古時計
定年を迎えてから、家でぼんやりと過ごすことが多くなった。
あれ程飲み屋で愚痴っていた仕事も、いざ「はい、これで終わり」と勝手に区切りを付けられると寂しいのは不思議なものだ。
退屈な平日の午後。
何気なくTVのワイドショーを眺めていると、大御所俳優の訃報を知らせるニュースが流れていた。
たしか、私と同年代ではなかったか。
気分の良いニュースではないため、チャンネルを変えようと机の上のリモコンに手を伸ばした瞬間、妻の声が聞こえてきた。
「──もう!一日中ゴロゴロしてばっかり。掃除機かけるから、ちょっと退いてもらえる?」
私は「あぁ、すまない」と平謝りをしてテレビの前から離れた。
「何か趣味でも見つければいいのに」と呆れるように妻は呟き、掃除機をかけだした。
趣味か・・・。
たしかに、新しく何かを始めるのもいいな。
そう思ったものの、仕事が生きがいのようだった私にぱっと思いつく趣味はなく、妻が掃除機をかけ終えたタイミングでテレビの前に戻るのであった。
それから数日後、夫婦で近所のショッピングモールに買い物に出かけた時のこと。
妻が最近お気に入りだという、フレーバーティーの店を物色している間、私は暇潰しがてら適当な店に入る。
そこは時計の専門店だった。
店内には様々な時計が置いてあり、それぞれが淡々と時を刻んでいる。
自分の責務を全うするその姿に、ある種の愛らしさを感じた私は、気づくと陳列された時計をまじまじと眺めていた。
──1ヶ月後。
「あなた、最近生き生きしてきたんじゃない?時計の趣味、始めて良かったわね」
「うん。おかげで最近は退屈しないで済んでいるよ。・・・おっと、こんな時間か」
壁に掛かった時計に目をやると、時刻は7:45を指していた。
もう出かけないと。駅までは歩いて10分だから・・・丁度いいな。
「出かけるの?気をつけてくださいね」
妻の言葉に「行ってきます」と応えて家を出る。
歩くこと10分。
私は通勤時間で人通りも多い駅前に着くと、張り裂けんばかりの大声で叫んだ。
「7時55分!!!7時55分!!!」
蜘蛛を散らすかのように、私の周りからは人が居なくなっていく。
早くこの場を離れようと怪訝な顔で早歩きになる人々を見て、私は気持ちの高ぶりを覚える。
時計を始めて良かった。
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