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クリア -裏表-

先日はぁちゅうさんの「仮想人生」を読みました。
SNSを中心として5人の人物の視点で描かれたストーリー。
仮想人生はまさにタイトルの通り
SNSといういわば電脳空間を生きる5人の話。
(電脳空間を生きる、は少々過ぎた表現かも)
それぞれのストーリーが複雑に絡み合う
それでいて非常に読みやすい本でした。

登場する人たちはみな、現実の顔とSNSの顔を持つ
人によっては表、裏の顔と表現する人もいるでしょう。
1つしかアカウントを持たない私には理解しえない部分なのか。

何れにしても何を以て裏表とするのか。
本人がそう感じそうしたいならそれまでだけど。
私の思考の一つに、人は誰しも多重人格者である。
というものが。
規模は大なり小なり。
文字通り人格から違う場合もあれば、
人によって態度が変わるのも多重人格のそれと同じではないかと。
なんにせよ、そのどれもが裏表というものではなく
並列的に存在する「自分」でしかないと考えております。

「仮想人生」に登場する人物は上述の通りSNSと現実に1つずつ
つまり2つの顔を持った人たち。
そのSNS側を裏の顔と呼ぶ。
この真意はSNS側は本当に自分ではないということ。
そんなことはないはず。
同じ目線で考えると現実の自分でさえ色んな虚が
本当の顔を隠している。
でもその虚も自分の中で生じたもの。
全部自分。
そう思うわけです。
表の顔裏の顔と分けることで
満たされたり安心したりすることもあるでしょう。
でも、すべて自分なんだと認めてもいいんじゃないかなって。

今回は本を読んでの投稿。
色はクリアです。
クリアを象徴するのは光。殊太陽光を挙げるべきでしょう。
リアルな太陽を思い浮かべます。地球から見た昼間の。
文化的に黄色だったり、赤だったりで描かれる太陽ですが、
実際には白に見えるはずです。
実はすべての色の光を包括しています。
このことから、包括という意味もあります。
さらに光があれば影がある。陰と陽、そして今回のテーマ裏と表。
そんな色です。

影や裏が悪いものの表現として扱われやすい。
その文化を否定するわけではありません。
必ずしもそうとは限らないのでは?
と思っているだけです。

影のない世界はモノクロですら表現されないわけですから。

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