のような行為はなぜ犯罪となるのだろうか。強姦する者が有能であれば犯罪にはならないようにも考えられないか。
つまり、強姦罪というのは場合によっては、人間の本能には背くことになる。これは非常に面白い考察だと思った。
(もちろん私は、決して強姦を正当化したいわけではなく、本能と意識の不整合の説明のために記載しているに過ぎない)
深い知識があるわけではないが、所詮人間は電気信号で動いていると思う。そうであるにもかかわらず、それそれの人間が多様な主観的経験を認識する。これはなぜだろうか、どのように処理されるのだろか。
このような人間の本質に関わる謎が、100年以内に解明するとは直観的に思えないと考えるようになった。

これに関連して、意識の話を通して学ばなければならないと思ったことが1つある。
それは、「芸術」である。私は芸術に関する知性や感性が非常に足りない人間である。ビジネスをする上で、その能力の優先度は高くないと思っていたこともある。
しかし、上記で述べた通り、人間の特性は「意識」を持つことであり、「意識」とは『主観的経験』である。この本質的要素は、芸術にあるのではないか。
例えば、ピカソの絵。私は、単に下手な絵だと感じてしまうが、他の人たちはその絵から様々なことを読み取ったり感じたりする。この能力が先天的なものか後天的なものかはさておき、このように1つの物事を多面的に感じることを、様々なことに応用することが非常に重要になる時代になるのではないか。そして、それを十人十色で感じ、それをお互いに共有して、他者と共存していくことが人間の本質なのではないだろうか。
AIが発達するうえで、この人間らしさを磨き、AIとの差別化を図り、より「人間が生きるとは」や「人間の特性とは何か」のような漠然とした問いに常に考えていくことが重要なことなんだと気付かされた本である。

私は小学生の時に、国語が大っ嫌いで、算数が大好きな人間であった。
これは、国語は理由もわからず、採点がサンカクになったりバツになったりするため、物事がはっきりせず次第に受け付けないものになり、一方で、算数はマルバツがはっきりするので好きになった。しかし、今、小学生の自分に会うことができれば、そのはっきりしないことについて考えることが人間というものだから、きちんと向き合うことが自分自身だけでなく人類のためになるかもしれないよ、と言い聞かせたい。

なぜ手に取ったのか?

この本を手にするきっかけはNewsPicksが運営するNewschoolが提供する『「正解なき時代」の思考力を磨く アウトプット読書ゼミ』に参加したことだ。その講座の課題図書になっていたことだ。この講座への興味は、これからの時代がどうなるかについて、きちんと学び考えたかったからである。
私は、金融機関に勤務しており、バックオフィスを担当している。ベンチャー企業にお金を与え、今時点で世の中にないものを開発・製造し、新たな未来の創造することも行っている。
バックオフィスなので、会社の組織の在り方や戦略的なことを考えなければならない。
しかし、近視眼的なこと、つまり、会社の財務戦略がどうのこうのなどわかりやすいことしかやっていないと思っていた。
有能な経営者は10年後、20年後の在りたい会社の姿を常に考え、それを実現するために、新規事業をいかに立ち上げるか、あるいはM&Aを決めたりしていく。
私自身、その10年後、20年後の在りたい姿を考えるために、10年後、20年後の社会がどうなっているのかを考える必要があると思った。
それを考えるきっかけとなるのが、『LIFE3.0』なのではないかと思い本書を手に取った(この本を自分1人で読む自信がなかったのも副次的な要因である)。

「正解なき時代」の思考力を磨く アウトプット読書ゼミについて

つまり本書を読むきっかけになったのは、Newschoolの講座のおかげである。https://newschool.newspicks.com/overview18
10年、20年先を考えるにあたって、これからの時代、答えを見つける力ではなく、解くための問いを見つける力であると思っていたところに、本講座が目に留まった。本講座の案内には、思考力を磨くには、良い議論と良い問いが重要であるとあり、身に付けたいと思っていたスキルにドンピシャだった。

本講座は、毎週講義で宿題が出される。その宿題は、決められた章を1週間で読み、運営から出された問いに答えるものである。
そして、当番グループが、決められた章について新たな問いを生み出す。
そして、次の講義で当番グループが、運営から出された問い関する受講生の回答を取り纏め、意見を述べ、自分たちが考えた問いを発表する。
そして、その考えた問いについて、30分ほど、いくつかのグループに分かれて受講生が議論をする。議論をファシリテーションするのは、当番グループのメンバーである。
そして、議論の結果を他のグループに発表するという流れである。
非常に有意義な講義であったと思う。
良い議論とは、良いファシリテーションから生まれ、良い問いは、具体⇔抽象という行き来から生まれる。これを実感できた。
私は、この良い議論も良い問いの生み出し方もきちんと習った覚えがなかったからだ。
また、利害関係のない人たちとフラットな目線で議論できるのも非常に新鮮な体験であった。
『LIFE3.0』に限らずこのような形で読書をすると、理解度が深まり、新たな価値観にも触れることができるため、非常に良い体験であった。また、次回の読書ゼミが開催されることを望む。

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ぇぃたん

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