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大丈夫 (短編小説)


「大丈夫だよ」

彼女はいつだって、僕に顔を向けると決まって頼りない笑顔でそう言うのだった。彼女が転んで膝を擦りむいたときも、僕が将来の不安を口にしたときも、ビスケット一枚いる?と聞いたときも。
常に一定のトーンで感情の介在しないその口癖は、その意味とは裏腹に得体の知れぬ不気味さを醸し出していた。

なぜなら僕は、それが嘘だと知っていたから。
僕だけが知っていたのだ。その裏には声のない悲鳴が紛れているということを。
だからこそ「大丈夫」という言葉を聞く度に、酷く焦燥感と憤りに支配されてしまうのである。

僕だけが彼女の真の理解者なのである、と。


彼女は僕が学校でいじめられているときはかばってくれる。でもそれ故に、クラスメートから彼女は浮いている。
昼休みに一人でお弁当を食べている時に、僕のせいでいつも辛い思いをさせてしまってごめん、と呟くと、彼女はいつものようにこう言った。

「大丈夫だから」



君、そろそろ誕生日でしょ、何欲しい?
まあ、君のためなら何でも買ってあげてもいいよ。普段お世話になってるしさ。
なんか、欲しいアクセサリーとかあるって言ってたよね。あれなんてブランドのだっけ?……まあ、たしかに僕にとっては高いかもだけど、でもなんとかしてお金は用意するからさ、そしたらそれあげるよ! どうして、遠慮しないで!
そんなとき、彼女は気まずそうに笑って言う。

「大丈夫だって」



彼女は最近彼氏と別れたらしい。なんでも、他に好きな人が出来たと振られたのだという。悲しげに笑いながらこぼす彼女。
愛してくれている人に対してそんなことを言うなんて絶対におかしい、それにこんなにも素敵な人なのに、僕はその元カレのことを絶対に許せない、君のことを傷つけるなんて、正常な人間のやることじゃない、僕が何とか言ってやる、目にものを見せてやるんだ。

「大丈夫だってば」


え、僕が買ったあのアクセサリーをなくした?
ねえ、それって本当に無くしたの?僕が一緒に探してあげる。
それか、誰かに盗られたんじゃない。君のことを憎んでる人の仕業かも。君は素敵な人間だから多くの人の嫉妬を集めてるに違いないんだよ。

僕がなんとかするから。学校の隅から隅まで全部探して、それでもなかったら先生に言おう。僕からも言っておくから、そうしたら犯人も出てくるって。
アクセサリーは僕がもう一回、いや何回でも買ってあげるから。君の為なら何だってするし……

「大丈夫って言ってるでしょ」


ねえ、そのあざどうしたの腕についてるやつ。
何のこと言ってるのって、だって腕にたくさん青くて黒い痕がついてるじゃないか、ちょっと誰にやられたの?これ。
どうして、自分では分かんないの?本当に痛々しいんだよ、僕にはこんなにはっきりと見えているのに。誰が君にこんなことをしたんだろう、友達? 先生? 親? お願いだから誰か教えて。本当に、天地がひっくり返ってもこの大罪を許すことなんて出来ない。

誰にもそんなことされてないって、そんな訳無いじゃないか、どうして僕に嘘をつくんだ!何も教えてくれないんだ!!


ーー違うよね、ごめんね、僕が早く気付けなかったから。僕のせいだ。
君は何も悪くない。僕が君を守れなかったのが悪いんだ。

いや、むしろ、僕が……僕が一緒にいるから君にはいつも不幸なことが起こるんだ。みんなには無視されるし、僕といていいことなんて何もない。僕がいなければ良かったんだ。

お願いだよ、神様、僕がいなくなればいいって分かったから。
どうか彼女にこんなことをするのはやめてよ、お願い……


「…… 大丈夫?」

彼女はそう言って、慟哭する僕の目を覗き込んだ。心の底から怪訝そうに、そして迷惑そうに。

僕は泣きじゃくったまま彼女の腕を掴んだ。
彼女はそれを見て驚いて、とっさに腕を引っ込めた。
僕のことを見つめる表情に、恐怖が生じたのがたった今、分かった。



気がつくと、もはやさっきまで掴んでいた腕にまとわりついていた、青黒いあざはどこにもなかった。

代わりに、彼女の怯えた瞳の中に映っている、僕の顔にあるいくつもの傷跡。

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