物事を見る解像度と、伝わらない話/考えすぎる事
こんにちは、哀染です。
自分は時折、自分の中で疑問に思ったことを自分の中で議題にかけて、一人会議をやります。その末が正しいかどうかはさておき、何かしらの結論に到達すると「あぁ良かった、スッキリした」と思えて気分が良いものです。
今回は、そうして得られたものの話を自分でだけ納得して捨ててしまうのは勿体ないのではと思い、言語化する練習も兼ねて表題の件を書いてみようと思い至ったものです。なにかの参考になれば幸いです。
今回はメッセージによるコミュニケーションの難しさについて考えてみました。
人はスキルによって解像度が変わる
例えば友達と観光旅行に行ったとします。その友達が旅行先のことに詳しくて、行く先々で気付くことや興味を持つ部分が異なる、といった経験はありませんか? 他にも、パソコン自体が壊れて起動しなくなったり、アプリケーションがエラーを表示して動かなくなってしまったりした時、詳しい人に聞くといくつかの質問や確認作業の後、原因も理解できないままたちまち解決してしまった、とか。
人はスキル(≒知識+経験+練習)によって物事への理解が深まると、類似するものを見た時により細分化して物事を捉えることができます。それにより、多くの情報を紐づけることができる、と考えています。
他にも印象だったのが、あるイラストを知人と一緒に見たとき、自分は「素敵なイラストだな」と思ったくらいなんですが、知人からは「この人、脚を描くのが好きそうだな」とか「凄い手間かかってるな」といった感想も聞けました。工数や書き込み量の多い部分がわかるようです。こういったものもスキル差かと思います。
同じものを見ても得られる情報量はスキルによる
前述の通りなら、人は同じものを見ても得る情報量が同じではありません。ちょっと知識量が異なる、くらいならおそらく違和感はないのですが、前述のような状態だと「相手が何を言っているのかわからない」くらいの温度感があってもおかしくないことになります。
またこういった事象が有り得るか知っているか、ということも大きくはコミュニケーションに関わるスキルから得られると言っても良いかもしれません。
言語化や聞く力もスキルのひとつ
ところで、見たものから得た情報を人に伝えるには言葉なり何なり、見聞きできる形に変える必要があります。あらかじめスキル差があることがわかっているなら、伝え方次第ですがやりようはあります。サポートセンターのような仕事が似ているでしょうか。
情報を伝えるのであれば大まかに
「相手が理解し易い言葉や比喩を選んで」
「できるだけ定量的か、イメージし易い水準で」
「相手が許容できる情報量に絞って伝える」
という感じになるかと思います(難しいんですが)。
相手から聞き出すのは
「何なら確認/言語化出来るか」
「何を聞くのが肝要か」を
「きちんと聞いて探る」
ことが大事かと思います。
伝わらない話と、考えすぎる事
本件を書き起こすに至った話は、スキル差がわからないコミュニケーションがインターネット上で起こったんだろう、と思っています。
対面会話や通話など、リアルタイム性のある手段だとレスポンスも良く、行間(抑揚、間、身振り手振りなど)で比較的多くの情報をやり取りと思っています。ただインターネット、特にメッセージによるやり取りだと文面以外の情報がない上にレスポンスに使える時間が実質無制限なので、一文に込められる情報量の少なさと、受け手が一文から受けてしまう推測の多さが悪さをしていると思っています。親しい間柄なら推測も遠からず、質問もしやすそうですが、必ずしも親密とは限りません。細かい話を矢継ぎ早に送らず、まとめて返信するような場面が多くありませんか? 更に返信があると、何が伝わってどう解釈されるでしょうか? 桶屋が儲かったりしそうですね。
これは自分の解釈でしたが、逆に対面会話や通話が苦手で、一呼吸置いた文面の方が情報が整理される人も居るかと思います。向き不向きによるコミュニケーション能力差もあると余計にわからなくなってしまいますね。さて、何で伝わらないのかはわかったけど適切なコミュニケーションって難しいなぁ……と思った先日でした。
まとめ
いかがだったでしょうか? 同じ意見をお持ちだったり、部分的に差異があったりしたでしょうか? 文頭にも申し上げましたが、正しいかどうかは自分にもわかっていません。一定の結論は得た、と思っている次第です。
言語化の練習も兼ねると言いましたが、思ったより時間もかかってしまったし、伝えたい内容自体は同じですが伝え方がだいぶ変わってしまいました。まだまだ練習不足のようなので、精進したいと思います。
以上、ここまでお読みいただきありがとうございました。
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